【月】「ちいちゃんのかげおくり」は幼さによって成り立っている
おはようございます。SNSが普及するにつれて、ネットスラングと呼ばれることばが広く使われるようになりました。「ググる」や「リア充」や「草」は、何周もまわって特に気にならなくなりましたが、未だに好きになれない言い回しもいくつかあります。
その中でも毎回引っかかってしまうのが、名詞に句点をつける言い回しです。「(名詞)。」というやつです。もはやネットスラングなのかどうかもわかりませんが、あの言い回しがどうも好きになれません。
なんと言うか、あの「句点をつければ詩的に見えるでしょ」というドヤ感が、見ていて恥ずかしくなるのです。名詞の文字数が少ないほどしんどいですね。
怒らないでくださいよ。あくまでも好みの話であって、悪いと言っているわけではありません。インターネットによって句点に新たな意味合いが加わったことは事実でしょう。正確に言えば、顔文字や絵文字の普及によって逆説的に意味が加わったのだと思います。
何周もするうちに、もしかすると「(名詞)。」も気にならなくなるのかもしれません。名詞。句点。意識。変化。過去。未来。どうも。インク。です。
「ちいちゃんのかげおくり」は幼さによって成り立っている
「ちいちゃんのかげおくり」は幼さによって成り立っている
— インク@青年求職家 (@firesign_ink) 2020年11月15日
世の小学3年生は2学期がはじまるころに、あまんきみこさんの『ちいちゃんのかげおくり』という文学的文章を読みます。なかなかに強烈な物語なので、記憶に残っている方も多いのではないでしょうか。
筆者も3年生の子どもたちが学習しているのを見て、久しぶりに読みました。ひとりの小さな女の子の命が失われるという、ひたすらに悲しいお話です。
「戦争はおそろしい」とか「命は尊い」とか、そんなに簡単な物語ではないような気がしています。せっかくなので、今日はこの記事の中で「何がそんなに悲しくさせているのか」を考えてみたいと思います。
このお話の中でもっとも印象的だったのが、空襲から逃げる中で、家族とはぐれてしまった後の「ちいちゃん」の描かれ方でした。ちいちゃんは、知らない人たちがたくさん集まる橋の下へと避難するのですが、その場面はこんなふうに描かれています。
ちいちゃんは、ひとりぼっちになりました。ちいちゃんは、たくさんの人たちの中でねむりました。
いかがですか。小さな女の子が家族とはぐれて、たったひとりでいるのです。しかも、まわりは知らない人だらけです。遠くでは炎が上がっています。
それにも関わらず「ねむりました」と書いてあるのです。「ひと晩中泣きわめいていました」でもなく「お母ちゃんを探して泣きながら歩き回りました」でもなく「ねむりました」と書いてあるのです。
もちろんここには「(泣き疲れて)ねむりました」という意味合いも込められているのかもしれません。仮にそうだったのしても「泣く」という行為を表現する方が自然だとは思いませんか。この場面では「泣く」の「氵」すら登場していないのです。
どうしてこんなにも不安な場面で、ちいちゃんが泣かなかった(少なくともあまんさんは泣いている様子を描かなかった)のかと考えると、抱き上げて橋の下まで走ってくれた「知らないおじさん」のことばが効いているということに気がつきます。
知らないおじさんは、逃げる道中で、ちいちゃんに「お母ちゃんは、後から来るよ」ということばをかけているのです。もちろん、おじさんの中にそんな確証はありません。何せ「知らない」おじさんですからね。逃げることが最優先である状況下で、少しでも安心させてやろうと思って言ったことばなのでしょう。
ちいちゃんは、そのことばを本気で信じているのです。ちいちゃんの幼さがそうさせています。「信じたい」という思いと、信じるしかない状況が、小さな小さな女の子をそんな状態に陥れているのです。
次の場面で出会う「はすむかいのおばさん」とのやりとりの中にも、こんな描写が出てきます。
ちいちゃんがしゃがんでいると、おばさんがやって来て言いました。
「お母ちゃんたち、ここに帰ってくるの。」
ちいちゃんは、深くうなずきました。
「じゃあ、だいじょうぶね。あのね、おばちゃんは、今から、おばちゃんよお父さんのうちに行くからね。」
ちいちゃんは、また深くうなずきました。
ちいちゃんは、深くうなずきました。しかも2回です。「お母ちゃんとお兄ちゃんは、きっと帰ってくるよ」と、そう信じ続けることで、幼い女の子が必死に自分を保っているのです。すこし触れればあっという間に崩れてしまいそうなギリギリのところで「幼さ」を頼りに、踏みとどまっているのです。
そんな様子を見た読者は、無慈悲にもこう思ってしまうのです。「きっとお母ちゃんもお兄ちゃんももう帰ってはこないんだ」と。ここの乖離にこそ、この物語の悲しみが詰まっています。
読者は、もともと人間に備わった能力をフル活用して、無意識のうちに察してしまうのです。そう思いたくなくても、そう思ってしまうのです。
それでも幼いちいちゃんは、最後の最後まで信じています。どれだけ読者が「もう帰ってこないんだよ」と言ったところで、ちいちゃんは最後まで信じ続けているのです。こんなに悲しいことがあるでしょうか。
信じるちいちゃんと、信じたくても信じられない読者と。この落差こそが、この物語の肝であるような気がします。「戦争はおそろしい」も「命は尊い」も、この先にある価値観です。子どもたちに授業をするのなら、まずはこの落差に気づかせたいものですね。
ちなみに、すこし毛色は違いますが、三浦哲郎さんの『メリー・ゴー・ラウンド』という物語も「中心人物の幼さ」と「読者の察する力」の落差を上手に利用しています。戦争のお話ではないのですが、こちらもこちらで、まあ強烈な物語ですので、気になった方はぜひ手に取ってみてください。
【今後の予定】
①11月18日(水)こきけんよう Vol.19
②12月4日(金)らぱいんざWORLD Vol.9
【リスナー募集】
①11月18日(水)こきけんよう Vol.19
毎週水曜日の定例会です。次回も21時スタートです。どうでもいい話をしています。週の真ん中、折り返し地点として聴きに来てはみませんか。声を出せる人はぜひとも一緒にお話ししましょう。水曜日に予定があるというだけで、目安になっていいものですよ。参加希望はツイッターのDMまで、よろしくお願いいたします。
【ホームに戻る】