おはようございます。昨日は電車に揺られてちょっとそこまでお出かけをしてきました。空いている電車っていいですよね。座っているだけで遠くまで身体を運んでくれます。かつては「みんながスマホを見ていて奇妙だ!」だなんて取り沙汰されていましたが、今ではそんな風景も当たり前になりました。だからこそ、電車の中で本を読んでいる人を見かけると、これまで以上に気になるようになりました。あの人はなんの本を読んでいるのだろう。別に知ったところで何かがあるわけではないんですけどね。どうも、インクです。
学校はめあてや目標で溢れている
学校はめあてや目標で溢れている
— INK@小学校の先生 (@firesign_ink) 2019年6月24日
今週の生活目標は「大きな声であいさつをしよう」です。今週の健康目標は「休み時間のあとは手洗いうがいをしよう」です。今週のそうじ目標は「すみずみまできれいにしよう」です。今週の・・・
この子、割と汎用性が高いですね。短いスパンでの再登場でした。次の登場にも乞うご期待。(過去の登場はコチラ → 【火】敬意を持った上で先生らしさに中指を - ツイートの3行目)
学校には「めあて」や「目標」が山のようにあります。これらを常に意識しながら生活している子どもなんてただのひとりもいないでしょう。本当にばかばかしいなと思います。
かくいう筆者も「学年で揃える」という圧力に屈して、3学期の目標をクラスの子どもたちに書かせてしまったんですけどね。まあ、学年の先生方と仲良くすることもひとつの大切な要素です。不必要に反発しても仕方がありません。巻かれるところは巻かれておきましょう。
それはさておき、話を戻します。「めあて」や「目標」とは本来、「目的」を達成するためにあるものです。大きな声であいさつをする目的とはなんでしょう。休み時間のあとは手洗いうがいをする目的とはなんでしょう。すみずみまできれいにする目的はなんでしょう。まずはそこを明確にして、共有する必要があるのではないでしょうか。
次に必要なのが「目標の具体性」です。目標は達成するために設定するわけですから、達成できたのかどうかがはっきりとわからなければなりません。たとえば「大きな声であいさつをしよう」という目標は、一体どうなれば達成なのでしょうか。どこまでが大きな声でどこからが小さな声なのでしょう。目の前にいる相手にでもでかい声を出さなければならないのでしょうか。逆にはるか遠くに見えている相手ならどうでしょうか。一度あいさつをした相手ともう一度廊下ですれ違う場合はどうでしょうか。
このように「目標」に具体性がなければ、不確定要素があまりにも多くなります。そうすると、達成基準が「個人の判断」になってしまいます。別に、自分が達成できたと思えたのならそれはそれでいいのかもしれませんが、次に繋がるものが何もありません。はじめから判断基準にブレがあるせいで、何がよかったのか、何が悪かったのかがはっきりとわからないのです。よかったところを次に活かすことも、悪かったところを改善することもできません。
はじめに挙げた3つの中で、もっともわかりやすいのは「休み時間のあとは手洗いうがいをしよう」ではないでしょうか。目的は「健康を保つこと」です。休み時間のあとに手洗いうがいをすれば目標は達成ですし、しなければ達成ではありません。とてもわかりやすいです。目的と目標がわかりやすいからこそ、具体的に手段を考えることができます。
たとえば、手洗い場の前に「手洗いうがい!」と書いた看板を立てることができるかもしれません。もしくは休み時間が終わるたびに「手洗いうがいチェック」の時間をつくってもいいかもしれません。実際にやるかどうかは別にして、「目標」に具体性があると具体的な「手段」を考えていくことができるというわけです。
目的 → 目標 → 手段
よく言われるやつですね。学校は真ん中が大好きです。「目的」もはっきりしていないのに、とにかく「目標」を乱立させます。だから、達成できたかどうかもロクに判断できないような「目標」で溢れます。
どうして学校がこんなに「目標」が好きなのかというと、決めておけばそれっぽくなるからです。それっぽくなる上に「先生はちゃんと言ったでしょ」と責任を回避することができます。子どもたちに決めさせるのも同様です。「自分で決めたことでしょ」と子どもたちの責任にすることができるのです。そのくせして、「手段」を考えようとはしません。「目標」を立てるだけ立ててあとはほったらかしなのです。
まずは目的、次に目標、そして手段です。もはやこの思考プロセスをしっかりと子どもたちに教えてやることこそが、教育のひとつの「目標」になるのかもしれません。「とりあえず目標を立てよう」「とりあえず目標を書かせよう」というのはもうやめにしましょう。その活動にはなんの意味もありません。
実はこの文章を書くのは2回目です。1回目はこれまた寝落ちしてしまい、データがすべてふっとびました。本当にやってられません。ただ、いざ気持ちを切り替えて書き始めてみると、やはり1度書いているだけあってすらすらとことばが出てくるものですね。30分もしないうちに書き上げることができました。
ふだんは何も考えていないところから書き始めるので、割と時間がかかります。朝の段階で次の記事のテーマが決まっていて、そのことを考えながら1日を過ごすというのがベストなのかもしれませんね。まあ、とにかく大変な1週間のはじまりでした。おかげでもう何もこわくありません。