【日】おもしろくなりたければ「つまらない」という感覚に敏感になるのです
おはようございます。今さらですが、このブログはあなたにとって何の役にも立ちません。小学校の先生としてのノウハウが書かれているわけでもありませんし、前向きに生きていくための啓発を促すようなことが書かれているわけでもありません。
単純に、自分が読みたいと思ったことを書いているだけです。ラーメンズの小林賢太郎さんが「ボクらの時代」でスベることについて質問されたときに「すくなくとも僕は笑っていますから。自分が書いた台本で」と答えていました。
これと同じです。少なくとも自分が書いた文章を、自分はおもしろいと思っています。だからそれでいいのです。そんな自分の「おもしろい」という感覚を、一緒におもしろがってくれる人がいるって、とてもとても幸せなことだと思っています。熱が冷めたときにのこるものを大切に。これからもどうぞよろしくお願いします。どうも、インクです。
おもしろくなりたければ「つまらない」という感覚に敏感になるのです
おもしろくなりたければ「つまらない」という感覚に敏感になるのです
— インク@小学校の先生 (@firesign_ink) 2020年3月31日
これまでは「専門家」のことを、とあるひとつの分野に突出している人を指すことばだと思っていました。しかし昨日、ふとしたタイミングで「そうではないのかもしれない」と思うようになりました。「専門」とは、とある分野に突出しているのではなく、他の分野にまで手を出す時間がないだけなのではないかと思ったのです。
要するに「本当ならあらゆる分野を網羅したいけれど、今手をつけている分野が奥深すぎて、他のものに手を出している余裕がない」というわけです。人生には限りがありますからね。その中でやりくりしようと思ったらどうしても選んでいかなければなりません。
先ほどと言っていることはまったく同じなのですが、視点は180度変わっています。はじめの「とある分野に突出している」という捉え方は、要はあらゆる分野から自分に合ったものを抜き取ったという形です。一方「他のものに手を出している時間がないだけ」という捉え方は、本当はすべてを望むけれど時間という制限のせいで渋々優先順位が低いものを遠ざけたという形になります。
伝わっていますかね。このちがい。自分の中ではこの視点がとても新しいものでした。基本的にものごとは表裏一体なので、裏を知るということは自ずと表を知ることにもつながります。なにごとにおいても、この両方の視点から見ることができるかどうかがかなり重要になってくると言えるでしょう。
はじめに話した「おもしろい」という感覚についても同様です。「おもしろい」の裏。要は「つまらない」というものが一体どういうものなのかを知れば、自ずと「おもしろい」を知ることにもつながります。
ここで考えなければならないのは、より適切なアプローチ方法です。「おもしろい」を知りたいと思ったときに、素直に「おもしろい」から攻めるのと、反対の「つまらない」から攻めるのとでは、どちらの方が「真のおもしろい」に近づくことができるでしょう。
これは、その人の性格や思考のクセにも大きく関係するかと思っています。筆者は間違いなく後者の「つまらない」から攻めていくタイプでした。こういう内容はつまらない。こういう書き方はつまらない。こういうテンションはつまらない。こういう言い回しはつまらない。
この「つまらない」という感覚を鋭くしていけば鋭くしていくほど、結果的にそこには「おもしろい」が残るというわけです。これが俗に言う「インプット」の成果です。
もちろん「おもしろい」から攻めることもできるのですが、人がつくりだした「おもしろい」を自分のものにするって実はけっこう難しいんですよね。よく学校の先生は「友だちのいいところをどんどんマネしなさい」と言いますが、実はあれ、かなり難しい要求をしています。
なぜなら、人のいいところやおもしろいところって 、その人だからこそ成立している場合がほとんどだからです。その人の人柄があるからこそ成立しているいいところだったり、その人の見た目だからこそ成立しているおもしろさだったり。
それを自分のものにしようと思ったら、いちど昇華して、アレンジして、自分に合った形に直さなければなりません。それにくらべて「つまらない」は、形を変えることなくそのまま蓄積させることができます。
また「つまらない」から攻めるもうひとつの利点としては、「つまらない」という負の要素を捨てなくても済むという点が挙げられます。どれだけつまらない話を聞かなければならない場面でも、どれだけつまらない文章を読まなければならない場面でも、この視点があればすべてを自分の表現につなげることができます。それらの「つまらない」を敏感に、かつ正確に受け取り「自分はそうならないようにしよう」と蓄えていけばいいのです。
もちろん場合によっては「おもしろい」から攻めた方がいいこともあるでしょう。両方の視点を常にもち、その場で必要な角度からものごとを見ることができたらベストです。
かわいくなりたいと願うのなら「かわいくない」に敏感になりましょう。かっこよくなりたいと願うのなら「かっこわるい」に敏感になりましょう。何かを変えたいと願うのなら「なぜそれが続いてきたのか」に敏感になりましょう。
どれだけ魅力的な視点をもっていたとしても、その矢印が一方向であれば結局はただの押し付けになってしまいます。入り口は絶対にひとつではありません。裏がない表なんてものは絶対に存在しませんからね。
昨日は「教育を存分に語れるバー」第4回を開催しました。参加者によって毎回のように毛色がガラリと変わるので、本当におもしろかったです。はじめから「真面目な話をしよう」という共通理解のもとで集まっているので、変な探り合いを抜きにして、はじめからある程度の熱量をもって話し始められるので、とてもいいなと思いました。
とくに「グーとパーでチーム分けをするときのかけ声」についての話は、まあ盛り上がりましたね。やっぱり地域によってまったく違うものです。あとは「パスタはミートソース派かクリームソース派か」という話も大爆笑でした。参加してくださった皆様どうもありがとうございました。
なかなか外にも出られないこんなご時世ですので、第5回も近いうちに開催できたらと思っています。今のところ、予定では5月9(土)です。テーマは未定です。くわしいことが決まれば、またお知らせしますので、お見逃しのないようによろしくお願いします。
ちなみに直近だと5月4日(月)に出現します。お楽しみに。
5月4日にとある方と対談します。ヒント:筋肉。お楽しみに。
— インク@小学校の先生 (@firesign_ink) 2020年4月30日
第4回 教育を存分に語れるバー【済】
テーマ:宿題の在り方
日時:2020年5月2日(土)20時ごろから
場所: ZOOM
第5回 教育を存分に語れるバー
テーマ:未定
日時:2020年5月9日(土)20時ごろから(仮)
場所: ZOOM