ツイートの3行目

小学校の先生です。ツイートは2行まで。3行目からをここに書いていきます。

【木】「真剣」と「深刻」は違うからな

 

 おはようございます。エスカレーターに乗るときはいつも迷ってしまいます。前の人との間隔を何段分あけるか問題です。

 理想は2段なのですが、人には歩調というものがありますし、うしろから人も来ています。だからといって、1段だとすこし近すぎます。前の人のリュックサックやショルダーバッグが目と鼻の先にきます。

 調べてみるとステップの奥行きは約40センチだそうです。機械を動かす上での効率と人が立つことのできる距離を計算して設定しているのでしょう。

 設計に文句が言いたいわけではありませんよ。単純に、この間隔には個人差や地域差がありそうだなと思っただけです。みなさんは何段分あける派ですか。尋ねておいてなんですが、べつに答えなくてもいいですよ。どうも、インクです。

 

「真剣」と「深刻」は違うからな

 何ごとにも真剣にとり組むことは大切です。どれだけ難しいことでも、どれだけくだらないことでも、真剣にとり組むからこそ得られるものがあります。

 「真剣」というのは、眉間にシワを寄せて、深刻な面持ちでものごとにとり組むという意味ではありません。自分にできることを最大限に発揮できるように努めるという意味です。

 よくこのふたつをごちゃ混ぜにして考えてしまいます。「自分のせいで人に迷惑をかけたらどうしよう」とか「ここで失敗したら人生が終わるんじゃないか」とか。自分の言動にどれほどの影響力があると思ってんだという話です。あなたひとりの言動なんてまわりからすればどうだっていいことなのです。

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 それにも関わらず、人はものごとを必要以上に深刻に捉えようとします。きっと、深刻に考えることで自分の言動に制限をかけ、リスクを背負うことを本能的に避けているのでしょう。

 「どうせ自分は嫌われているから喋りかけるのをやめておこう」とか「死ぬかもしれないから知らない土地へ行くのはやめておこう」とか。

 要するに、言い訳をつくって正当化したいのです。自分はすでに不安なんだというポーズをとりながら、未来の不安をとり除こうとしているのです。

 不安を装って安心を求めるってなんだかおもしろいですね。いじわるを装って好意を伝えようとしてみたり。無関心を装って興味津々だったり。人って不思議な生きものです。

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 ご存知かとは思いますが、このような心理的メカニズムを「反動形成」と言います。フロイトが言うところの「防衛機制」の一種です。ウィキペディアが言うところの「無意識の中に抑圧されている強い感情や衝動が、意識できる側面で正反対の傾向となって行動になってあらわれること」です。

 「好きな子にいじわるをしてしまう」や「嫌いな上司を褒める」などが例としてあげられることが多いのですが、もっと密接に人の言動に関わっているものだと思っています。我々は社会の中で、本音を押し殺しながら生きていますからね。「押し殺している」と思いながら過ごすのはストレスなので、正反対の言動をすることで必死にバランスを保っているのです。

 本当は好きなことがしたいけれど「社会はそんなに甘くない」ということばを信じて当たり前のように我慢します。本当は好きな人とだけ付き合っていたいけれど「合わない人とも仲良くすることができるのが大人なんだ」ということばを信じて当たり前のように我慢します。

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 このような個人の「反動形成」で形成されるのが「社会」です。そして、そんな「社会」がまた個人の「反動形成」に還元されます。社会に存在する「このようにするべきだ」という暗黙の了解のほとんどは、本音を押し殺すことにストレスを感じないようにするための「反動形成」だと言えるのかもしれません。

  べつに「反動形成」がわるいと言っているわけではありません。いちばんの問題は、それが無意識のうちに行われているということなのです。なんだか偉そうに書いていますが、筆者自身も、きっとどこかで「反動形成」をもとにした言動をしているはずです。しかし、それがどのような行動なのかはわかりません。なにせ無意識ですからね。

 無意識のうちに本音を押し殺し、無意識のうちに我慢してしまっているのです。言い換えると「意図的に選ぼうとしなければ自分の欲求に素直になることはできない」ということです。「やりたいけどやらない」という順ではありません。余計な負荷をかけないためにも、はじめから「やらない」が前にくるようにできているのです。

 「社会的動物」とはよく言ったものですよね。本能とは異なるものを優先して、日々を送っているというわけです。わたしたちは、深刻にものごとを捉えて「本音をいかに押し殺すか」を考えるのではなく、真剣にものごとを捉えて「本音をいかに実現させるか」に意識を向けることができたらよいのかもしれません。好きな人にいじわるするのではなく、素直に「好きです」と伝えられた方がいいはずですからね。 

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