ツイートの3行目

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【火】目に映るすべてのことはメッセージ

 

 おはようございます。先日、ひさしぶりに宮崎駿監督の『魔女の宅急便』を観ました。観れば観るほどとんでもない映画ですね。キキの情緒の浮き沈みを、限りなく端的に、かつ視聴者に違和感を与えることなく描き出しています。変化を描くためには時間が必要です。しかし、時間が長すぎると「間延び」が生まれます。逆に短すぎると「違和感」が生まれます。この「変化」と「時間」のバランス感覚が本当に絶妙な作品だなと思わされました。

 ジジが最後まで人のことばを話さないところもいいですよね。AからBに変化してまたAに戻るのではなく、Bの先にあるものはA’ なのです。何を言っているのかわからないって? そんなことを言う人はもう一度観てください。AがBに変化して、その先はA’ になっていますから。どうもインクです。

 

目に映るすべてのことはメッセージ

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 さあ、そんな『魔女の宅急便』ですが、エンディングも非常に印象的ですよね。荒井由実こと松任谷由実ことユーミンの『やさしさに包まれたなら』です。完全に余談ですが、子どものころは「まつとう/やゆみ」さんだと思っていました。これだとヤユーミンになってしまいますね。すみません。話を戻します。この曲の中にこんなフレーズが出てきます。

 

 目に映るすべてのことはメッセージ。

 

 ふだんは何も考えずに聴いていましたが、今回はやけにこのことばが耳に残ったのです。目に映るすべてのことはメッセージ。なんだかうまくことばにはできないけれど、こいつは何かありそうだ。そんなふうに思っているときに、この映画を観ました。

 

『三島由紀夫 VS 東大全共闘 50年目の真実』

 

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  13歳の喜々とした少女はどこへ行ったのやら。完全にゴリゴリのおじさんです。もちろん左側にもっとも大きく映っているのが、この映画の主役でもある三島由紀夫です。三島由紀夫という人物の詳細や作品については、もっとわかりやすくて詳しい文献が山のようにあると思いますので、ここには書きません。自分で調べてみてください。

 先に言っておきますが、この映画、めちゃくちゃおもしろかったです。観ながらずっとニヤニヤしていました。ふだんは観た映画の話は書かないようにしているのですが、今回ばかりは少しだけ拾いたいと思います。この映画の中にこんな話が出てくるのです。

 

 人は事物との関係性の中でしか生きられないのか。

 

 まだ観ていない方もいらっしゃるかと思いますので。この先の話の展開は言いません。安心してください。ネタバレはありませんよ。このことばを拾いたかっただけです。

 人は事物との関係性の中でしか生きられないのか否か。なんだか難しい議題ですよね。ただ、勘のいい方はもうお気づきかもしれません。このことば、先ほどの「目に映るすべてのことはメッセージ」と、すこし重なる部分があります。

 

 目に映るすべてのことはメッセージ。

 人は事物との関係性の中でしか生きられないのか。

 

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  たとえばこのドア。きっとこの記事を読んでいる人の全員がドアノブを下げてドアの向こうへと進むことができるでしょう。なんなら、イヌやネコがドアを開ける動画なんかも出回っていますよね。どうしてみんなドアを開けられるのでしょうか。

 それは、ドアが「ドアノブを下げれば開くよ」というメッセージを発信しているからです。ふざけているわけではありません。大真面目です。ドアがメッセージを発信しているのです。

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 障子ならどうでしょう。もうおわかりですよね。障子は「横にスライドさせるのじゃ」というメッセージを発信しています。

 要するに、私たち人間がスライドさせて障子を開けているように見えて、実は障子にスライドさせられているのです。ドアにドアノブを下げさせられているのです。 デザインの世界ではこれを「アフォーダンス」と呼びます。

 これが「人は事物との関係性の中でしか生きられないのではないか」という意見です。当然ドアや障子以外のモノ、すべてに当てはまります。マグカップの持ち手に指をかけてコーヒーを飲みます。ペンのてっぺんをノックしてから文字を書きます。穴と同じ形の鍵を挿しこんで施錠します。目に映るすべてのものはメッセージだというわけです。

 

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 これに対して反対派はこう言います。ドアも障子も蹴破ってしまえば、事物との関係性がひっくり返る。そうすれば事物に人が操られることがなくなり、本当の意味での自由が訪れる。

 もちろんこれはあくまでもひとつの具体例であり、説明材料です。「蹴破る」だなんて言うと乱暴に聞こえるかもしれませんが、知らない間に勝手に規定された枠を意識下に置いて、自分の力で乗り越えようという至って理性的な考え方です。

 限りなく簡単に言えば、枠に囲まれている方が幸せなのか、囲まれていない方が幸せなのかという話です。かなりおもしろい対立構造ですよね。こうなってくると、そもそも生まれた時点で人は枠に囲まれているのか否かという問題や、仮に枠の外に出られたとしてそこに何があるのかという問題などへと発展していくことになります。

 

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 随分と観念的な話になってしまいましたが、おわかりいただけましたでしょうか。よくわからなかったという人は映画館に足を運んでこの映画を観てください。もちろん金曜ロードショーを見逃した人は『魔女の宅急便』も観てください。

 目に映るすべてのことはメッセージだったとして、わたしたち人間はそのメッセージに従うべきなのでしょうか? それとも自由を求めて立ち上がるべきなのでしょうか?

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 そう言えば、子どもって障子に穴をあけますよね。

 

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