おはようございます。アイスコーヒーとホットコーヒーの狭間にある季節になりました。ホットコーヒーを飲んでホッとしながらも、アイスコーヒーを飲めなくなってしまうという名残惜しさもあるわけです。
毎日のようにコーヒーを飲む家で生まれ育ったので、ひとり暮らしをしている今でも、コーヒーを飲むことは習慣になっています。ミルクは入れるけれど、砂糖は入れない。これがうちのコーヒーの基本です。
ときどき、某コーヒーショップで売られているような無償に甘いコーヒーを飲みたくなることもありますが、あれはもはや別の飲みものだと思っています。
本格派からすれば、ミルクを入れることですら邪道なのでしょうけどね。まあ、そこはまだまだお子ちゃまだということで見逃してもらうしかありません。いつかはかっこよくブラックで飲める大人になりたいものです。どうも、インクです。
その先に幸せは待っているのかい
その先に幸せは待っているのかい
— インク@青年求職家 (@firesign_ink) 2020年3月21日
愚かな人や未熟な人なんて、この世界にはいくらでもいて。きっと自分もそんな人間のひとりで。そして、そんな人間を否定することはものすごく簡単で。
他者を否定しているときだけは、自分が正しいことを言っているように思えて。自分を否定しているときだけは、仕方がないと諦めることができて。
だから否定をやめられなくて。誰かを傷つけることをやめられなくて。自分を傷つけることをやめられなくて。こうして世界は回っているというわけで。
はたしてその先に幸せは待っているのでしょうか。くり返しにはなりますが、愚かな人や未熟な人を否定することは簡単です。論理矛盾を指摘すれば自分が賢くなったような気になれますし、非道徳的な言動を否定すれば多くの人が味方になってくれます。
その瞬間はたしかに気もちがよいのかもしれません。相対的に自分が優位に立てたように思えるのかもしれません。しかし、長い目で見たときに、はたしてそこには本当に幸せが待っているのでしょうか。
べつに「否定すること」を否定したいわけではありません。否定から生まれるエネルギーは間違いなく大きいですからね。ものごとの出発点には、大抵「疑い」や「不満」という名の否定があります。むしろ、これらの感情があったからこそ人類がここまで進化してきたと言っても過言ではないでしょう。
結局はこの「否定すること」から生まれるエネルギーをどのように利用するのかという話です。ただ否定しても、何にも繋がりません。それはただの「文句」であり、他者に向けられれば「攻撃」です。
「間違いを正すのは相手のためだ」なんて言いはじめたらもうおしまいです。相手を傷つけてしまっていることを見ないようにするために、正当化しているに過ぎません。「否定すること」の心地よさを失わないように、必死に自分を守っているのでしょう。
と、こんなことを言ってはいますが、結局はこの記事だってどこかの誰かを否定しているということになります。そこから生じる心地のよさを感じながら、書いているというわけです。
まだまだ模索中ではありますが、否定のもうひとつ先へ進まなければなりません。何度も言いますが、否定そのものがわるいということではありません。幸せを見越した上で、否定のもうひとつ先までをもデザインしなければならないというわけです。
そして、たぶんではありますが、すてきでおもしろい大人たちは、この「否定の先」からものごとを見ています。もちろん、経験と実績によって、目の前の景色を変えられるだけの力をもっているということもあるのでしょうが、いずれにせよ否定しているだけでは、どこにも行くことはできません。
他者を簡単に否定することのできる時代だからこそ、もうすこし真摯に「否定」と向き合わなければならないのではないでしょうか。この記事によって、否定されたあなたには申し訳なく思います。ただ、そんなあなたを傷つける覚悟で書いています。そして、この先には幸せが待っていると信じています。
【今後の予定】
①9月30日(水)こきけんよう Vol.12
②10月17日(土)Coming soon ...
③10月26日(土)Coming soon ...
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①9月30日(水)こきけんよう Vol.12
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