ツイートの3行目

小学校の先生です。ツイートは2行まで。3行目からをここに書いていきます。

【金】芸人の生き方は多様な生き方の最先端

 

 おはようございます。変化がもっとも遅いのが教育業界、もっとも早いのが芸能界だと思っています。ただ、そんな芸能界もつい最近までは停滞していました。タレントは個性よりも好感度を求められ、テレビは誰からも嫌われないことを第一に考えました。それじゃまるで教育業界ではありませんか。芸能界までもが社会不適合者をハブるようになってしまったら、行き場を失う人がたくさん出てくるような気がします。

 ただ、最近になって少しずつ芸能人の素の部分の露出が認められるようになってきました。お笑い芸人である前に人間。役者である前に人間。アナウンサーである前に人間。モデルである前に人間。人間にファンがつき、人間に人が集まります。この傾向が教育業界に流れてくるのはずっと先の話になるのでしょうが、とてもよい動きだなと思っています。今日はそんな「芸能界」に関するお話です。ひとつよしなに。どうも、インクです。

 

芸人の生き方は多様な生き方の最先端

  とある芸人さんが「芸人は社会不適合者だ」と話している動画を観たことがあります。その動画のリンクを貼ろうと思ったのですが、どうしてもみつかりません。男性の芸人さんがステージでマイクをもち、ひとりで話している動画です。ずいぶん昔の映像だった気がします。

 すごく引き込まれた記憶があるのですが、あれが誰だったのかがまったく思い出せません。たしかツイッターのタイムラインにリツイートで回ってきました。心当たりのある方がいらっしゃいましたらぜひ教えてください。もういちど観たい。

 

 芸人は社会不適合者。

 

 芸人ではない人間がこんなことを言うのもなんですが、あながち間違いではないような気がします。みなさんは芸人になろうと思ったことがありますか。仮に思ったとして、実際に行動に移したことがありますか。「芸人になりたい」と言えば、親はなんと言うでしょうか。学校の先生はなんと言うでしょうか。きっと反対するでしょう。芸人になったこともないのに。

 芸人という選択肢が、社会的に見て「フツウではない」と思われている証拠です。世の親たちは「安定した職業に就いてほしい」と思っているのです。ただ、そんな「安定した職業」では輝くことができない人もたくさんいます。輝くことができないだけならまだいいですが、むしろ黒ずんでしまう人たちがいます。先ほどから述べている「社会不適合者」と呼ばれる人たちです。

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 この人たちがもつ偏りが、社会では受け入れられません。この偏りが大きければ大きいほど、社会の中では苦しむことになるでしょう。偏りを押し殺して、みんなと同じような顔をしなければこの社会では生きていくことができないのです。

 

 そんな偏りが輝く場所。

 

 そのひとつが芸能界です。「フリースタイルダンジョン」によって多くの人に認知されるようになったヒップホップシーンにも同じようなことが言えるのかもしれません。正しい言い方なのかはわかりませんが、これらの業界は「社会の受け皿」としての役割を担っていると思っています。社会では欠陥として扱われた個性が、ここでは武器に変わるのです。

  そして何よりも救いなのは、そんな業界が「華やかな世界」として成立していることです。芸能界もヒップホップ業界も、種類はまったく違えど、立ち入った者に夢を見させてくれます。受け皿の中から、多くの人に影響を与えるスターが生まれるのです。

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 「受け皿」という言い方をすると、まるで「社会」が上位に存在しているかのように聞こえますが、決してそういうわけではありません。そういうわけではないはずなのですが、現状としてはそのように機能してしまっています。みんながみんが「社会こそが正しい道だ」と信じ込んでいるのです。

 学校では「社会で生きていける人間」を育てます。芸能人は育てません。アーティストも育てません。役者もアナウンサーも育てません。全員が「社会でフツウに生きていく」ように育てます。「社会で生きていけるように」育てるのではありません。「社会で生きていくように」仕向けるのです。

 芸能界では輝く個性も、学校では欠点です。出る杭は打たれ、はみ出し者は除外されます。「みんな仲良くしましょうね」と言いながら、学校という場所は限りなく排他的です。学校が定めた「よい」に当てはまらない個性は徹底的に排除されるのです。
 

 置かれた場所で咲きなさい?

 

 置かれた場所で咲きなさいということばがありますが、本当にそうなのでしょうか。自分のよさを「よい」と思ってくれない場所で、無理して咲く必要があるのでしょうか。地面はいくらでも広がっているのに、たまたま置かれたその場所に居つづける必要があるのでしょうか。

 「咲く」という比喩を用いて表現していますが、わたしたちは植物ではありません。自分の足で動くことができる人間です。行こうと思えばどこへだって行くことができます。ひとつの場所に根をはる必要がないように、栄養を取り入れるための口は身体の上部についています。どんどん移動しよう。どこへだって行けるさ。

taishiowawa.hatenablog.com

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 それでは最後にお知らせです。先週第2回を行ったばかりですが、どうせ飲みにも行けないので、第3回「教育を存分に語れるバー」を明日20時ごろから開催したいと思います。一応「真面目に語ろう」という設定で行ってはいますが、気軽な気もちで来てください。「このブログを書いている人とちょっと話をしてみたいな」くらいの感覚で構いません。

 「わたしは人見知りだから」とか「ZOOMはつかったことがないから」とか、そんなことを言っていては何も始まりません。あなたには足があるんだから。とにかく飛び込んでみりゃあいいのです。もちろんROM専でもかまいません。あなたのご参加を心よりお待ちしています。参加を希望される方はコメント欄かツイッターのDMまで。

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【追記】

 この記事を読んだくま(@ralikma)さんが、動画をみつけてくださいました。「芸人は社会不適合者だ」と語っていたのは上岡龍太郎さんでした。ツイッターに回ってきたものはもっと短いものでしたが、おもしろそうなので長いものを貼っておきます。みなさまもぜひ聞いてみてください。

 

ツイッターで観た動画もあったので貼っておきます↓

www.youtube.com