おはようございます。学校の先生は、職員室のほかに教室という仕事場をもっています。職員室に疲れたら、教室というひとりの空間に逃げ込めるというわけです。もちろん人によるのでしょうが、筆者はこの教室という空間をかなり重宝しています。
たしかに、職員室にいればすぐに情報を得ることができますし、わからないことがあれば人に尋ねることができます。しかし、やっぱり職員室ってしんどいですよね。べつにパワハラをされているわけでもなんでもないのですが、それでも疲れはたまっていきます。
ただその一方で、教室に引きこもりすぎるのもあまりよくないという風潮もあるんですよね。ひとりで勝手に進めているように見えたり、ほかの人を敬遠しているように見えたり。だからこそ職員室いる時間と教室にいる時間とのバランスは、先生という仕事において意外と重要なポイントだと思っています。どうも、インクです。
明日できることは明日やればいいんだよ
明日できることは明日やればいいんだよ
— インク@小学校の先生 (@firesign_ink) 2020年5月26日
「明日は時間があるから今日はここまでにしよう」という発想が職員室にはありません。すこしでも時間があるのなら、すべてを今日中にやろうとします。今はじめたら絶対に定時をすぎてしまうのに。そんなことはおかまいなしです。
なぜならそもそも定時に帰ろうだなんて思っていないからです。今日中に始められるすべてのものに手を出して、定時が過ぎても続けようとします。これが先生の働き方です。たしかに業務量は多いです。とてもじゃないけど定時には帰れないような日もあります。
しかし、問題は業務量だけではありません。明らかに定時に帰れる日でも、席を離れようとしないのです。嘘ではありません。本当です。本当なんですって。信じてください。「明日やればいいじゃん」というようなことを一生懸命やっているのです。
きっと学校の先生は、どこかでこの忙しさに誇りのようなものを感じてしまっているのでしょう。「子どもたちのために」と身を粉にして働く自分に酔ってしまっているのです。
これは内部にいる人間だからこそ言えることです。外部の人間がおなじことを言ってしまうと、先生たちから反感を買ってしまうことでしょう。
もしかすると、ほかの職業でも似たようなことが言えるのかもしれませんが、学校の先生には特に当てはまる傾向だと思います。やってられないんですよね。子どもたちのためになっていると思っていないと。「子どもたちにとって自分は必要なんだ」と、そう信じたいのです。
そんな思いをもったまま年数を積み重ねてしまうと、いずれはそれを「生きがい」だと信じ込むようになります。自分の生きがいを子どもたちに託すようになるのです。おそろしい話ですよね。子どもたちからすればいい迷惑です。
先生と児童・生徒という関係性にあれど、言ってしまえば赤の他人です。先生なんて、たまたま行くことになった学校に、たまたまいた大人でしかありません。そんな大人に生きがいを託されたらたまったもんじゃありません。先生の生きがいのために子どもたちが学校に来るわけではないのです。
この沼、いちどハマるとなかなか抜け出せなくなります。子どもたちのためにと一生懸命がんばる → 子どもたちにとって自分は必要なんだと信じ込む → この仕事こそが生きがいなのだと信じ込む → 自分にはこれしかないのだと信じ込む → さらに時間をかけて一生懸命がんばる → ・・・という悪循環に陥ってしまうのです。
まあ、べつにいいんですけどね。その人のことですから勝手にしてくれれば。ただですね。わりと厄介なのが、このような先生を「熱心だ」と評価する風潮が職員室にはあるということです。そこから生まれる同調圧力ったら厄介以外のなにものでもありません。
定時を過ぎても職員室にいることが前提に話が進んでいたり、始業前に学校に来ていることが前提に話が進んでいたりしますからね。それを「おかしい」ではなく「熱心だ」と捉えているわけですから、もうどうしようもありません。
今さら言うのも野暮ですが、今日の話は「定時」という時間の話でも「残業代」というお金の話でもありません。たしかに「定時」も「残業代」も、働き方改革においては具体的なポイントなんですけどね。そのあたりの話についてはもっと詳しい人がいると思いますので、ぜひほかの人から聞いてみてください。
結局のところ、今日の記事で話したかったのは「学校の先生としての生き方」についてです。たしかに学校の先生の仕事って、子どもたちのためにあるものなのですが「だれかのためにがんばる」って、実はいろいろな危険性をはらんでいるものです。
くわしくはこちらの記事をご覧ください。「あなたのため」が一番こわいのです。途中でも話したように、この「あなたのため」に「自分にはこれしかない」がかけ合わされるからこそ、とんでもないモンスターが生まれます。
くり返しになりますが「あなたのため」を生きがいにされちゃあ、相手にとってはありがた迷惑でしかありません。カッコよく言い換えるのであれば「自分の人生を生きろよ」という話です。「あなたのため」と言うのは一種の「逃げ」です。それを生きがいにすることなんてもっと「逃げ」です。カッコよかったので最後にもういちどだけ言っておきますね。自分の人生を生きろよ。
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