おはようございます。小学校の先生にとって、学期末は繁盛期にあたります。成績表をつくらなければなりません。地域によっては「あゆみ」と呼ばれたり「通知表」と呼ばれたりするあの紙のことです。
これがまあ大変なわけです。過去のメモを掘り返しながら各教科の成績をつけて、顕著だった内容に関しては「所見」として書き表していきます。
ちなみにこれ、何人のクラスだろうが担任のお給料は変わりません。20数人の成績表をつくる先生も、40人近くの成績表をつくる先生も、待遇は何も変わらないのです。ほぼダブルスコアにも関わらずです。
宿題の丸つけとはわけが違いますからね。本当に大変だなと思います。筆者のクラスは30人に満たないくらいなので、まずまずといったところでしょう。
ここからもうすこし、この繁盛期がつづきます。こんなときこそ機嫌よく。ともにすてきな年末を迎えられるように頑張りましょう。どうも、インクです。
意味なく群れるよりも、意志のある孤立を。
意味なく群れるよりも、意志のある孤立を。
— インク@青年求職家 (@firesign_ink) 2020年11月28日
「 Salesforce 」というアメリカの会社の CM で用いられていたことばです。意味なく群れるよりも、意志のある孤立を。YouTube ではじめて観たときから、このことばが妙に印象に残っています。
ひとりの人間として、批判的に捉えているというわけでも、手放しに賛同しているというわけでもありません。単純に「どうしてわざわざこれをことばにしなければならなかったのだろう」と思ったのです。
意志をもって孤立して、しかもそれが成立しているのなら、それでよいではありませんか。わざわざカメラを前にして発信する必要はあるのでしょうか。
ここからは完全な推論でしかありませんが、わざわざ「意味なく群れるよりも、意志のある孤立を。」をことばにする理由を考えてみようと思います。
ひとつ目に考えられる理由は「意味なく群れることがスタンダードになっている現状がある」というものです。言い方を変えるなら、群れていなくちゃ不安を感じてしまうような空気感があるということです。
だからこそ、意味もないのに群れをつくります。協力して何かを成し遂げることが目的なのではなく、群れること自体が目的になってしまっているのです。
この価値観をつくり上げているのは間違いなく学校です。目的に合わせて群れを構成するのではなく、群れをつくってから目的を与えられますからね。
言わば、このセリフからは「群れることは手段である」ということと「目的を形成する意志を大切に」というメッセージを読み取ることができます。
孤立を勧めているのではなく、意志の大切さを説こうとしているというわけです。メインメッセージがそちらにあると考えるのなら、わざわざことばにすることへの合点がいくのではないでしょうか。
次に考えられる理由は「寂しさ」です。内に秘めた相反する感情とでも言いましょうか。意思をもって孤立したはいいものの、やはり寂しくなるわけです。
だからと言って、意味もなく群れてしまうと、自分の意志を曲げることになってしまいます。だからこそ、孤立した自己を他者の認識に住まわせるのです。そうすることで、孤立しながらにして、他者が自己の存在を証明してくれるようになります。
おそらくここで言う「孤立」ということばは「遮断」という意味合いではないのでしょう。それこそ「遮断」を意味するのなら、カメラの前で表現していることへの説明がつかなくなってしまいます。
そうなると、また新たな疑問が生まれてきます。「遮断」ではないのなら、ここで用いられている「孤立」とは、一体どのような意味なのでしょう。
まず間違いなく言えることは、選択肢のひとつとして「孤立」を提示しているということです。そして、現時点でそちらを選択する者はマイノリティであるということも、なんとなく伝わってきます。
でも、人類の歴史を振り返ってみれば、そりゃあそうですよね。これまでの世界なら、孤立は「死」を意味していました。捕食されるという意味での「死」であり、飢餓に苦しむという意味での「死」でした。
みんなで協力してマンモスを狩らなければ、自分の命が危ぶまれていたわけです。そりゃあ、手と手を取り合います。目的を共有した群れの形成です。
ところが、時代が進むにつれて、群れをつくる必要がなくなりました。ひとりでも 衣・食・住 を確保できるようになったのです。変化は革新的でした。
しかしそんな時代になった今でも、人々は「群れ」への信仰を忘れることができません。「ご近所付き合いがなくなって寂しい」だなんて言いながら、必死に「群れ」の価値を損なわないようにしているのです。
ここで、CM のキャッチコピーが効いてきます。次の世界へ。言ってしまえば、次の世界の象徴として「孤立」ということばが用いられているわけです。
群れなければ死んでしまう、その次の世界です。そう捉えると「寂しさ」ではなく「提案」としての「孤立」だということになりますね。
どれだけ今いる場所に安心感を覚えていたって、時代は常に変わり続けています。変化を望まないということは、川の真ん中に棒を立てるようなものです。
変化には不安がつきものですが、変わらずに踏ん張りつづけることも、それはそれで大変です。激流ですからね。その場に踏みとどまることに体力をつかっていると、いつかは飲み込まれてしまいます。
意味なく群れるよりも、意志のある孤立を。変化を拒むよりも、変化を楽しむ心を。人間次第で、この世界は、まだ面白くなる。次の世界へ。
【今後の予定】
①12月2日(水)こきけんよう Vol.21
②12月4日(金)らぱいんざWORLD Vol.9
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