ツイートの3行目

小学校の先生です。ツイートは2行まで。3行目からをここに書いていきます。

【日】まともにものを考えられる人が諦めて黙ってしまう会議は本当に無駄でしかない

 

 おはようございます。弓矢の名人になりたいと思った若者は、師に教わりながら一生懸命練習をしました。その成果もあり、百発百中で獲物をしとめることができるようになります。

 そこから月日が経ち、師から学ぶことはもう何もなくなったというころに、ついにその青年は眼で視るだけで獲物をしとめられようになります。彼の名は国中に轟き、噂は瞬く間に広がりました。

 そんな彼でも時間が経てば歳をとります。死期が迫ったころに、弓矢を見てこんなことを尋ねました。それは何と呼ぶ品物で、また何に用いるのか。決してボケているわけでも冗談を言っているわけでもありません。本当の弓矢の名人は、弓矢そのものが何だったのかを忘れてしまったのです。

 中島敦の『名人伝』というお話でした。ぜひ読んでみてください。どうも、インクです。

 

まともにものを考えられる人が諦めて黙ってしまう会議は本当に無駄でしかない

  人類はこれまでに何百、何千、何万という会議を重ねてきたにも関わらず、どうして未だにこんな会議をしているのでしょう。データを蓄積する時間は十分にあったはずですし、改善するチャンスもいくらでもあったはずです。いつまでこんな会議をしているのでしょうか。

 会議といえば、2016年に公開された『シン・ゴジラ』でも随分と揶揄されていた記憶があります。事件は会議室ではなく現場で起こっているのに、延々と会議室で会議をくり返していましたね。皮肉の効いたよい映画だったと思います。

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映画『シン・ゴジラ』より

 筆者自身が経験してきた会議の数なんてたかだか知れています。ただやはり、その度に「無駄だなあ」と思うポイントがいくつかあるので、今日はその原因を考えていきたいと思います。パッと思いつく主なポイントは以下の3つです。順番に考えていきましょう。

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1.論点がズレたまま進む

 先ほど貼り付けた映画『シン・ゴジラ』の写真を見ていただければわかるとおり、スーツの男たちが横にずらっと並んでいます。どうして男性ばかりなのでしょう。また、どうして全員スーツなのでしょう。男性ばかりが集まると、どうしても考えが偏ってしまうとは思いませんか。また、スーツよりもジャージの方がリラックスして柔軟にものごとを考えることができるとは思いませんか。たった1枚の写真を見るだけでも、未だに残る男尊女卑の風潮や形式ばかりを重んじる日本人の国民性が見て取れます。

 いかがでしょう。わざと論点をズラして話を進めてみました。「さすがにやりすぎでしょ」と思ったかもしれませんが、会議ではよく見られる現象です。ひとつの議題について話を進めるうちに、ほかの問題点が浮上してくることは、べつに何もおかしなことではありません。むしろ、話し合ったからこそ得られたものだと言うこともできます。

 ただし、あくまでも今の議題は「論点がズレたまま進むことについて」であり「男尊女卑について」でも「スーツを着る文化について」でもありません。時間が無限にあるのであれば、そのままの流れで「男尊女卑について」や「スーツを着る文化について」を話してもいいのかもしれませんが、残念ながらそんな時間はありません。

 会議とは、そこに集まる全員を拘束し時間を削り取る行為です。会議にかかった時間の分だけ、そこに集まった人の寿命は短くなります。「そんな大袈裟な」と思ったかもしれませんが、人を集めて話をするということはそれだけ大きなことなのです。

 今の議題はなんなのか。それを常に全員が共通理解した上で話を進めなければ、論点があっちへ行きこっちへ行き、気がつけば定時を過ぎている。でもまあ、仕方がないよね。人の時間を奪うことを軽んじているせいで、そんな会議が生まれてしまうのです。何が「仕方がない」ですか。あなたひとりがよかったとしても、同じ空間で何十人もの時間が削り取られているのです。時間に対する考え方があまりにも甘いのではないでしょうか。

 

2.同じことをくり返す

 これもよくありますよね。もはや「会議あるある」です。プリントに書いてあることをそのまんま読み上げる。論者がいちど話したことを、司会があとからくり返す。それ、本当に要るのか? その話、本当に必要なのか? これもまた時間に対する考え方の甘さが原因になっているような気がします。

 何なら、今行われている会議で発せられることばのほとんどが要らないのではないかとさえ思います。無駄無駄無駄無駄無駄です。報告や連絡は、掲示板で事足ります。直接言わなければ不安なのであれば、それはむしろ掲示板のシステムを改善するべきです。あらゆる連絡事項がジャンルごとに分類されて一覧になるようにしておくだとか、〆切があるものは1週間前に通知が来るように設定しておくだとか。情報の場所が、紙や掲示板や口頭や、いろいろなところに分散されるからややこしくなるのです。連絡・報告は一箇所にまとめる。それがいちばんです。

 その上で会議を行います。連絡・報告はすでに済んでいる状態でスタートします。会議で行うことは提案だけです。この提案と連絡・報告がごちゃ混ぜになるせいで、混沌とした会議が生まれます。こんなことをやろうと思っているのですがいかがでしょう。これだけでいいのです。この提案を議題として、知恵を出し合うというわけです。

 このときの話し合いの流れもある程度は決まっています。まずは提案に対する検討です。このままではこんなリスクが考えられるよ。以前に同じようなことをやったときにはこんなところで失敗したよ。知恵と経験を共有します。これこそ多くの人が集まって話すことの価値です。ひとりで考えていても出てこないものを、会議では生み出さなければなりません。

 検討がひと通り済めば、今度は改善案・代案の提示です。こんなやり方はどうだろう。こうしたら上手くいったことがあるよ。これらの「改善案・代案」と先ほどの「検討」がごちゃ混ぜになってしまうこともよくあるのですが、ここも分離することができれば、話はスムーズに進むのではないでしょうか。

 まずはとにかく提案の問題点を洗い出す。その上で、それらの問題点をカバーできる改善案や代案を探る。そしてこのときに大切なことが「そのままでOK」もひとつの選択肢であるということです。会議にかけられたり人から相談されたりすると、どうしてもアドバイスをしてどこかを変えなければならないという空気が漂います。しかし、提案そのものに問題がなければ「何も変えない」もひとつの選択肢になるのです。ヘンに変えることで改悪されてしまうこともありますからね。十分に注意しなければなりません。

 

3.考えても仕方がないことを考える

 これもまあよくあります。組織で動く限り、どうしても権限というものがつきまとうので、いくら話しても決定権がここにはないということがあります。決定権がないのにどれだけ考えても仕方がありません。

 また、実際にやってみなければわかりようがないことも、会議の中ではたくさん登場します。どれだけ頭の中でこねくり回したところで、やってみなければわからないのなら、それはもはや考えていても仕方がありません。

 このように「考える価値があることなのかないことなのか」という住み分けは非常に大切です。これこそまさに「事件は会議室で起こっているんじゃない!現場で起こっているんだ!」です。ものごとを考える上で、手や足を動かす現場検証もひとつの大事な要素なのです。 

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 随分と長々と書いてしまいましたが、ひとことでまとめるなら「整理」です。今行われている会議は「整理」があまりにも下手くそすぎます。そのせいで、どこに何があるのかがわかりません。だから「あれはどこにあるんだろう。だれか知っている人はいますか?」というところからスタートしなくてはならなくなっています。しかも、よくわからないままモノを動かすせいで、余計にぐちゃぐちゃになっていきます。まさに時間の無駄です。

taishiowawa.hatenablog.com

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  そんな会議では、ときには「黙る」ということも大切です。ひとりがしゃしゃり出るせいで、他のひとがめんどくさくなってしまうことはよくあります。まともにものを考えられる人が諦めて黙ってしまう会議なんてもう最悪です。今から言おうとしていることは本当に必要なのかどうか。全員の時間を奪う価値があるのかどうか。ここをよく考えてから発言することができたらいいものです。