ツイートの3行目

小学校の先生です。ツイートは2行まで。3行目からをここに書いていきます。

【水】大人が子どもに教えるのは手段のバリエーション

 

 おはようございます。暖房の温度設定がいまいちよくわかりません。何度に設定すればちょうどよい暖かさになるのでしょう。冷房はわかるんです。よく言われている28度は暑いです。個人的には26度くらいが好みです。ただそれが、暖房となるとまったくわからなくなってしまいます。22度くらいが適温ですか? いや、でも冷房の22度ってめちゃくちゃ寒いですよね。冬に22度に設定した冷房をかけたら凍え死んでしまいます。いや、待てよ。そもそも冷房の22度と暖房の22度ってちがうのか? ちがうとしたら何を基準に22度と言っているんだ? 室温が22度になるわけではないのか?  冷房と暖房って一体なにがちがうんだ? 冷暖房に詳しい195センチ以上の方が、読者の中にいらっしゃいましたらぜひ教えてください。どうも、インクです。

 

大人が子どもに教えるのは手段のバリエーション

  学校の先生は大抵、ひとつやふたつの集団あそびを知っています。いわゆるレクリエーションというやつです。このレクリエーションの引き出しの豊富さを武器にしている先生もいるくらいです。レクリエーションに関する本もたくさん出版されています。

 そんなレクリエーションには、くそつまらないものからほんのちょっとだけつまらないものまで、たくさんの種類があります。学校の先生は、仕入れてきたレクリエーションを子どもたちに紹介し、みんなで一緒に楽しみます。

 もちろん筆者も先生のはしくれですので、いろいろなレクリエーションを子どもたちと一緒に試してきました。その結果、以下のふたつのどちらかに属しているレクリエーションには、それなりの価値があるのかもしれないと思うようになりました。ひとつは、ただの気分転換としてサクっと行えるもの。そしてもうひとつは、戦略性があり自分たちで新しいルールをつけ加えられるものです。

 たかがレクリエーション。されどレクリエーション。どうせ行うのであれば、はっきりとした目的をもって行いたいものです。レクリエーションはあくまでも手段ですからね。目的になってしまわないように気をつけなければなりません。

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 一度レクリエーションを子どもたちに教えると「先生、またアレやりたい」と言ってくるようになります。おもしろいもので、子どもたちは同じ遊びを何度だってくり返します。大人からすれば「そんなにやって飽きないの?」と思うくらい、何度も何度もやろうとします。

 そんな子どもたちの姿を見ていると、ふとこんなことを思いました。当たり前と言えば当たり前なのですが、子どもたちは基本的に「知っている遊び」の中から「やりたい遊び」を選んでいるのです。逆に言えば「知らない遊び」をやろうとすることはありません。まあ、知らなきゃできないから当たり前なんですけどね。

 要するに、大人が新しい遊びを教えてやることで、子どもたちの選択肢は増えていきます。このときに「これだ!」と思いました。これまでは、どうにかして「目的」を教えようとしていました。ルールの目的、集団の目的、遊びの目的、勉強の目的。目的をもたねば始まらない。そんなふうに思っていました。

 しかし、改めて考えてみると、目的なんて他の誰かが決めるものではないのかもしれません。このブログでもよく言っているように、結局はその人が信じたいものを信じればよいわけですからね。

 本来「目的」とは主体的で能動的で、出発地点には知的好奇心がある。そんなものであるはずなのです。だからこそ「目的」は人によって違います。30人いれば30通りの目的があります。大人が一方的に定めてしまうものではありません。

 大人は、それぞれの子が目的に向かっていけるように、手段のバリエーションを与えてやればいいのです。あとは子どもたちが勝手に進んで行きます。何かを知りたいと思ったときに、どんな調べ方ができるのか。「本をさがす」という選択肢しかもたなかった子どもたちに「インタビュー」のやり方を教える。「本をさがす」という選択肢しかもたなかった子どもたちに「アンケート」のとり方を教える。「本をさがす」という選択肢しかもたなかった子どもたちに「パソコン」のつかい方を教える。そうすることで、子どもたちの「手段」にはバリエーションが生まれ、思考しながら「目的」に向かっていくことができるようになるのです。

 子どもたちはすごいですからね。「手段」さえ与えてやれば、きっと大人の想像をはるかに上回るものをつくりあげてみせると思います。パワーポイントなんて教えたらすごいですよほんと。大人が「それどうやってやったの?」と思うようなプレゼン資料を簡単につくりあげてみせますからね。

taishiowawa.hatenablog.com

 

 

 ただし、先生は先生で、先生の「目的」はもっておかなければなりません。また場合によっては集団で「目的」をひとつにするべきタイミングもあるでしょう。だから「目的」の重要性が変わるわけではありません。あくまでもものごとの順序は、目的 → 目標 → 手段 です。その上で、大人の力で充実させてやることができるのは「手段」なのではないかという話でした。「目的」や「目標」はどうでもいいという話ではないので、くれぐれもご理解のほどよろしくお願いします。