ツイートの3行目

小学校の先生です。ツイートは2行まで。3行目からをここに書いていきます。

【金】つくづく学校は「子どもを預かる場所」なんだなと思う

 

 おはようございます。やはりこうして延期や中止が続くと、ライブに行きたいという気持ちが増してきます。もちろん行くことはできないので、今日は過去にライブに行ったことのあるアーティストを思い出してみようと思います。

 RADWIMPS、BUMP OF CHICKEN、サカナクション、People In The Box、波多野裕文ソロ、the band apart、amazarashi、米津玄師、日食なつこ、スコット&リバース ......。他にも行ったのかもしれませんがパッと思い出したのはこのくらいでした。邦楽ロックにどハマりしていた過去が思い出されます。

 音楽ライブもそうですが、トークイベントや演劇にもどんどん足を運びたいと思っています。こんなご時世だからこそ見えてくるライブの魅力があるのかもしれませんね。どうも、インクです。

 

つくづく学校は「子どもを預かる場所」なんだなと思う

 風が吹けば桶屋が儲かる。コロナが流行れば宿題が増える。子どもが来なければ先生はやることがないと思っているでしょう。それは大きな間違いです。毎日てんやわんやです。

 上の決定ひとつですべてがひっくり返ります。「やる」と言うから一生懸命準備したのに「やっぱりやめる」でおしまいです。

 現場への伝達とプレス発表がまったく同じタイミングです。学校の先生も、みなさんと同じようにニュースを見てはじめて政府の決定を知ります。現場の職員なんてその程度の扱いだというわけです。そろそろやってられません。

taishiowawa.hatenablog.com

 そんな状況下にある学校で過ごしていると、つくづく学校は「子どもを預かる場所」なんだなと思います。勉強なんてしなくても、生活にはなんの支障もありません。トイレの後に困ることもありませんし、免疫力が弱まることもありません。

 休校になることのいちばんの問題は「子どもがずっと家にいる」ということなのです。子どもがずっと家にいると、大人の動きが制限されます。ごはんを用意しなければなりませんし、遊び相手にならなければなりません。そのせいで、仕事を休まなければならなくなるということもあるでしょう。

 勉強をしなくても困らないけれど、子どもが家にいると困るのです。いかに「勉強」が贅沢品であり、いかに「学校」が託児所としての役割を担っているのかがよくわかります。

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 そんなご時世にも関わらず、学校の先生はとにもかくにも勉強をさせようとします。学校が休みだということは宿題を出さないと。学校が休みだということは宿題を出さないと。学校が休みだということは宿題を出さないと。

 宿題とは、要するに「あなたを信用していません」という意思表明です。強制しなければどうせやらないんでしょ。勉強のやり方もどうせわからないんでしょ。それなら黙って言われたとおりにやりなさい。なにも考えずに与えられたものをこなしなさい。それが「宿題」というものです。

 学校の先生は、これを優しさだと思っています。何をやらせようかと一生懸命頭を悩ませ、馬鹿みたいに時間をかけて一生懸命プリントを印刷し、とんでもない労力をかけて一生懸命宿題をつくります。すべては子どもたちのため。だれもがそう信じています。

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 子どもたちにとって、宿題は作業です。終わらせることが目的です。身についているかどうかなんて知ったこっちゃありません。何をすれば知りたいことが知れるのか。どのくらいやれば自分の力になるのか。そんなことを考える必要はありません。目の前にある与えられたものを、ただこなしていればそれでいいのです。自分で考えなくたって、大人が勝手に決めてくれています。自分で考えなくたって、空欄を埋めていけばいいのです。

 逆に言えば、大人はこのような「子どもが考える機会」をとことん奪っていることになります。どうせ自分で判断できない。どうせ自分で決められない。だからわたしたちが用意してあげないと。

 余計なお世話だってんだ。それを本気で子どもたちのためだと思っているわけですから、もう救いようがありません。自分がでしゃばりたいだけではありませんか。子どものためになっていると信じ込みたいだけではありませんか。子どもをつかって自分の存在価値を確かめたいだけではありませんか。子どもの時間と機会を奪っておいて、なにが「子どものため」だよ。本当にタチが悪い。

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  すこしベクトルを変えるなら、子どもだけでなく「親も信用されていない」と捉えることもできます。家庭学習を親に任せても、どうせロクなことにならない。どうせまともに教えられない。だから黙って言ったとおりにやりなさい。なにも考えずに与えられたものをやらせなさい。それが「宿題」というものです。

 学校の先生は、これを優しさだと思っています。何をやらせようかと一生懸命頭を悩ませ、馬鹿みたいに時間をかけて一生懸命プリントを印刷し、とんでもない労力をかけて一生懸命宿題をつくります。すべては子どもたちのため。そして、保護者のため。だれもがそう信じています。

 しかも、そんな先生が「熱心ですばらしい」と称えられるわけです。本当にどうかしています。あの太陽が偽物だって、どうしてだれも気づかないんだろう。

taishiowawa.hatenablog.com

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 だからといって「宿題なんて今すぐ廃止してしまえ!」というわけにもいきません。やめるからには、やめても問題がないシステムをつくらなければなりません。だれかに言われなくても自分から学びたくなるような仕掛けが必要ですし、学びたいと思ったときに十分に学べるだけの手段も必要になります。

 言い換えれば、先生の仕事はこれです。学びたくなるきっかけをつくり、学ぶための手段を与える。あとはご自由に。このくらいでいいのです。

 今の先生は本当にただのおせっかいです。小学生にもなれば、自分で歯も磨けるし、自分で着替えられるし、自分で勉強だってできるはずです。どうして勉強はひとりでできないと決めつけるのですしょうか。むしろ大人が勝手に決めつけてしまうせいで、子どもたちができないフリをしなければならない状況が生まれているのではないでしょうか。

 崖の淵に立って、転げ落ちそうになったときには助けるからさ。何も気にせず自由に走り回りなさい。

 

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