ツイートの3行目

小学校の先生です。ツイートは2行まで。3行目からをここに書いていきます。

【金】抽象度を上げる ≒ 汎用性を高める

 

 おはようございます。「大変だ!」とみんながあわてふためいているのなら、それはもはや大変ではないのかもしれません。「大変だ!」と思っている世界は、案外小さいのかもしれません。「大変だ!」とみんなが思うから大変になるのであって、「大変だ!」と思わなければ大変ではないのかもしれません。大変は変態とよく似ていますが、変態はそれほど大変ではありません。状況はみんな同じです。要請が出たからといって危険性が変わるわけではありません。心配は感染します。こんなときこそ堂々と。どうも、インクです。

 

抽象度を上げる ≒ 汎用性を高める

  「2+3=」と聞くと、1年生はまず手を広げます。指を一本ずつ折り曲げて、答えの「5」を求めます。そのまま続けて「5+3=」と聞くと、また同じように手を広げます。そして指を一本ずつ折り曲げて、答えの「8」を求めます。

 これがだんだんと、手を広げなくても計算することができるようになります。なぜそんなことができるようになるのかと言うと、10進法におけるたし算の「考え方」を理解することができるようになるからです。たし算という「考え方」を知ることで、他の数字を用いた問題にも対応することができるようになるのです。

 

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 当たり前なことのように思えるかもしれませんが、この抽象・具象の往来は人間の思考においてかなり重要です。もしこの往来がなければ、先ほどの例のように、それぞれの計算をまた1からはじめなければならなくなります。要するに「2+3」と「3+5」を、なんの関連性ももたないまったくの別物として計算しなければならなくなるということです。

 もちろん計算に限らず、あらゆるものに当てはめて考えることができます。「抽象化」はものごとを関連づけて考えるためには必要不可欠なアイテムなのです。この考え方ができるようになれば、なにも同じ分野の内容に限らず、あらゆる分野のものごとを関連づけて考えられるようになります。「あの漫画の構成はあの曲の構成と似ている」だとか「このデザインはあのできごとをもとに考えられている」だとか。あらゆるものごとが繋がりはじめると、見えている世界はもっとおもしろくなるはずなのです。

 しかし、学校の先生はこの「抽象化」を教えてはくれません。「もっと具体的に」と言われたことがあったとしても「もっと抽象的に」と言われたことはないはずです。正確に言うならば「抽象化」という思考法は「学習の中で自然と身につけていくもの」という位置づけをされています。まあ、たしかに「抽象化」ができていなければ、計算はできませんからね。計算練習の中で、自然と「抽象化」を身につけているということにはなります。

 まあ、直接この考え方を子どもたちに説明しても伝わることはないでしょう。そもそもこれまでの人生で触れてきた「具体」が少ないわけですから、「抽象化」しようにも材料が不足しています。仮に「抽象化」できたとしても、そこから繋がる別の「具体」がありません。だからこそ学校ではよく、その「具体集め」として「もっと具体的に」と言われるのです。

 

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フィンセント・ファン・ゴッホ「星月夜」(1889年)


 絵画や音楽や文学などのいわゆる「芸術」と呼ばれる分野の作品は、言わば抽象概念をそれぞれの手法で具象化しているわけですが、その具象化された作品にもまだ「抽象的な要素」がのこっています。絵画と言われてゴッホの「星月夜」を引っ張ってくる時点で、絵画に関する知識がまったくないことがバレてしまいますね。まあ大目に見てください。

 たとえば、この絵画を目にしたとき、鑑賞者はどうにかこうにか「具象化」して自分のものにしようとします。「理解しようとする」とも言い換えられるかもしれません。しかし、この「具象化」の道筋は人によって少しずつ違います。それぞれがもっている「具象」が異なるからこそ、結び付け方も人によって変わるというわけです。

 しかし、以前の記事にも書いたとおり、人によって違うからこそすべてが自由なのかというとそういうわけではありません。まったくの自由なのであれば、この絵画が存在している意味がなくなってしまいます。少なからず絵画として表現されている時点で、とある抽象概念を描き手が「具象化」しているわけです。しかし、その「具象化」は途中で止まっています。あえて止まっていることもあるでしょうし、止まらざるを得なかったこともあるでしょう。

 鑑賞者は、描き手が進んできたこの途中までの道のりを無視してはいけません。描き手が進んできたこの道のりを分析する必要があります。分析を経ていない解釈にはなんの価値もありません。先ほど述べたように、「具象化」には個人差があるので、解釈に正解はありませんが、間違いはあるということです。

 

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 なんだか自分で書いていてわけがわからなくなってきました。しかし、そんなときでも決してあわてふためいてはいけません。あわてふためいていいことなんてひとつもありません。いいですk。あわてたふめいていいことなんてひtっつもありませんからね。どうか、落ち着いてください、

 ただし、ひとつだけ気をつけなければならないことがあります。あわてふためく人たちを俯瞰的に見ながら「まあまあ、落ち着いて」と言っている人は、それはそれでウザがられます。「別にオレは焦っていませんけど」感が、はたから見ればなかなかにウザいです。ほどよく現場の混乱に乗じながら、されど頭はクールにいられたらいいですね。