ツイートの3行目

小学校の先生です。ツイートは2行まで。3行目からをここに書いていきます。

【日】話すことは書くこととはまたちがった瞬間の思考訓練みたいなところがある

 

 おはようございます。昨日はひさしぶりにお昼寝をしました。小さいころからお昼寝はあまり好きではありません。なんなのでしょうね。あの目覚めたときにのこる独特の気もちわるさは。口の中はカラカラで、頭がぼーっとするあの感じ。

 もちろん朝に目覚めたときにもおなじように、口はカラカラだし頭もぼーっとするのですが、すこし種類がちがうんですよね。倦怠感というか、疲弊感というか。せっかくの休みなのに気がつけば夕方になってしまっているところとかも。休日を無駄にしてしまったような気もちになります。

 そもそもを言えば、寝ること自体があまり好きではありません。ときどき「休みの日はひたすら寝る」という人がいますが、よくやるなと思います。寝る時間があるのならすこしでも他のことがしたいと思ってしまいます。なんならいっそのこと眠らなくても生活することができたらいいのに。まあ、翌日がしんどくなるのは嫌なので、6時間くらいはしっかりと寝るんですけどね。どうも、インクです。

 

話すことは書くこととはまたちがった瞬間の思考訓練みたいなところがある

  ここのところ、毎週のようにZOOMでいろいろな方とお話をしています。先に宣伝しておくと、今日も今日とて20時からお話しすることになっています。昨日の記事でご協力いただいた らぱんさん(@lapinHSP)とアフタートークをします。ラジオ感覚でかまいませんので、興味がある方はぜひ遊びにきてください。くわしくはこの記事の最下部にある【お知らせ①】へ。すみません。宣伝はこのあたりにして話を戻しましょう。

 お話しさせていただいた方はおわかりかと思いますが、話すことはあまり得意ではありません。決して饒舌ではありませんし、滑舌がいいわけでもありません。頭の回転がはやいわけでもなければ、気をつかいながら場回しができるわけでもありません。

 それにも関わらず、昨日の「教育を存分に語れるバー」や今日の「コラボ企画アフタートーーク」のように、自分から人と話す機会をつくっています。「話すこと」には「書くこと」とはまたちがうおもしろさがあるなと思いはじめたからです。

 もちろん前々から思っていることはありましたが、このような機会を重ねていくうちにすこじずつ輪郭がはっきりと見えてくるようになりました。それらを踏まえて、今日は「書くこと」を比較対象にしながら「話すこと」について考えていきたいと思います。

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  「話すこと」と「書くこと」のいちばんの大きなちがいは、準備にかけられる時間ではないでしょうか。もちろん書くことの方が圧倒的にこの時間は長いはずです。ものによっては〆切が定められた書きものもあるのでしょうが、一度書いたものを読み返しては修整するという「推敲の時間」が必ずあるはずです。

 一方「話すこと」にはこの「推敲の時間」がありません。その場で瞬時に判断し、ことばを紡ぎださなければなりません。即興性や対応力が大きく問われるというわけです。また、考えている時間や、間のとり方、声色や表情までをも総合的に判断した上で「話す」というコミュニケーションは進んでいきます。実はとんでもなくハイレベルなことをしているのです。

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 講演会のように「原稿を用意した上で話す」という場合もあるでしょう。まさに「書くこと」と「話すこと」のハイブリッドです。しかし、あくまでも講演会の場合は「話すこと」が主であるはずです。こんなときに、もし「書くこと」に頼りすぎてしまうと、原稿をただ読み上げるだけの講演になってしまいます。子どもたちの発表会ではこの形がよくあります。

 先ほど考えた「話すこと」の特徴と比べてみてどうでしょう。原稿を読み上げるだけの発表に、即興性はあるでしょうか。対応力を問われるスリルはありますか。考えている時間や間の取り方はどうでしょう。声色や表情は生かされているでしょうか。

 もちろん、練習次第では原稿に書かれたことばでも、ある程度上手に話すことができるようにはなるでしょう。でも、せっかくの「話すことのおもしろさ」の大部分が損なわれてしまうのではないでしょうか。

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  「話すこと」と「書くこと」のもうひとつの大きなちがいは、あとに残るか残らないかです。もちろん、書かれた内容は残り、話された内容は残りません。録音という手段もありますが、あくまでも主としてのコミュニケーションの場を想像しましょう。言い換えるなら、「書くこと」は「残すこと」であり、「話すこと」は「残さないこと」だというわけです。

 ふたたび講演会を例に考えてみましょう。だれかの講演会に行くと、一生懸命メモをとりながら話を聞いている人をよく見かけます。しかしどれだけ一字一句逃さずに書いたとしても「そこに書かれたもの」と「その場で聞いたもの」とは、まったくの別物です。なぜならその場には、即興性や対応力、考えている時間や間の取り方、声色や表情など、「話すこと」でしか成立しないおもしろさが生きているからです。だから、どれだけ正確にメモをとったとしても、本当の意味では不正確なのです。

 だらだらと話しつづけてきましたが、要するに何が言いたいのかというと、話すからには「話すこと」の特徴を存分に生かさないともったいないぞということです。即興性が試されるからこそリアリティが生まれ、対応力が試されるからこそスリルが生まれます。考えている時間や間の取り方が人によってちがうからこそ個性が表れ、声色や表情が見えるからこそその場でしか味わえないかけ引きが生まれます。

 これらは絶対に「書くこと」では経験することができません。「書くこと」ではできないからこそ、話すときに存分におもしろがらなければならないのです。言いわけがましくなってしまいますが、話すのが上手とか下手とか、そんなものはどうだっていいと思っています。

 「話が途中で詰まってしまう」なんて、まさに「話すこと」のおもしろさを存分に生かした行為です。「いちど言ったことを言い直す」も同様です。「スタートとはまったくちがう方向に進んでしまう」や「相手から意外なリアクションが返ってきて考えていたことが真っ白になる」だなんてこともまさに「話すこと」のおもしろさです。

 上手に話そうと思えば思うほど、これらの「話すこと」のよさが失われてしまいます。最後にもういちどだけ。話すのが上手とか下手とか、そんなものはどうだっていいのです。ぜひ一緒にお話ししましょう。

taishiowawa.hatenablog.com

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 【お知らせ①】

 本文の冒頭でも宣伝したように、本日20時より らぱんさん(@lapinHSP)とコラボ企画のアフタートークをします。なんと らぱんさんは初 ZOOM だそうです。今回で嫌な思いをしたら、きっともうZOOM をすることはなくなってしまうでしょう。らぱんさんの声が聞けるのは、もしかするとこの1回限りかもしれません。とても貴重な機会です。聞くだけになってしまいますが、ぜひ遊びにきてください。

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 【お知らせ②】

  ひょんなことからはじまった新企画です。新美南吉さんの『ごんぎつね』について話します。ただそれだけです。教材観とか授業論ではなく、単純にこの作品の魅力のようなものを話せたらなと勝手に思っています。こちらも同じく ZOOM です。

 ごちゃごちゃするとあれなので、今回は「話す人」と「聞く人」をはっきり分けようかと思っています。参加を希望される方は、どちらかを選んだ上でツイッターのDMまでご連絡ください。タイトルどおり時間もすこし遅めです。それでも問題がなければぜひ遊びにきてください。

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