【土】「みんな仲良く」を声高に叫べば「ひとりでいること」が悪になる
おはようございます。先日、ハライチ岩井さんの『僕の人生には事件が起きない』というエッセイ集を読みました。「所詮は出版社にそそのかされて書いたタレントエッセイだろう」という思いと、「岩井さんなら何かおもしろいことを書いているのではないか」という思いとを、半分ずつ抱きながらページをめくりました。冒頭にはこんなことが書かれています。
文章を書くことになった。それまでネタ以外の文章を書いたことがない僕に、新潮社から小説新潮で単発のコラムだかエッセイだかを書かないかという依頼があった。でた。なんとなくの雰囲気で、この人なら書けそうだな、と思われている。
この文章を読んだ時点で、買って正解だったなと思いました。ただ斜に構えているだけではない。そんなおもしろさがこの人にはあります。ラジオで聞いたことのある話も多かったですが、最後まで楽しく読むことができました。いちばんのお気に入りは「あんかけラーメンの汁を持ち歩くと」です。ぜひ読んでみてください。どうも、インクです。
「みんな仲良く」を声高に叫べば「ひとりでいること」が悪になる
「みんな仲良く」を声高に叫べば「ひとりでいること」が悪になる
— インク@小学校の先生 (@firesign_ink) 2020年4月17日
ひとりぼっちの人間がいちばんつらいのは、まわりの人に気をつかわれることです。あの人かわいそうだから話しかけてあげないと。あの人かわいそうだから一緒に遊んであげないと。ひとりぼっちはまわりをよく見ています。だからこそ、そんなまわりの気づかいが手に取るようにわかります。
気をつかわせてしまって申し訳ないなという思いと、ほっといてくれればいいのにという思いと、そのような状況をつくり出してしまっている自分への嫌悪感と、いろいろな感情が混ざり合ってしんどくなってしまいます。ただ、ひとりでいるだけなのに。ただ、どのグループにも所属していないというだけなのに。どうしてこんな思いをしなければならないんだろう。
大人になるとこのような思いをすることが少なくなります。ひとりでごはんを食べていたって、ひとりで本を読んでいたって、まわりの目を気にすることはありません。なぜなら、まわりもみんなひとりだからです。あの人もひとり、あの人もひとり。そんな中で自分もひとり。みんなひとりだから、自分だけが浮いてしまうことがありません。
まわりの人がたとえひとりではなくとも、所詮は知らない人たちです。そこであったが最初で最後。もう二度とその人と会うことはないでしょう。そんな人に何と思われようが知ったこっちゃありませんし、たぶん何とも思っていません。まわりはまわり。自分は自分。それが成立する環境が、大人になるとぐんと増えるというわけです。では、なぜ子どものころはそれが成立しないのでしょう。
みんな仲良くしましょうね。
それは、学校の先生が「みんな仲良くしましょうね」と言うからです。教室では絶対的な正義である先生が「みんな仲良くしましょうね」と言うことで、ひとりでいることが悪いことになってしまうのです。
もちろん仲良くできるのなら仲良くするに越したことはありません。しかし、数十人もの人が集まっているわけですから、そりゃあ合う合わないはでてきます。集団生活が苦手な人もいるでしょうし、たまたま誰とも合わなかったという人もいるでしょう。
それでいいのです。むしろ、それだけの人が集まっているわけですから、いろいろな人がいて当然です。全員と仲良くなる必要なんてありません。仲良くなる必要なんてないはずなのです。しかし、学校はそれを許しません。全員が仲良く手を繋いでいないと気が済まないのです。
友だち100人できるかな。
小学1年生が入学してはじめにうたう歌です。この歌をうたうことで「みんな仲良く」が正しいことなのだと刷り込まれます。友だちがいない子どもは悪であり、心配の対象になるのだと教えられます。そうならないためにも、みんなが必死に友だちをつくります。そして少しずつグループがつくられていくのです。
その輪からあぶれることでかわいそうなひとりぼっちが生まれます。仲良くしてあげなきゃいけないひとりぼっちが生まれます。「一緒に遊ぼうよ」と声をかけた子どもは先生に褒められます。逆に声をかけなかった子どもは「どうして声をかけないの!同じクラスの友だちでしょ!」と叱られます。
ひとりぼっちの気もち。
こんなとき、その子自身はどんなことを考えていると思いますか。仲良くしたいけどできないんだと勝手に決めつけられて。大人からは心配されて、子どもからは気をつかわれて。断れずについていくけど、決しておもしろくはなくて。だからといって、ひとりでいるとまた心配されて。ついていくと、やっぱりおもしろくはなくて。
そんなひとりぼっちの気もちを想像したことがありますか。あなたが優しさだと思い込んでいるその気づかいが、ナイフとなってその子を傷つけてはいませんか。みんなでいることが正しいのだと勝手に決めつけて、ひとりでいる子を勝手に哀れんではいませんか。
昨日も告知しましたが、本日20時から第3回「教育を存分に語れるバー」を開催します。しかし、このままではひとりぼっちです!かわいそうです!こういう子には声をかけてあげなければいけません。気をつかってあげなければなりません。哀れみましょう。そして優しくしましょう。あなたのご参加を心よりお待ちしています。