ツイートの3行目

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【月】「長所がない」は失敗したときの保険

 

 おはようございます。読書ってふしぎですよね。「まだ終わってほしくない」という思いと「はやく終わってほしい」という思いが両立しています。特に長編小説となると、その思いはいっそう強くなります。「ついに終わってしまうのか」という寂しさと「ようやく終わるのか」という喜びがそこには混在しているのです。だから、読んでいるときには常に、のこりのページ数を確認します。しおりを2枚つかって、次の章のはじめにはさんでおくこともあります。それを体感的に捉えることができないから、未だに電子書籍は苦手です。少しずつ挑戦してみてはいるのですが、やはり文学的文章をデジタルで読むのは厳しいなということがつい最近はっきりとわかりました。アナログとデジタルを上手につかい分けていこうと思います。どうも、インクです。

 

「長所がない」は失敗したときの保険

 

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 みなさんは「あなたの長所を教えてください」と言われて、すぐに答えることができますか。きっと多くの人は、すこし考えなければ答えられないのではないでしょうか。「ほかの人よりも優れているところじゃないといけないのかなあ」とか「これを言ったら自慢みたいになってしまうかなあ」とか「ありきたりなことを言ってもつまらないしなあ」とか。いろいろなことを考えているうちに結局は「あれ、自分の長所ってなんだっけ」となってしまうのです。

 特に謙遜文化が染みつくこの国では、なかなか「自分のいいところを人に話す」という習慣がありません。「わたしなんてそんな。とんでもございません」が美徳とされるものだから、自分を売り込むことがとても苦手です。だからこそ、こんなことを言う人たちが出てきます。

 

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 子どもたちに尋ねてもなかなか答えることができません。短所はすらすらと出てきます。他の人の長所もすらすらと出てきます。しかし、自分のこととなるとめっぽう弱ってしまいます。「自分にはいいところがない」「自分には長所がない」と平気で言う子どもたちもたくさんいます。そんな子どもたちを見て、大人はこう言います。

 

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 はやりましたよね。「自己肯定感」ということば。未だにつかっている人もいるのではないでしょうか。筆者もはじめはこのことばを聞いて「そうか、自己肯定感が低いのか」と思っていました。こんな、漢字を5つも並べられたら「そうか」と思ってしまいますよね。しかも、よく知っていることばだけで構成されているものだから、なんだか妙に納得してしまいます。自己、肯定、感。   

  しかし最近になって、自己肯定感なんて関係ないんじゃないかと思うようになりました。自分のいいところをみつけられない人が多いのは、自己肯定感が低いからではありません。みつけられないフリをしていた方が楽だからなのです。今日はこの点についてもうすこし掘り下げていきたいと思います。

 

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 先ほど「自分のいいところをみつけられないフリをしていた方が楽」と書きましたが、もうすこし詳しくお話ししましょう。

 たとえば「オレは腕相撲が強い」と言う人がいたとします。そういう人って大抵「腕相撲では負けたことがない」とか言いがちです。まあ、よほどのことがない限り「そこまで言うならやってみよう」という流れになるのではないでしょうか。

 このとき「オレは腕相撲が強い」と言ったからには、その実力を見せつけなければなりません。「負けたことがない」と言ったからには、絶対に勝たなければなりません。ある意味、その人は自分で自分にプレッシャーをかけたということになります。

 ここがポイントです。「自分の長所を述べる」ということは「自分で自分にプレッシャーをかける」ということなのです。要するに、その分野においては他の人よりも上回っていなければならなくなるということです。

 逆に言えば、「自分には長所がない」と言うことで、どの分野でも勝負をする必要がなくなります。うまくいかなくたって自分の長所ではないから仕方がない。と、こういうわけです。失敗したときの言い訳として機能するのです。

 つまりは甘えです。自己肯定感なんて関係ありません。挑戦することから逃げているだけです。「人はできない理由をさがす」だなんて話を最近よく耳にしますが、まさにそれです。「長所がないから仕方がない」と自分に言い聞かせているのです。

 「いやいや、それでもやっぱり勝負をするためには自己肯定感が必要でしょ」と言う人とは、たぶんこれ以上話しても仕方がありません。一生「自分には長所がない」と言っておけばいいのではないでしょうか。あなたに長所がなくたって、こちらにはなんの害もありません。好きにしてください。

 ただ、最後にひとつだけ言っておきたいのが、 腕相撲の結果なんて誰も気にしちゃいないということです。たしかに自分で「強い」だなんて言ったわけですからプレッシャーはかかっています。しかし、その結果負けたとしてもだれも気にしません。なんなら「あれだけ言っておいて負けるんかい!」と、そこには笑いが起こります。当然、勝ったら勝ったで「おお!本当に強いな!」と感心されます。

 もちろん立ち回り次第ではありますが、勝っても負けても別に何ひとつ悪いことはありません。勝ったら「ほらね」と言い、負けたら「へへへ」と言っておけばいいのです。結果なんて案外どうでもいいというわけです。

 それならば「オレは腕相撲が強い」と言っておいた方が得だとは思いませんか。もしこれを言っていなければ、そもそも腕相撲をするチャンスすら回ってこなかったでしょう。念のために言っておきますが、もちろん「腕相撲」は比喩ですよ。ひとつの例です。何にだって当てはめて考えられます。

 このように、半分ハッタリでもかまいません。なんだっていいから自分の長所はどんどん口に出してみる。そうすることで、チャンスは向こうからやってきます。「自分には長所がない」といつまでも保険をかけている人のもとには、誰も集まってきません。いいかげん、自己肯定感なんて幻想だということに気がつかなければなりません。あなたは自己肯定感が低いのではない。勝負から逃げ続けているだけなのです。

 

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 なんだか自己啓発みたいな気もちのわるい結論になりましたね。ただ、結構本気でこう思っています。自分のことが好きだとか嫌いだとか、別にどうだっていいのです。結局は、より幸せになれる道を選べるかどうかです。自分のことが嫌いなままでも、幸せな道を選ぶことはできます。「自分のことが嫌いだから選べない」という因果関係は成立しないということです。

 先日、突然MVが公開された星野源の「私」という曲の1行目に度肝をぬかれました。最後はこの曲で締めくくりたいと思います。最後まで読んでくださった皆様と子どもたちが、どうかより幸せな道を選べますように。

 

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