ツイートの3行目

小学校の先生です。ツイートは2行まで。3行目からをここに書いていきます。

【火】聞かれてもいないのに必死に理由を説明しようとする人いるよね

 

 おはようございます。スーパーの袋詰めが上手な人は、きっとテトリスが強いです。まずは飲み物、次に箱物、最後に小物がセオリーです。ここでわりと厄介なのがお肉です。長方形のトレイに入っているタイプならまだいいのですが、時々正方形のトレイに入っているタイプのやつがいます。ビニール袋と正方形ってかなり相性が悪いんですよね。なんとか横向きのまま入れようと試みるのですが、結局あきらめて縦に入れてしまいます。

 袋詰めといえばこいつも忘れてはいけません。そうです。ネギです。もはやビニール袋に収まるつもりがありません。「オレは型にハマらないぞ」とでも言いたいのか、必ず袋からはみ出します。しかも長さの都合上、斜めに入れるしかありません。斜めに入れるとはどういうことかというと、飲み物や箱物の美しい並びを妨害するということです。たった1本のネギのために美しくハマったテトリスをズラしていかなければならないのです。だからといって、ポキっと半分に折ってしまう気にはなれないんですよね。きっとこういうやつが、上手に世間を渡っていくのだろうなと思います。どうも、インクです。

 

聞かれてもいないのに必死に理由を説明しようとする人いるよね

 「昨日塾から帰ってきて一生懸命やったんですけど、朝学校でランドセルを探してもなくて、たぶん家の机の上に置いてきてしまったと思うので、今日は宿題を出せません」

 学校にいると、こんなセリフをよく耳にします。子どもがこんなことを言ってきたら「そうですか」という一言だけを返すようにしています。すると、大抵困った顔をするので「それで?」と続けると「明日提出します」と言ってどこかへ去っていきます。

 宿題の必要性に関する議論は置いておくとして、このセリフにはあまりにも無駄が多いです。もっとも伝えなければならないことは「提出することができないからどうするのか」ということであって「なぜ提出できないのか」ではありません。

 要するに、塾から帰ってきてやったことも、ランドセルを探したことも、家の机の上に置いてきたことも、こちらからすればどうだっていいのです。そんな情報を聞かれてもいないのに一生懸命語ってしまうと、たとえそれが事実であったとしても、相手には「言い訳」にしか聞こえません。「失敗した自分を必死に守ろうとしている」というようにしか見えないのです。

 教科書やノートの忘れ物も同じです。前任の先生に教えられていたのでしょう。「先生、国語の教科書を忘れました」とわざわざ言いに来ます。「どうすればいいですか」と聞いてくる子どももいます。そんな子どもたちには「そうですか。先生は別に困りません」と返し続けました。

 すると、「この先生に言っても仕方がないぞ」と思ってくれたのでしょう。「先生、国語の教科書を忘れたので隣の人に見せてもらいます」と言いに来るようになりました。同じように見えて、これは大きな変化です。「忘れたときにどうするか」を自分で考えるようになったのです。こう言ってくれたら「今日は教科書に直接書き込む活動があるからコピーをわたすね」などの具体的な話をすることができるようになります。

 たとえ忘れたものが、習字セットや裁縫セットでも同じです。子どもたちから「どうするのか」の案を出してこない限り「そうですか」の一言で済ませます。忘れたのは自分ですからね。自分でどうにかすればいいのです。もちろんその選択が結果的に「先生に借りる」になってもいいでしょう。先生はちゃんと貸せるように大抵のものは準備しています。大切なのは自分で考えて動くということです。極端な話、自分でどうにかすることができるのなら忘れ物をしたって構わないと思っています。

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 忘れ物については先生によっていろいろな考え方があるでしょう。中には「大人が叱ってやらないと忘れ物をすることを何とも思わないようになってしまう」という考え方もあるはずです。筆者はこのやり方をとってはいませんが、一理あるとは思います。

 ただ、それはそれでいいのではないでしょうか。忘れ物をしても毎回なんとかなるということは、それだけ周りの人の「信用」を普段から集めているということです。「あの人になら貸してあげてもいいかな」と思ってもらえているということですからね。しかし、これがもしあまりにもくり返されるとどうでしょう。「また?もうさすがに貸したくないわ」と思われるようになるのではないでしょうか。単純な信用失墜です。困ってからしか気づくことしかできないのなら思い切り困ればいいのではないでしょうか。

 ここで、学校はこんな妙なことをしてはいけません。「どうして貸してあげないの!友達でしょ!」と貸す側を責めることです。これだけは絶対にしてはいけません。学校の先生って結構するんですよねこれ。わけがわかりません。もちろん意地悪で貸さないのはどうかとも思いますが、基本的にはすべて貸す側の判断です。貸したくなければ貸す必要なんてありません。その人に「貸してあげてもいいかな」と思わせるだけの信用がなかっただけです。

 先生が口をはさむとすれば、その人が相手の優しさに甘えて、感謝の気持ちももたずに、当たり前のように人のものを借りるようになったときです。そんなときは、先生から「そんなやつには貸さなくてもいい」と言ってしまってもいいかもしれません。

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  忘れ物には2種類あります。忘れたときに「自分だけが困るもの」と「まわりの人も困るもの」です。学校における子どもたちの忘れ物のほとんどは「自分だけが困るもの」です。宿題も教科書もノートも、忘れた自分が困ります。だからこそ、忘れたときには勝手に困ればいいのです。困るということは考えるということですからね。