ツイートの3行目

小学校の先生です。ツイートは2行まで。3行目からをここに書いていきます。

【日】大抵の「大きな問題」は大して大きくない

 

 おはようございます。発信はすべて自己紹介です。思いついたことをとにかくつぶやいているツイッターも、毎朝6時に更新しているこのブログも、すべてが自己紹介です。挨拶や相槌と同じです。黙っている人が急にしゃべり出したらびっくりするでしょ。普段から少しずつ声を出しておけば、いざしゃべり始めたときに変に驚かれずに済みます。何よりも、おおよその情報を知ってもらえるので、余計な手順を踏む必要がなくなります。まったく何も知らない相手に話しかけるのと、少しでも情報を得ている相手に話しかけるのとではわけがちがいますからね。だから毎日何かしらをつぶやき、毎日ひとつの記事を更新しています。そのおかげで出会えた人たちがたくさんいます。インターネットがなかったら、もっと世界はせまかったんだろうな。本日もどうぞ最後までお付き合いください。どうも、インクです。

 

大抵の「大きな問題」は大して大きくない

 まるでこの世の終わりのような顔をして「先生、宿題忘れました」と言ってくる子どもがいます。あなたが宿題を忘れたとしても地球は回り続けるから大丈夫。地球が回り続けるどころか、誰ひとりとして迷惑を被っていません。だから、安心しなさい。大丈夫です。

 というのは他人だからこそ言えることであり、きっと本人からしたらとんでもない大事件なのでしょう。普段ははあるはずずのものがないわけですからね。不安で不安で仕方がないのです。もしかしたら過去に、宿題を忘れたことで怒られた経験があるのかもしれません。また怒られると思ったのかもしれません。先生はそんなことでいちいち怒ったりはしないから大丈夫。安心しなさい。

 そんな思いをこめて「そうですか」と答えます。そっけない反応を返す。これが他人である先生にできることです。その反応を見て、きっとその子は「あれ、そんなに大したことじゃないのかな」と思うはずです。それでいいのです。

 他にも、ちょっとしたかすり傷で「先生!血が出た!」と涙目でやってくる子どもがいます。そんな子にも同じです。「そうですか」とだけ言ってようすを見ます。もしかすると冷たい人に見えるかもしれませんが、これが一番の薬だと思っています。

 ときどきこんな先生がいます。怪我をした子どもに対して「うわ!痛そう!大丈夫?ちょっと待っててね!すぐに消毒するからね!」とばたばたする先生。基本、語尾には感嘆符がついています。一見すると、こちらの方が子どもの気もちに寄り添って心配してあげる優しい先生に見えるかもしれませんが、それは大間違いです。大人に「うわ!痛そう!」だなんて言われたら、痛くもなかった傷がだんだん痛く感じるようになってしまいます。幻想だった大事件が、本当に大事件になってしまうのです。すると、どうでしょう。その子はきっと、今後もちょっとしたことでも騒ぐようになります。

 

「もしかしたらぼくは病気なのかもしれない」

 

「うわああああ!教室にハチが入ってきた!」

 

「だれかに消しゴムを盗まれた」

 

 そりゃあ、おひるごはんを食べたあとにおにごっこをしたらおなかが痛くなることもあるよ。そりゃあ、窓を開けていたらハチが入ってくることもあるよ。そりゃあ、毎時間つかっていたら消しゴムが失くなることもあるよ。だから大丈夫。そんなに心配しなくても大丈夫。大したことじゃないから。

 先ほども述べたように、この「心配」を生み出している原因は間違いなく大人です。大人が子どもの気もちに寄り添うせいで、子どもは心配するのです。そんな大人の中でも、やはりもっとも影響力が大きいのは親です。心配性の子どもの親は、大抵子どもの気もちに寄り添ってしまうタイプです。信頼している親に心配されたら、そりゃあ心配にもなりますよ。そこに学校の先生が追い討ちをかけようものならもう最悪です。たぶんそんな子はサカムケが剥けただけで死んでしまいます。

 

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  だから「先生、宿題忘れました」には「そうですか」のひとことでいいのです。忘れた理由なんてなんだってかまいません。忘れたものはどうしようもありませんからね。明日もってくればそれでいいのです。もしそれで困ることがあるのなら、自分でなんとかすればいいではないですか。自分が忘れたのだから、自分で困って、自分でなんとかすればいいのです。

 ただし、なんとかなることをいいことに、忘れものをくり返すようになったら、それはまた別の注意が必要です。「忘れたこと」に対して注意するのではありません。「次に忘れないように対策を立てなかったこと」に対して注意するのです。「手帳に書く」でも「手に書く」でもなんだってかまいません。なにか対策を立てて実行していないのならば、それはただの甘えです。同じ過ちをただくり返しているだけです。

 対策を立てて、実行して、うまくいかなければ次の手を考える。うまくいけば、それを継続させる。対策を立てれば、今回のミスは次へ次へとつながります。しかしここで対策を立てていなければ、せっかくの「この世の終わりのような顔」は、その場しのぎの演技になってしまいます。

 どうせあなたのミスなんて、大したことではありません。おひるごはんをたべた後におにごっこをするとおなかが痛くなるのと同じです。窓を開けている教室にハチが入ってくるのと同じです。毎時間つかっている消しゴムがどこかへ転がって失くなってしまうのと同じです。大抵の「大きな問題」は大して大きくなんてないのです。

taishiowawa.hatenablog.com

 

 このように、世界が小さくなればなるほど、そこで起こる事件は相対的に大きくなります。逆に言えば、広い世界を知る者にとって、大抵のことは大した問題ではありません。ここの差はとても大きいように思います。何もせずに、同じ毎日を送っていると、世界は自動的に小さくなっていきます。いろいろなところへ行き、いろいろな人と話し、意図的に世界を拡大しなければ、目の前の問題はどんどん大きくなっていくのです。くり返しになりますが、「大きな問題を抱えている」ということは「それだけ小さな世界に生きている」ということでもあります。だれも大きな問題なんて抱えたくありませんからね。そのためにも大きな世界に生きていたいものです。