ツイートの3行目

小学校の先生です。ツイートは2行まで。3行目からをここに書いていきます。

【土】おもしろいは連鎖する

 

 おはようございます。本日はコラボ企画 第2弾。お相手は らぱんさん(@lapinHSP)です。第1弾のコラボ企画を発表した直後に「た...たのしそうな企画!!!(怖いもの見たさ)」というリプライをいただきました。

 これは要するに「いっしょにやりましょう」ということですので、すぐさま打ち合わせをして、今日のコラボに至りました。最後まで巻き込まれた風を装っていましたが、こんな見ず知らずの人が立ち上げた企画に乗っかる行動力は単純にすごいなと思いました。

 もしかすると読んでくださっている方の中には「いや、誰だよ」と思った方が2、3人いらっしゃるかもしれませんが、安心してください。筆者もあまり知りません。ただ、知らないからこそのおもしろみが生まれることは第1弾のコラボ企画で実証済みです。今回もきっとおもしろくなるのでしょう。最後までどうぞよろしくお願いします。どうも、インクです。

 

おもしろいは連鎖する

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 今回の企画も、前回と同様に「相手に聞きたい5つの質問」です。お互いに「相手に聞きたい5つの質問」を真剣に考え、それぞれの記事でそれらの質問に回答します。企画としてはいたってシンプルなのですが、なかなかに奥が深いです。

 第一に、誰とでもできるということ。ツイッターとブログさえあれば、誰とでもコラボすることができます。ツイッターやブログのアカウントをもっていないのなら、その場でつくればいいだけです。要するに、あなたともコラボすることができるというわけです。

 第二に、コラボ相手によってガラリと色を変えるということ。この企画は回答力ももちろん問われますが、何よりも質問力が大きく問われると思っています。相手のよさをいかに引き出すか。相手にいかにしゃべらせるか。これらはすべて、どんな質問をするかにかかっています。

 当然ですが、その質問の角度が人によってまったくちがいます。質問をいただいたのは、まだふたり目ですが、すでにそのちがいがはっきりと表れています。それでは、もったいぶるのもこのあたりにして「らぱんさんからの5つの質問」を確認してみましょう。これもまた一筋縄ではいかないような質問ばかりです。

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 シンプルな質問に見えて、実は根源的なところを問われていますね。まあ、現段階で質問内容に対してコメントをしすぎると後がおもしろくなくなってしまうので、ここらへんでやめておきましょう。とにかく今日は、この5つの質問に真剣に回答していきます。

 ポイントは「真剣に」というところです。この企画は、変に茶化してしまうと絶対におもしろくないですからね。くだらない冗談は抜きにして一生懸命かんがえようと思います。ずっとひとりで書いてきたブログに、また新たな他者の意識が混ざりこんだら一体どのような変化が生まれるのでしょう。答える前からとてもわくわくしています。

 すみません。前置きが長くなりましたね。さっさと本編に参りましょうか。準備はよろしいですか。それでは、ツイートの3行目 コラボ企画 第2弾「相手に聞きたい5つの質問」スタートです。

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 普段から自分が書いた文章を、自分でおもしろいと言っています。だから「この人は自分に自信があるんだな」と思われている方がいらっしゃるかもしれません。 自信があるかないかで言えば、もしかすると「ある」に分類されるのかもしれませんが、ぶっちゃけ自信の有無なんてどうだっていいと思っています。

 自分の記事を自分でおもしろいと言うのは、本当におもしろいからです。ネコを見てかわいいと言うのと同じです。夕陽を見てきれいと言うのと同じです。自信があるからネコがかわいいわけでも、夕陽がきれいなわけでもありません。自信がなくてもネコはかわいいし、夕陽はきれいなのです。

 よく人から「こだわりが強そうだね」と言われます。たしかに強いのかもしれません。洋服はよっぽど気に入ったものしか買いませんし、かけるメガネはその日の気分で変えています。棚にある本はおなじ向きで作家ごとに並べたいし、パソコンの配線は限りなくきれいにまとめたいと思っています。文書ファイルのフォントが途中で変わっていたら気になるし、プレゼン資料の図が1ミリずれていたら直したくなってしまいます。

 ただし、これはあくまでも自己満足の世界です。どうしてもこうしなければ気が済まないというわけではありません。できたらこうしたいけれど、叶わないのならべつにいいやと思っています。要するに「迷惑をかけてでもやりたいと思うこと」以外のこだわりは、簡単にあきらめられるということです。

 たとえば、今回のらぱんさんとのコラボ企画は、すくなからず相手に迷惑をかけています。相手がどれだけ乗り気であろうとも、人に時間をつかわせていることには変わりがありませんからね。ただ、それでもやりたいと思いました。だから実行していますし、こだわりをもってやっています。

 こだわりとあきらめのバランスを考えて、ものごとに取り組むことができる。これが自分の好きなところです。

taishiowawa.hatenablog.com

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 はじめにも書いたとおり、らぱんさんのことはほとんど知りません。最近ちょこちょこツイッターで絡むようになった程度です。そんな人との共通点を考えろというわけですから、なかなかに酷な質問ですよね。

 ただ、実を言うとこの質問文は、ブログ用に簡素化したものであり、実際に らぱんさんからいただいたDMのメッセージとはすこし違います。DMにはこのように書かれていました。

私(らぱん)との共通点はどんなところですか?(想像でもOK) 

  一字一句そのままです。もちろん聞かれていることは同じなのですが、この質問に関しては原文の方が伝わりやすいかと思い引用しました。何度も言うように、らぱんさんのことはほとんど知らないのですが、なんだかこの(  )のつかい方に性格が表れているような気がしますよね。

 まあ、ご本人が(想像でもOK)と言ってくださっているので、純度100%の想像で話を進めたいと思います。これから登場する「らぱんさん」は想像上の生き物です。言わば「らぱん' さん」です。くれぐれもその大前提を頭に入れた上でお読みください。

  筆者と らぱん' さんの共通点は「想像力に苦しめられるところ」だと思っています。「苦しめられる」というとすこし大げさかもしれませんが、少なからずダメージを受けているという意味です。

 想像力と聞けば、きっと誰もが「育むべきもの」であり「身につけるべきもの」だと思っているでしょう。学校でも「相手のきもちを想像しなさい」ということばがあちらこちらから聞こえてきます。

 しかしこの想像力、一概に「豊かであればあるほどいい」とは言い切れないところがあります。見えなくてもいいものまで見えてしまうというのは、なかなかにしんどいですからね。

 結局のところ、それらをどう捉えてどう対処していくのかが、生き方にも大きく影響するのだろうなと思っています。

 なんだかわかりづらかったかもしれませんが、これが筆者と らぱん' さんとの共通点です。似たようなことを随分と昔の記事にも書いていますので、気になった方はぜひ読んでみてください。

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 日常生活において腹が立つということがほとんどありません。いや「ほとんど」よりも「まったく」の方が正しいかもしれません。きっと何かに腹を立てるほど、真剣に生きていないのだと思います。
 ただ「ありません!」と答えるのはあまりにもつまらないので、「腹が立つ」という感情とはすこしズレるかもしれませんが「わかり合うことなんてできないと知ったとき」のお話をしたいと思います。

 前回の らいざさん(@rize_up_high)とのコラボ記事でも書いたのですが、筆者には「笑うことがしんどい」と思っている時期がありました。思春期まっただ中、中高生のころの話です。まわりの人たちは楽しそうに笑っているのに、何がおもしろいのかがまったくわからなかったのです。

 それからというもの、長い間「孤独感」のようなものを抱えていました。まわりの人は笑っているのに、自分にはおもしろさがわからない。まわりの人は楽しそうにしているのに、自分には楽しさがわからない。だれと一緒にいてもそんなふうに感じていました。

 その思いは、言い換えれば「自分のことをわかってほしい」ということでもあります。理解者がほしい。ずっとそんなことを思っていました。だからこそ、いろいろな人と話をして、いくつかの恋愛を越えてきました。

 ただ皮肉なことに、相手に近づけば近づくほど「自分とはちがう」ということが顕著になっていくわけです。当然なんですけどね。当然なんですけど、当時の自分はそれがとても悲しかったのです。強いて言うなら、このときの感情が「腹立たしい」に近かったかもしれません。他人にではなく自分に。

 きっとこの「孤独感」というものは、多くの人が乗り越えなければならない壁なのでしょう。糸井重里さんは「孤独は前提だ」と言い、平田オリザさんは「わかり合えないことから」と言っています。この前提に立つことができたときに、はじめておもしろい世界が見えてくるのでしょう。いや「見えてくるようになりました」と言った方が正確なのかもしれません。

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 この質問って要するに「幸せとはなにか」ということですよね。なんて大きなテーマをほうり投げてきてんだ。結局のところ「幸せとはなにか」を語ろうと思ったら、もうひとつ上に位置する「なんのために生きるのか」ということを考えなければなりません。
 とてもじゃありませんが、5問あるうちの1問としてはあまりにも規模が大きすぎます。だから、今回はもうひとつ下に位置する「なんのために勉強するのか」というところから攻めてみようと思います。

 きっと「幸せとはなにか」に触れられるか触れられないかというところで終わってしまうかと思います。今回ばかりは勘弁してください。読んでくださっている皆様も、あらかじめご了承の上でお進みください。
  「なんのために勉強するのか」と聞かれたときには、いつも「おもしろいものを見逃さないようにするため」と答えています。自分が知らないだけで、この世界はおもしろいもので溢れています。そんなおもしろいものたちの存在に、気がつくこともなく、ただただ通り過ぎてしまうのはあまりにももったいないなと思うのです。

 「勉強」とは、それらに気がつくための視点を身につける手段です。考え方ひとつで世界はガラリと姿を変えます。当時はぼんやりと聞き流していたあの江戸時代の文化の授業も、うとうとしながら聞き流していたあの二次関数のグラフの授業も、今思えばとんでもなくおもしろいことをしていたのでしょう。

 そして、1日のほとんどを勉強に費やすことができるだなんて、今思えばとんでもなく贅沢な生活です。皮肉なことに、その事実に気がつくのは大人になってからなんですけどね。ほんとに上手にできています。

 要するに「幸せとはなにか」にひとつの基準を与えるとしたら「おもしろいものに気がつくことができるかどうか」だと言えるのではないでしょうか。あくまでも個人的な見解ですよ。個人的な見解として、おもしろいものに気づける人はきっと幸せなのだと思います。いちど見えるようになったら、次々に見えるようになりますからね。

  しかも、その「見える」という結果だけでなく「見えるようになる」という過程もおもしろいのです。言ってしまえば、人生はずっと「見えるようになる」の連続なのかもしれません。その過程を心から楽しみながら「自分は世界一幸せだ」と思うことができたのなら、それはもう紛れもなく「世界一幸せな人」なのではないでしょうか。

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  人は物語という枠を共有しながら、枠に囲われて生活をしています。国という枠、性別という枠、家族という枠、年齢という枠、学校という枠、社会という枠、職業という枠 ....... 。そしてそんな枠のほとんどは、自分の意思で定めたものではありません。社会生活をおくる中で、教育を受ける中で、知らず識らずのうちに囲われているのです。

 そのように考えると、物語創作は「枠の再構築」だと言うことができます。一般的に「都市伝説」と呼ばれている物語は、「既存の枠をいかに飛び越えるか」を中心につくられたコンテンツです。生態系という枠を飛び越えたカッパやツチノコ。地球という枠を飛び越えた宇宙人や未確認飛行物体。組織という枠を飛び越えたフリーメイソンやイルミナティ。

 これらの物語は、実在するとかしないとかそういう話ではありません。そんなことを言い始めたら、国だって性別だって家族だって、そんなものはじめから実在していませんからね。論点はそんなところではありません。重要なのは、どのような枠組みを利用して人々の興味を引いているのかというところです。枠を飛び越えて物語を創るということは、その枠の存在を再確認させるということですからね。

 その枠を大きな意味で崩しにかかったのが『マトリックス』という映画でした。現実世界という枠をまるまるひっくり返して、仮想現実に仕立て上げたのです。まだ観たことがない人はぜひ観てください。言っている意味がわかっていただけるかと思います。

 『マトリックス』の主人公であるネオは、自分のまわりにある枠の存在を知り、自由にその枠を飛び越えられるようになります。身体能力の枠を飛び越える瞬間が、かの有名な銃弾を避けるシーンです。

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 最近観た『トゥルーマン・ショー』という映画も、描き方はまったく違えど同じ「枠」をテーマに扱っていました。主人公の人生そのものが、すべてテレビ番組によるつくりものだという設定の物語です。こちらもかなりおもしろかったのでぜひ観てみてください。

 すみません。なんだか映画紹介みたいになってしまいましたね。要するに、都市伝説も映画も人生も、すべて枠によって生み出されているということです。そんな枠の存在にすら気がつかずに生きていくのか。はたまたその枠を自覚した上で飛び越えて生きていくのか。すべては自分次第です。まあ、仮にひとつの枠を飛び越えられたとしても、そこはさらに大きな枠の中なんですけどね。

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 いやあ、終わりましたよ。らぱんさん。こちらは2回目ということもあり、またちがったおもしろさを味わうことができました。やっぱりこの企画、当人たちがいちばんおもしろいですね。 なかなか大変ではありますが、質問数を減らせばもっと気軽にできるのかもしれません。

 読んでくださった皆様、いかがだったでしょうか。前回同様、この企画のねらいは「お互いのよさが引き立つこと」と「ひとりでは出てこなかったであろう視点が生まれること」です。こればかりは自分たちで判断することができないので、どしどしコメントをいただけるとありがたいです。皆様のコメントがなければ永遠に らぱん' さん が ノーマルらぱんさん に戻ることができません。ご協力よろしくお願いします。

 最後になりましたが「インクかららぱんへの5つの質問」の回答編が、らぱんさんの note の方に上がっているはずです。ちなみにこちらから投げた質問は以下のとおりです。

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 これまたおもしろそうでしょ。お互いに質問を伝え合ったあとは、なんの打ち合わせも確認もしていないので、らぱんさんがどのような回答をしてくれているのかは筆者もまだ知りません。下のリンクをタップしていっしょに読みに行きましょう。

 改めて、長ったらしい文章を最後まで読んでくださりありがとうございました。いっしょに悪だくみをしてくださる方がいらっしゃいましたら、気兼ねなくご連絡ください。

twitter.com

 

【お知らせ①】

 本日20時よりZOOMにて「教育を存分に語れるバー」第5回を開催します。気づけばもう5回目なんですね。毎回のようにメンバーは入れ替わっていますので、はじめての方も何も気にせず遊びに来てくさい。参加希望はツイッターのDMへ。

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【お知らせ②】

 らぱん、ZOOMはじめるってよ。明日の夜です。アフタートークまでが遠足です。遊びに来てね。こちらも同じく参加希望はDMへ。

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【お知らせ③】

 ???

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