【火】子どもが来ないのにやることがなくならない学校のフシギ
おはようございます。「トンボ」と聞いて何を思い浮かべますか。ホバリングしながら空を飛ぶあのトンボですか。プロペラをつけた自転車で空を飛ぼうとしたあのトンボですか。それとも、鉛筆や消しゴムをつくっているあのトンボですか。
今日お話したいのは、どのトンボでもありません。木や鉄でできたあのトンボです。下級生が進んで持たなければならないあのトンボです。もうおわかりですよね。そうです。グラウンド整備につかうあのトンボです。正式名称は「グラウンドレーキ」というです。
昔からあのトンボをつかったグラウンド整備が大すきでした。目に見えてグラウンドがキレイになっていくあのかんじや、効率を求めて間隔を調整して歩くあのかんじ。こちらの美学が試されているようで、とてもわくわくするのです。中高生のころは、一度でいいからひとりで全部やらせてくれと思っていました。グラウンドの隅から隅まで完璧な整地をしてみたい。そんなことを考えていました。
一般的にグラウンド整備は、どちらかと言えば「やりたくないこと」という位置づけにあると思っています。「紅白戦をして負けたチームが罰ゲームで整地をする」なんていうこともよくあるのではないでしょうか。しかしそんな中でも、きっと筆者と同じように、グラウンド整備の魅力にとりつかれていた人がいるはずです。あなたもそうですよね。あなたもそうですよね。きっとたくさんの人が「わかります!」というコメントをくださるのだろうなと思っています。どうも、トンボです。すみません。まちがえました。どうも、インクです。
子どもが来ないのにやることがなくならない学校のフシギ
子どもが来ないのにやることがなくならない学校のフシギ
— インク@小学校の先生 (@firesign_ink) 2020年3月9日
2020年2月27日(金)の夕方、日本全国の職員室が一斉にどよめきました。「全国の小中学校、高校、特別支援学校に対して、臨時休校を要請する」というニュースが流れた日でした。わたしたち現場の教員も、このニュースを見てはじめて知りました。どうやら月曜日から学校が休みになるらしい。
実際のところ、そこから先の判断は各自治体に委ねられました。月曜日から休校に入ると決めた自治体があったり、猶予をもって月曜日までは登校させるという自治体があったり。それよりも前にすでに休校措置をとっている自治体があったり。休校措置はとらないという自治体があったり。対応は様々でした。詳しい動向については他の人が書いた記事を読んでいただいた方が正確でわかりやすいと思いますので、この記事では割愛させていただこうと思います。
休校要請があってからかれこれ2週目に入っているわけですが、きっとみなさんの中にはこのような疑問があるはずです。
現場にいる小学校の先生として、今日はこの疑問にお答えできたらなと思います。そりゃあ疑問に思いますよね。子どもと過ごすことが先生の仕事なのに、当の子どもが学校に来ていないわけですからね。学校の先生が何をしているのか。わからなくて当然です。
はじめに断っておきますが、どんなにがんばっても自分の学校以外のことは噂話程度にしか知りません。身バレをするわけにもいかないので、自分の学校のこともそこまで詳しくお話するわけにもいきません。くれぐれもそこだけはご了承の上でつづきをお読みください。
実はツイッター上で、以前同じ質問を受けたことがあります。そのときに、わりと簡潔に回答していますので、詳しいことを話しはじめる前にまずはそちらのツイートをご覧ください。
ビーチでバカンス https://t.co/vX8EeuoMrr
— インク@小学校の先生 (@firesign_ink) 2020年3月4日
休校中、学校の先生はビーチでバカンスをしています。そりゃそうです。子どもたちが来ないわけですからね。授業もないし、ケンカもおきないし。やることがありません。だからこそ、日頃の疲れを癒す絶好のチャンスです。こんなときくらいビーチでゆっくりしたっていいではないですか。日焼け止めだけは忘れずに塗ろうと思います。
とまあ、そんな冗談はさておいて、もう少しだけ現実的な話をしていこうと思います。結論を先に言ってしまうと、子どもが来なくてもやるべきことはあります。それも、山のようにあります。具体的にやらなければならないことをすべて挙げ始めるとキリがないので、主な業務をいくつかご紹介しようと思います。
もしかすると想像しづらいものもあるかもしれませんが、これらをこなしているとあっという間に1日が終わります。しつこいですが、これらはほんの一部です。休校明けの計画や校区内パトロールなど、ほかにもやらなければならない業務はいくらでもあります。正直やってられません。
そして何よりもこわいのが、これらの業務は、子どもが来ていたとしてもやらなければならないものばかりだということです。
今きっとみなさんは「は?」と思ったことでしょう。きっと半分くらいの人は「は?」と声に出したと思います。そりゃそうですよね。子どもがいないときにやって、朝から晩までかかるような仕事を、子どもがいるときにも同じようにこなさなければならないのです。本当にわけがわかりません。
教員は地方公務員にあたるので、定時は17時です。しかし、17時になっても誰も席を立とうとしません。なんなら、むしろこれからだくらいの勢いでパソコンに向かっています。唯一、17時10分に動き出した先生は「今日は歯医者があるのですみません」と言いながら職員室を出ていきました。もう本当にわけがわかりません。
子どもが学校に来ないのに、どうして先生は一生懸命働いているのでしょうか。子どもが学校に来ないのに、どうして17時に誰も動き出さないのでしょうか。子どもが学校に来ないのに、どうしてやることがなくならないのでしょうか。フシギでフシギで仕方がありません。
今日は「業務量の多さ」という観点から話を進めましたが、働き方改革を進めるためには、もっと根本的なところを改善しないといけないような気もします。内部にいる人間なのでどうしても客観性に欠けてしまうのですが、きっと学校の先生は働くことが下手なのだろうなと思います。
定時という概念を失ってしまっているので、ゴールのないマラソンを走り続けているようなものです。立てなくなったら今日はそこまで。つづきはまた明日。そんな日々のくり返しです。ゴールが決まっていないので、ペース配分もわかりません。効率もへったくれもなくなってしまいます。
そんな中で筆者は「こんなときくらいはせめて」と思って、がんばって定時に帰るようにしています。がんばって帰るという意味もわからないんですけどね。そして、持ち帰り仕事もできるだけしないようにしています。学校でみんなと同じようにがんばっているのだから何とかなるでしょ。
というわけで、子どもたちが来ないことによって、ひとりの学校の先生は定時に帰れるようになりました。そして、家に帰ってから仕事をしなくても何とかなるようになりました。あれ、何かがおかしいようなおかしくないような。まあ、いいや。それではお先に失礼します。