ツイートの3行目

小学校の先生です。ツイートは2行まで。3行目からをここに書いていきます。

【水】おもしろい人はみんなおじさん

 

 おはようございます。昨日は、火曜日なのに夕方から飲むというわけのわからないことをしてきました。やっぱり頭がいい人というのは、まったく関係がないように思われるものを結びつけて話すのが上手ですね。こういう場では、聞くことに集中して、話すことを遠慮してしまいます。遠慮というか、聞くことに満足して「自分が話すことで流れを崩したくない」と思ってしまうんですよね。もっと話せるようになって、輪に入れれば楽しいのでしょうけれど。そのためにはやはりある程度の知識が必要ですね。どんなにがんばっても「すごしてきた時間の長さ」では大人たちに勝てません。時間をかけて勉強していきたいと思います。どうも、インクです。

 

おもしろい人はみんなおじさん 

 おもしろい人はみんなおじさんです。すみません、これだと「男女差別だ」と言われてしまいますね。おもしろい人はみんなおじさんかおばさんです。すみません、これだと「おじさんが先にくるだなんて男女差別だ」と言われてしまいますね。おもしろい人はみんなおださんです。これでいいですか。「おださん」にすれば男か女かわからないでしょ。ありがとう、小田さん。

 まあそれはさておき、やっぱりおもしろい人というのは、同世代ではなくおじさんかおばさんです。やはり積み上げてきたものが違います。どれだけがんばってもすごしてきた時間が違います。たとえ、そんな貴重な時間を無駄に過ごしてきた大人がたくさんいるといえども、やはりその時間を過ごしてきたという事実には変わりありません。

 若者は、どんなにがんばっても「すごしてきた時間」という観点において、大人たちには勝てません。ようやく追いついたとしても、そのころにはもう大人たちは寿命を迎えているでしょう。

 だからといって、大人の言うことはなんでも聞いておけというわけではありません。先ほども述べたように、時間を無駄にすごしてきた大人たちもたくさんいます。そんな大人たちに、自分の貴重な時間を割く必要はありません。パワハラなんてまさにそうです。そんな大人たちの「これもあなたのため」だなんて戯言を真に受ける必要なんてありません。

 

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 では、この「すごしたきた時間で大人には勝てない」という事実を受けて、若者はどのように振る舞えばよいのでしょうか。若者としての振る舞いって意外と難しいと思うんですよね。

 たとえば「大人なんてつまらねえ!オレが時代を変えるんだ!」とイキり立っている若者たちの大半はスベっています。痛々しさすら感じます。その原因は、大人へのリスペクトを感じられないからです。大人はつまらない。オレは優秀。そう思ってしまっている節が見え隠れしてしまいます。大人たちからは「なにも知らないくせして一生懸命になっちゃってかわいいね」とあしらわれて終わりです。ときどき「若者の感覚に委ねるべきだ」と主張している大人がいますが、それすらも大人たちの優しさだということに若者は気がついていません。若者はどこまでいっても未熟なのです。

 では、今度は反対に、この未熟さを前面に押し出すというのはどうでしょう。「わたしなんてまだまだですから!勉強させてください!」という若者。うまくやれば太鼓持ちとして可愛がられるかもしれませんが、謙虚すぎると、自分からは何も生み出そうとしていない感じがしてつまらなくなってしまいます。

 だからある意味若者は「生意気さ」と「謙虚さ」の板挟みにあっていると言えます。どちらかに偏りすぎるとつまらないし、どちらもバランスよく持ち合わせるというのは至難の技です。だからこそ、ある程度はどちらかを選択するしかないのかなと思います。今のところは「生意気に入って間違いを指摘されたら素直に認める」というのが一番いいのかなと思っています。

taishiowawa.hatenablog.com

 

 こういう話をしていると時々「そんなこといちいち考えずに好きなように生きようよ」と言ってくる人がいます。「好きなように生きる」と聞くと、一見前向きなように聞こえますが、このことばは「逃げ」でしかないと思っています。だって、なんでもOKですからね。どんな生き方をしていようとも「自分は好きなように生きている」と言ってしまえばそれで済みます。これを自覚してやっているのならまだいいですが、こういうことを言う人たちのほとんどはそんなつもりで言っていません。ダラダラするための言い訳として利用しているだけです。好きなように生きているだけでは、気がついたころには死んでいますよ。残された時間は驚くほど短いです。そんな残りの人生を君たちはどう生きるか