おはようございます。どうして夏でもお湯を浴びるのでしょうか。ただでさえ暑いのに、さらに熱いお湯を浴びるって変な話ですよね。
水を浴びることもあるわけですが、やはりお風呂といえばお湯が基本です。お湯を浴びても暑苦しくなることはありません。むしろサッパリするでしょう。
結局は汗とおなじように体温とともに蒸発するから、温水でも冷水でも変わらないということでしょうか。それならば体温に近いお湯の方が、身体もびっくりせずに済むということでしょうか。
なんだかそれらしい答えが出てしまいましたね。それに加えて、温かさには安心感のようなものもあるのでしょう。「ほどよい温度お湯を浴びる」って冷静に考えたらすごいことですね。どうも、インクです。
世界が狭くなるとそこでのできごとは相対的に大きくなる
世界が狭くなるとそこでのできごとは相対的に大きくなる
— インク@青年求職家 (@firesign_ink) 2020年3月1日
「何かを大切にする」ということは「それを失うリスクを背負う」ということでもあります。しかも、おもしろいことに「絶対に失わないように大切にするぞ!」と思えば思うほど、その大切なものは遠ざかっていってしまいます。
もしそれが、ひとつしかないのなら大変です。それを失った瞬間に目の前がまっくらになってしまいます。「ああ、これまでの時間はなんだったんだ」と過去を嘆き、「ああ、この先も生きている意味なんてあるのだろうか」と未来を嘆くことになるのです。
大人からすればどうでもいいように思えることでも、子どもたちはかなり真剣です。ボールを取り合って真剣にケンカをしていますし、先生に怒られて真剣にヘコんでいます。子どもたちにとっての世界は「学校」だからです。学校でうまくいかなければ世界が終わってしまうのです。
外にある広い世界を生きる大人からすれば「どちらが教室にボールを持って帰るか」なんて、どうだっていいことです。しかし、学校という狭い世界に生きる子どもからすれば「どちらがボールを教室に持って帰るか」はとても大きな問題なのです。
大人はよく「そんなことどうでもいいでしょ!」と簡単に言ってしまいますが、これは問題が大きいか小さいかではなく、世界が広いか狭いかという話です。世界が狭くなるとそこでのできごとは相対的に大きくなるというわけです。
要するに、いまあなたの前に立ちはだかっている大きな問題は、ただ大きく見えているだけです。問題側が大きくなったり小さくなったりするわけではありません。単純にあなたの生きている世界が狭いというだけです。
「そんなもの、ただ言い換えただけじゃないか」と思った方もいらっしゃるかもしれません。たしかにその通りです。「ものは言いよう」というやつです。
ただ、あなたは大人になった今でも「どちらがボールを持って帰るか」で誰かと争いますかという話です。そんなことでいちいち争わなくなったのは、あなたが広い世界を知ったからなのではないでしょうか。
「いいや、それでもやっぱり目の前の問題は大きいよ」と思うのもまたひとつの選択です。結局大切なのは両方の視点をもって「よりよい道を選択することができる」ということなのです。
問題側の大小という軸しかもっていなければ、選択の余地はありません。しかし、自分が見ている世界の広狭という軸ももつことができれば、よりよい方を選ぶことができるようになります。虫眼鏡と同じですね。対象物を動かすのか。自身が動くのか。対象に合わせてよりよい観察方法を自分で選べばよいのです。
ただ、最後にひとつだけ言っておくと、問題側をどうにかしようとするよりも、自分の視点をどうにかしようとした方が簡単だとは思います。ほかの問題にぶつかったときにも転用することができますしね。
徹底的に疑って、たくさんの視点でものごとを捉えられるようになれば、自ずと世界はおもしろくなっていくのではないでしょうか。
【お知らせ:本日】
毎週水曜日の定例会「こきけんよう」のお知らせです。20:15〜20:55の40分1本勝負です。第一回を終えて、やっぱり週の真ん中に予定があると目印になっていいなと思いました。「水曜どうでしょう」とか「水曜日のダウンタウン」とかも、きっとそういうことなのでしょう。興味をもっていただいた方は、ぜひ耳だけお貸しください。参加希望はツイッターのDMまで。こきけんよう。