おはようございます。はじめてちゃんとラジオを聴いたのは「SCHOOL OF LOCK!」という番組でした。いろいろなアーティストの新曲が初公開されることの多い番組だったので、それを聴くためにチャンネルを合わせていました。
ラジオから流れてくる音源をそのまま録音して、CDの発売日がくるまでに何度もくり返し聴いていたことを今でもはっきり覚えています。
はじめはこのように「新曲」が聴けたらそれでよかったのですが、不思議なものでだんだんパーソナリティや番組そのものが好きになってくるんですよね。いつのころからか、流れる曲や登場するゲストに関わらず、毎日聴くようになっていきました。
「SCHOOL OF LOCK!」は読んで字のごとく学生向けの番組なので、さすがに今では聴かなくなってしまいましたが、ほかの番組はちょこちょこと聴いています。いいですよね。ラジオって。おすすめの番組があればぜひ教えてください。どうも、インクです。
一度空っぽになればあとは好きなものを詰めていけばいい
一度空っぽになればあとは好きなものを詰めていけばいい
— インク@小学校の先生 (@firesign_ink) 2020年3月14日
一度空っぽになればあとは好きなものを詰めていけばいい。恩師に言われたことばです。
自分がもっている袋を覗いてみると、そこには自分で選んだわけではないものや、入れた覚えのないようなものまで、様々なものが乱雑に詰まっています。
奥の方に入っている不要なものをとりのぞいたり、中身を整理整頓したりするためには、一度すべてを袋から出さなければなりません。
中身をぜんぶ出して、袋を裏返して、よく洗濯して、そしてまたものを詰めていくのです。もちろん詰めなおすときには「本当に要るのか要らないのか」や「そのものの大きさや形」を見定めながら、ゆっくりと順番に詰めていきます。
ふたたび詰め直してみると、きっとスカスカになることでしょう。今まで両手で大事に大事に抱えてきたものなんて、大体は要らないものなのです。
袋が見事にスカスカになれば、またゆっくりと歩きはじめましょう。一度空っぽになればあとは好きなものを詰めていけばいいだけです。
自分の意図せぬタイミングで空っぽになってしまうこともあるでしょう。しかしそれはきっと、空っぽになるべきタイミングだったのだと思います。
そのまま歩きつづけても、両手で抱えた袋はもうパンパンです。新しいものを入れようにも、もう入る余地がありません。そんなところに無理やり詰め込もうとするとどうなるかは、ご想像のとおりです。ビリっと破れてすべてがこぼれ落ちていくのです。
破れた直後は悲しいかもしれません。これまで大事にしてきたものが、すべてこぼれ落ちてしまうわけですからね。「自分には何もない」と虚無感に苛まれることでしょう。
しかし、そんなときにこそ「一度空っぽになればあとは好きなものを詰めていけばいい」ということばを思い出してほしいと思います。空っぽからはじめられる機会なんてなかなかありませんからね。
最近はむしろ、意図的に「空っぽ」をつくりだせないだろうかと考えています。
社会の中で生きていると、知らないうちにいろいろな枠に囲われてしまいますからね。それが「当たり前」になってしまったらなかなか抜け出せなくなってしまいます。袋の奥底に入り込み、そう簡単に取り出せなくなってしまうのです。
そうならないようにするためにも、定期的に「空っぽ」にして、好きなものだけを詰め直すというサイクルをつくりだしたいというわけです。きっと、袋はいつもスカスカなくらいがちょうどいいのでしょう。おもしろいものをみつけたときにいつでも入れられるようにしておきたいのです。
「意味」にも「理由」にも「時間」にもとらわれることのない「空っぽ」の状態。一体どうしたらそのような状態をつくることができるのでしょうか。やはり今いちばん近しいのは「走ること」かもしれません。
ほかには何があるのでしょう。「座禅」とか「瞑想」とかになってくるのでしょうか。意図的に「空っぽ」をつくる。仏教でいうところの「空」でしょうか。いや、でも「意図的」な時点で本当の「空っぽ」ではないのかもしれませんね。
ただ、たぶんですが「空っぽ」って「何もない」というわけではないんですよね。なんと言えばいいのでしょう。これまでの例に合わせて言えば、中身はなくとも袋はあるといったところでしょうか。
うーん。なんだか今の時点でこれ以上話しても仕方がないような気がしてきました。「意図的に空っぽをつくること」と「存在にリスペクトを送ること」は当分のテーマになるかもしれません。いい考えがあればまた教えてください。
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