ツイートの3行目

小学校の先生です。ツイートは2行まで。3行目からをここに書いていきます。

【土】ことばになっている時点でそこにはすでに嘘が含まれている

 

 おはようございます。ブログを書くときには毎回おなじ手順を踏むようにしています。まずは、お気に入りのマグカップにコーヒーを淹れます。コーヒーにはこだわりがあるので、多少めんどうではありますが、ミルをつかって豆から挽くようにしています。

 コーヒーを淹れおわったら、椅子に座って3分間だけ瞑想をします。このとき、音が鳴るものの電源はすべてオフにします。もちろんスマホの電源も切ってしまいます。コーヒーの香りに包まれた何にも邪魔されない時間です。頭の中はできるだけ空っぽにします。

 3分が経過したらゆっくりと目を開けて、いくつかのストレッチを行います。身体と脳は連動しているので、動いているうちに頭もだんだんと冴えてきます。このときにはすでに、今日の記事の内容がおおよそ固まっている状態です。ここまでくればあとはそれを文章にするだけです。

 いかがだったでしょう。これが毎日のルーティンです。ええ、そうです。ぜんぶ嘘です。こんなにめんどくさいことを毎日やってられません。実際は、ハーブティーを淹れて、アロマを焚いて、観葉植物にお水をあげてからブログを書くというのが日課です。

 ごめんなさい。もういいですね。さっさと本編に参りましょう。本日も最後までどうぞお楽しみください。どうも、インクです。

 

ことばになっている時点でそこにはすでに嘘が含まれている

  携帯電話から聞こえてくる声は、本人の声ではないということをご存知ですか。ハイブリッド符号化方式という方法でつくられた「本人の声に限りなく似ている声」が相手のもとに届いています。本当です。たしかにさっきは嘘ばかりついていましたが、こればかりは本当です。それでも疑うというのなら自分で調べてみてください。

  そんな音の素となる固定コードブックには、約43億ものパターンが存在していると言われています。これらの音の組み合わせにより、あなたの声もあの人の声も再現されているというわけです。しかも携帯電話は、この作業を0.02秒で行います。携帯電話おそるべし。

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 前置きはこのあたりにして、話をもうひとつ前に進めましょう。先ほど述べたように、電話ごしの声は「限りなく似ている声」に変換されているわけですが、では「頭で考えていること」と「口から出てくることば」だとどうでしょう。まったく同じでしょうか。それともちがっているのでしょうか。

 要するに「思考は言語で行われているか否か」という話です。どうでしょう。みなさんの頭の中は言語によって機能していますか。おなかが空いたときは「おなかが空いた」という言語を思い浮かべることによって、おなかが空いたことを認識しているでしょうか。

 なんだかこんなことを言われると、どうしても意識して、言語から離れられなくなってしまいますよね。この考えには諸説あって「思考は言語に先行する」と言っている人と「いいや、言語が思考に先行する」と言っている人がいます。

 ここを掘り下げていってもおもしろいのですが、今日は前者である「思考は言語に先行する」という立場で話を進めさせてください。要するに「頭で考えていること」と「口から出てくることば」は、似ているけれど同じではないという立場です。

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  たとえば「うれしい」ということばがありますが、ひとことで「うれしい」と言えどもいろいろな「うれしい」が存在します。「誕生日プレゼントをもらってうれしい」と「子どもが生まれてうれしい」では、同じ「うれしい」でもまったく異なる思考から生じてきたものだと言えるでしょう。つかわれていることばが同じだからといって、そのときの思考や感情までもが同じだとは限らないということです。

 また、文化によるちがいも大きいと言えるでしょう。今でこそ翻訳機が発達し、他の言語を使用している人とでも簡単に意思疎通をはかることができるようになりましたが、これもまたはじめに話した電話機の音声と同じようなものです。翻訳は、限りなく近い意味のことばをさがして当てはめているにすぎません。

 厳密に言えば「I love you」と「愛しています」はまったく同じ意味ではありません。「I love you」ということばの発生源となる思考をさぐったときに、たまたま似ていたのが日本で言うところの「愛している」の素となる思考だったというだけです。「I love you」=「愛しています」ではありません。「I love you」≒「愛しています」なのです。

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  このように、それぞれのことばは必ず「幅」をもち合わせています。「うれしい」ということばが補うことのできる思考の幅。「I love you」ということばが補うことのできる思考の幅。「愛しています」ということばが補うことのできる思考の幅。

 この「幅」があるからこそ、人間の無限とも言える思考を表現することができています。それぞれのことばが「幅」をもっている上に、それらを組み合わせてつかうわけですからね。とんでもない数のバリエーションが考えられるわけです

 ただ見方を変えれば、それぞれのことばに「幅」がある分、特定の思考をドンピシャで言いあらわせることばもないということになります。どんなにがんばっても「限りなく近いことばをさがす」という道から抜け出すことはできません。

 ここでようやく今日の記事のタイトルにたどり着きます。ことばになっている時点でそこにはすでに嘘が含まれている。もうわかっていただいているとおり、この「嘘」は決して悪いものではありません。言語をつかう限り仕方のないことであり、割り切って前向きに向き合っていくべき要素です。

 しかし、だからといってより忠実に表現するための努力を怠ってもいいというわけではありません。たとえ思考をドンピシャに表せることばがなかったとしても、やはりわたしたち人間はことばを用いてお互いの思考を伝え合います。

 純な思考を一切損なわずに伝えることはできないけれど、それでも選択と組み合わせ妙で限りなく忠実に表現しようと試みなければなりません。どれだけ近づこうと努力しても決して触れることのできないことばの壁。これこそが言語活動のおもしろみであり、表現のロマンなのではないでしょうか。

taishiowawa.hatenablog.com

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 このように、思考をことばでより忠実に表現しようとがんばるわけですが、とくに認識の誤差が生じやすいなと思っているジャンルがあります。それは「痛み」です。お腹の痛さや頭の痛さ。あれ、なかなか相手に伝わりません。

 だれもがいちどは経験したことがあるはずなのに、なぜだかどうも伝わりません。もちろん「痛いんです」と伝えれば大抵の人は心配してくれますが、本当の意味での苦しみはきっと伝わっていないでしょう。

 反対に、だれもが経験したことがあるからこそ「何とかなるでしょ」と思われてしまうんですかね。本気で頭が痛いときとか、本気でお腹が痛いときとか、もう最悪ですからね。人生で一番辛いのは、電車の中でお腹が痛くなることだと思っています。最後に一体なんの話をしているんだか。

 

【お知らせ】

 度々告知してきた第4回「教育を存分に語れるバー」がいよいよ今晩開催されます。現時点で36999人の方から参加希望をお聞きしています。今ならまだ間に合うぜ。詳細は昨日の記事をご覧ください。あなたのご参加を心よりお待ちしています。

 

第4回 教育を存分に語れるバー

テーマ:宿題の在り方

日時:2020年5月2日(土)20時ごろから

場所: ZOOM

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