ツイートの3行目

小学校の先生です。ツイートは2行まで。3行目からをここに書いていきます。

【月】子どもであることの不自由さ

 

 おはようございます。人混みを歩くコツは、誰かの後ろをついていくことです。風よけみたいに、人のうしろをぴたりとついて歩きます。ただし、ついていく人はよく選ばなければなりません。人混みを歩き慣れているであろう人を察知し、ポジション取りをしていきます。もし選ぶ人を間違えてしまったら、むしろ歩きづらい思いをすることになるでしょう。いるんですよ時々。急に立ち止まってうしろを振り返る人。本当に勘弁してほしいものです。

 「うしろをついていくお前が悪い」と言われてしまえば、たしかにその通りなのですが、やはり人の動きには流れがあります。その流れを無視して急に立ち止まるのはマナー違反だと言えるでしょう。一番最悪なのはエスカレーターです。エスカレーターを降りたその場所で立ち止まる人。これはもはや危険行為です。どこに行くのもその人の自由ですが、まわりにも歩いている人がいるということをよく意識しておかなければなりません。どうも、インクです。

 

子どもであることの不自由さ

 大人は子どものことを守ってあげていると思っています。だから時々、子どもに「感謝」を強要してしまうことがあります。今のあなたがあるのはお母さんやお父さんのおかげだよ。あなたのために一生懸命汗水たらして働いているんだよ。あなたのために毎日ごはんをつくっているんだよ。だから親には感謝して、大きくなったら親孝行するんだよ。

 たしかに言っていることは正しいのかもしれません。経済力をもたない子どもにとって、養ってくれる人の存在は必要不可欠です。育ててくれることに対して感謝の気もちを抱くことができたら、そこにはお互いにとって平和な世界が広がることでしょう。ただし、そのような「感謝の気もち」は、決して大人が子どもに強要するものではありません

  そもそも、子どもが生まれること自体が親の都合です。「都合」だなんて言うとなんだか無機質で冷たいことのように聞こえるかもしれませんが、これは変えがたい事実です。誕生そのものに、その子の意志は関係ありません。親が産みたいから産む。それが子どもです。だからこそ、親には子どもを育てる責任があります。いや、育てなければなりません。汗水垂らして働いて、ごはんを食べさせる。これは親としての義務なのです。

 だから、ある意味子どもにとって育ててもらうことは当たり前です。そんな話をしていると「世界にはごはんも食べさせてもらえない子どももいる」だのと語り始める人がいますが、それは当たり前であることを覆す理由にはなりません。水準を合わせるために変えるべきなのは「食べさせてもらえない子ども」の方です。「食べさせてもらえない」の方が、本当はあってはならないことなのです。「そんな子どもたちの境遇をなんとかして改善しよう」ならわかりますが、「下には下がいるのだから今の境遇をありがたく思いなさい」というのは少しおかしな話なのではないでしょうか。

 このように考えていくと「感謝」をするかしないかを選択するのは子どもだということがわかってきます。感謝をしたければすればいいし、したくなければしなくたってかまわないのです。それにも関わらず、現状としては、感謝をする子どもがよい子で、感謝をしない子どもはわるい子として扱われてしまっています。それこそ「感謝できるような環境で育っていない子どもだっている」という話です。先ほども述べたように、きっとそこに「感謝」があった方が、家族という集団は優しくて平和なものになります。感謝の気もちがあるにこしたことはないでしょう。ただし、感謝したくてもできないような家族があることも忘れてはなりません。

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 特に子どもが思春期にさしかかると、このような「大人の思い」と「子どもの思い」が交錯しはじめます。きっと誰もがこんなセリフを耳にしたことがあるはずです。もしかすると、言ったことがある人もいるかもしれません。

 

 産んでくれなんて頼んだ覚えはない

 

 大抵の場合は、勢い任せで発せられるこのセリフですが、かなり的を射ていると思います。まったくもってその通りです。産んでくれなんて頼んだ覚えはないはずです。先ほども述べたように、子どもが生まれるのはすべて親の都合です。子どもの意志とはまったく関係がありません。

 このセリフを言われると、親はとても傷つきます。手塩にかけて一生懸命育ててきたことが、まるで無駄だったかのように感じられてしまうからです。だからこそ、世の親たちは様々なリアクションを返します。怒鳴り散らす親。ビンタする親。涙する親。黙り込む親。もちろんこんなセリフを言われないことが一番なのかもしれませんが、言われた場合はどうしようかとあらかじめ計画を立てておくことも大切なのかもしれません。

 このセリフの裏にある子どもの真意は「うまくいかない現状を親のせいにしたい」という思いです。ある意味、親に甘えているのです。時と場合によっては「人のせいにするな!」と突き返してもよいのかもしれませんが、これまでの記事でも述べてきたとおり、人が本当に危うい状態に陥るのは「だれのせいにもできなくなったとき」です。自分を責めるしかなくなったとき、人は命の危険にさらされます。

 もしかするとこれが、親の担うふたつめの役割なのかもしれません。ひとつ目は、大きくなるまでごはんを食べさせること。そしてふたつ目が、親のせいだということにしておいてあげること。これはとても難しいことだと思います。親だってひとりの人間ですからね。悲しいものは悲しいはずです。だから、親にも支えてくれる人の存在が必要です。それはパートナーかもしれませんし、自身の親かもしれません。はたまた友だちかもしれませんし、インターネットの向こう側にいる人かもしれません。「支え合って生きていく」とは、きっとこういうことなのだろうなと思います。

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  家族ってとても不思議な集団です。みんな自分の家族のことしか知らないはずなのに、他の家族も同じようなものだと思い込んでいます。家族の形は家族の数だけ存在します。本当の意味でその違いに気づくのが、同棲であり、結婚なのでしょう。

  外から帰ってきたら部屋着に着替える家族と着替えない家族。バスタオルを使い回す家族と使い分ける家族。シチューをごはんにかける家族と別々の器で用意する家族。家族は本当に様々です。あなたの家族が当たり前だと思ってはいけません。