ツイートの3行目

小学校の先生です。ツイートは2行まで。3行目からをここに書いていきます。

【土】評価に指導を合わせようという節がある

 

 おはようございます。成績処理が生活を侵食する季節になりました。過去の記録やメモを引っ張り出して、ああでもないこうでもないと言いながら 「よくできる/できる/もう少し」を入力していきます。

 当然ですが「もう少し」だなんて成績をつけたくはありません。みんな本当に頑張っているんだもの。どうしてこんなに小さな子どもに「もう少し」だなんて酷いことを言わなければならないのでしょう。

 それでもやっぱり、わかりやすくできていないところがあると「もう少し」をつけざるをえなくなるわけです。それもまた「子どものため」なのだそうです。

 まったく違う子どもたちを、同じ基準で評価することに、どこまでの価値があるんでしょうね。この仕事だけは、毎学期のように本当に苦痛です。どうか間に受けないでね、子どもたち。どうも、インクです。

 

評価に指導を合わせようという節がある

 学校の先生は記述式の問題を嫌います。なぜなら、丸つけがめんどくさいからです。どこまでがAで、どこまでがBで、どこまでがCなのか。評価基準を明確にすることが、とても難しいのです。

 仮にラインを決めたとしても、すぐに例外が出てきますからね。「この回答はどうする?」を、クラス間で常に確認しなければならなくなってしまいます。

 要するに「子どもたちの学びになるか」よりも「評価がしやすいか」が優先されるというわけです。このような逆転現象は、本当によく見られます。

 たとえば、書く活動のほとんどは、これに当たるのではないでしょうか。書いたものが残っていれば、先生はあとから評価することができますからね。

 それに、成果物として書いたものが残っていれば、勉強した感を出すこともできます。だから「とりあえず書かせておこう」が横行するというわけです。

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 当然、よいことだとは言えません。しかし「時間がない」という状況がつづく限り、この逆転現象がなくなることもないのだろうなと思います。

 記述問題よりも、選択問題を。話すことよりも、書くことを。自分に合った学習よりも、みんなで合わせた学習を。「評価がとりやすいかどうか」という基準で、指導の内容が決められていくのです。

 ここ数年でよく耳にするようになったことばに「指導と評価の一体化」というものがあります。こまめに「形成的評価」をとることで、指導方法を改善し、その新しい指導方法の成果をもういちど評価するというやり方です。簡単に言えば、細かく評価をとって、指導方法もアップデートしていこうぜという話です。

 ずっと思っているのですが、どうして今さらになってこんなことが言われているのでしょうね。ものすごく当たり前のことのような気がしてなりません。

 子どもたちからのフィードバックを経て、授業を改善していくのは当然です。肌感でやってきたことを、明確なものにしようということなのでしょうか。

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 ちなみに、この「形成的評価」をものすごく得意としているのがAIです。即時に正誤判断を行い、その蓄積によって、適切な課題を選出します。

 被評価者において、この「即時性」はものすごく大切です。1週間前にやったテストを返されても、それはもはや自分とは切り離された存在です。

 まあ、だからこそ、こまめな「形成的評価」をとって、子どもたちに改善の余地を与えようということなのでしょう。そもそも評価って、改善のためにありますからね。学期末に「総括的評価」として成績表をわたされたって、子どもたちからすれば過去の産物であり、次に繋がるものではないわけです。

 ただし途中でも述べましたが、いまの学校でこまめな「形成的評価」をとり、子どもたちに還元していくには限界があります。先生がサボっているというわけではありません。単純に無理があるのです。

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 ひとりの先生に対して、子どもたちは30人いるわけですからね。ひとりひとり改善するポイントが違えば、改善方法も違います。個人によって枝分かれしていく学習を、大人ひとりで追えるわけがありません。

 だからこそ、白黒ハッキリしないグレーの中に落とし込み、全体を前に進めていくのです。何度も言いますが、先生が手を抜いているわけではありません。

 いまのシステムでは、この手段をとることしかできないのです。その上で評価をとらなければならないとなると、どうしても「評価がとりやすいもの」を指導することになってしまうというわけです。

 いまの学校がこんなにもややこしいことになっているのは「一斉指導」と「個別指導」がごちゃ混ぜになっているからです。「臨機応変につかい分けろ!」と言われているわけですが、そんな無茶な要望に学校の先生はよく対応していると思います。

 これからの学校はもっと小さくならなければなりません。学校がやるべきことは何なのかを明確にして、地域と分業していかなければならないのです。

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【今後の予定】

①12月16日(水)こきけんよう Vol.23

①12月18(金)スナックらいざ Vol.8

 

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