ツイートの3行目

小学校の先生です。ツイートは2行まで。3行目からをここに書いていきます。

【木】「遠慮」は相手のことを知らないから念のためにするものであってプラスの要素ではない

 

 おはようございます。昨日なにも考えずにぼんやりと電車に乗り込むと、反対方向へと動き出しました。2駅進んだところでそのことに気づき、そこから折り返して、学校には滑り込みでセーフでした。なるほど。2駅ならば大丈夫ということですね。思わぬハプニングでしたがよいデータを得ることができました。2駅ならば大丈夫。どうも、インクです。

 

「遠慮」は相手のことを知らないから念のためにするものであってプラスの要素ではない

 先生アカウントの中では随分と話題になっていましたが、教育業界には異動先の学校に菓子折をもっていくという風習があります。

 もちろん地域によってちがいはあるでしょうし、一般企業でも同じようなことがあるのかもしれません。まあどちらにせよ、教育業界にそのような風習があるということは事実です。

 個人的には「そんなものいらないだろう」と思っているのですが、やはり新しい環境に飛び込む若手としては不安です。他の人たちが全員もってきているのに、自分だけが手ぶらだったらどうしよう。はじめから悪い印象をもたれたらどうしよう。いろいろなことを考えてしまいます。

 「そんなことをいちいち言ってくるような人のことなんて気にしなくてもいい」という意見もわかります。ただ、大抵の場合はそういう人が職員室で権力を握っています。だれもが「上手に付き合っていく」という道を選ばざるをえないあの人のことです。

taishiowawa.hatenablog.com

 この記事にも書いたように、今年は異動だったので、どうしようかとかなり迷いました。前任校の先輩や管理職に相談すると返ってくる答えは同じです。

 

 もっていった方が無難。

 どんな人がいるかわからないから。

 

 たしかにそのとおりです。どんな人がいるのか。どんな職員室なのか。なにもわからない状態で新しい環境に飛び込みます。菓子折なんて悪き風習だと思っていますが、わざわざここで尖る必要があるのかと考えると、どうでもいいような気がしてきます。ここにこだわるほどの価値があるのかというと、間違いなくありません。自分にとってそんなに大切なことではないのです。

 価値がない。大切ではない。 だから、もっていくという選択をとりました。こんなところで無駄に悩んでいる方がばからしいくなってきたのです。要するに、この悪しき風習を断ち切るために、わざわざリスクを背負うほどの価値がここにはないというわけです。だからこそ、風習として長く続いてしまっているのでしょうけどね。

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 これがもし、よく知っている相手に対してだったらどうでしょう。仲のよい友だちの家に行くときに菓子折りをもっていくでしょうか。「手ぶらでいっても何も思わないだろう」ということがわかっていれば、わざわざもっていく必要なんてないのです。

 知らないからこそもっていきます。もしかしたら気にする人がいるかもしれないからもっていきます。すべては念のためです。最悪の事態を想定して、できる限りの準備をしておこうというわけです。未知との遭遇に対して、万全の体制を整えることはある意味当然だと言えるのではないでしょうか。

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  この菓子折りの風習とよく似たものに「遠慮」があります。もしかすると、相手が嫌な思いをするかもしれない。もしかすると、悪く思われてしまうかもしれない。だからやめておこう。これが「遠慮」です。

 要するに、相手のことをよく知らないからこそ生まれてくる感情です。あの人はこのくらいのことで嫌がったりはしない。あの人はこのくらいのことで人を悪く思ったりはしない。それがわかっていれば、遠慮する必要なんてないのです。

 タイトルにもあるとおり、「遠慮」は念のためにするものであって、美徳でもなんでもありません。なにかをくれると言うのならありがたくもらっておけばいいのです。いいところを褒めてくれたのなら素直に喜べばいいのです。

 そのためにも、相手のことをよく知らなければなりません。「遠慮」をするということは、相手を知らない証拠なのです。

 ただし、途中にも登場した【だれもが「上手に付き合っていく」という道を選ばざるをえないあの人】のように、知っているからこそ「遠慮」をしなければならないような相手も存在します。逆に「どうせ今日しか会わないから遠慮しなくてもいいや」というような関係性も存在します。

 まあいずれにせよ、相手のことを知る、相手との関係性を捉えるという意味では同じです。あくまでも「遠慮」は、念のためにするもの。相手のことがわかってきているにも関わらず、いつまでも「遠慮」を続けてしまうと、それが逆に相手との距離を遠ざけることになってしまうかもしれません。

taishiowawa.hatenablog.com

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 関係性を考えると、先輩・後輩間で「遠慮」が発生することが多いような気がします。むしろ「遠慮 = 礼儀正しい」と捉えらているような気さえします。

 個人的に、ずっと「遠慮」している人って苦手です。つまらないと思ってしまいます。ぼくは結構です。わたしはやめておきます。すべて人任せにしているように見えるんですよね。

 ぼくはこれがしたいです。わたしといっしょにこれをしませんか。こういう人の方が断然おもしろいとは思いませんか。

 「もしよければ」という枕詞もいりません。遠慮のない「これがやりたい」がぶつかることで、はじめておもしろいものが生まれてくるような気がします。