【土】「全然怒らないのになぜかみんな話を聞く」と子どもが家で言っているらしい
おはようございます。先週、2学期の個別懇談会が終わりました。1学期にもおなじことを書いた気がしますが、おもしろいんですよね。個別懇談会って。
続けていろいろな人と話すので、なかなかにエネルギーをつかうのですが、とにかく「子どもたちが愛されている」ということを実感させられます。
保護者の方々は、あれやこれやと悩みながら、距離感を考えながら、子育てをされています。小学校の先生としていろいろな悩みを聞くわけですが、いちばんよく耳にするのは「時間のつかい方」についてです。
「ずっとゲームをしていて宿題をやる時間がいつも遅くなってしまう」とか「そろそろ風呂に入りなさいと言うたびにいつもケンカになってしまう」とか。
ひとつの傾向として、このようなことで悩んでいる家庭では、寝る時間が決まっていません。寝る時間をずるずると引き伸ばせてしまうからこそ、お風呂の時間も宿題の時間もあと回しになってしまうのです。
ちなみに、うちは20時に寝かされていました。小学6年生までです。いま思えばすごいことですね。当時は「なんでこんなにはやく」と思っていましたが、いまでは感謝しています。朝起きることになんの抵抗もありませんからね。どうも、インクです。
「全然怒らないのになぜかみんな話を聞く」と子どもが家で言っているらしい
「全然怒らないのになぜかみんな話を聞く」と子どもが家で言っているらしい
— インク@青年求職家 (@firesign_ink) 2020年12月2日
子どもたちの言う「優しい先生」というのは「怒らない先生」のことを指します。本当は「怒る先生」が優しいことだってあるはずなんですけどね。
この「怒る/怒らない」に関しては、教員の中でもよく話題に上がります。「怒るときは怒らなければならない」だとか「怒る先生がいるからこそ成り立っている」だとか。決着のつかない言い争いです。
筆者の場合は単純に、怒ることが苦手です。普段の生活においても「怒り」という感情がほとんどありません。子どもたちに対してイライラするということもありません。そもそもが「ない」のです。
だから、子どものことを怒ろうとすると、すべてが嘘になってしまいます。「ときには演技も必要だ」という意見もよくわかりますが、思いをしっかりと伝えなければならない場面で、わざわざ嘘をついてまで熱量を演出する必要があるのでしょうか。
その嘘は、絶対にバレると思うんですよね。筆者自身も初任のころに怒ろうとしたことがあるのですが、とにかくうまくいきませんでした。目に見えて空回りしているし、そんな自分が恥ずかしくもなるし。慣れないことはしないもんだなと思いました。
そこからは、いかにして「怒る」という手段をつかわずに熱量を伝えるかを必死になって考えました。子どもたちが間違ったことをしたときには、絶対に怒らなければならないわけではありませんからね。
「怒る」という行為はあくまでも手段です。目的にしてしまってはなりません。あらかじめ断っておきますが「怒ると叱るとでは違うんだよ」という類の意見はもう勘弁してください。耳にタコが棲みつきます。
さらに言うならば「怒る」という手段を否定しているわけでもありません。上手につかえるのなら、自由につかえばよいでしょう。ただ、マナーとして、他者に押し付けようとしてんじゃねえぞとは思います。
そんなこんなで試行錯誤をしながら教員生活を送ってきたわけですが、今年の個別懇談会で、今日の記事のタイトルにもなっていることばを聞きました。
クラスの子が家で「先生は全然怒らないのに、なぜかみんな話を聞く」と言っていたそうなのです。このことばを聞いて、いろいろなことを考えました。
まずはやっぱり、子どもたちの言動の動機としては「怒られないようにするため」が大きかったのだろうなということです。家でも学校でも「怒られるかどうか」という基準で自分の言動を決めているのです。
たしかに怒られると「いまのはダメだったんだな」と思うことができるわけですが、言い換えるなら「考える必要がなくなる」ということでもあります。
「よい/わるい」の判断を、大人に委ねているわけですからね。いや、大人に委ねるというより、大人が奪っていると言った方が正しいのかもしれません。
どうして大人が、子どもの考える機会を「怒る」ことを通して奪ってしまうのかと言うと「どうせ子どもにはわからない」と思い込んでいるからです。簡単に言えば、子どもをバカにしているのです。
たしかに子どもたちは、できないことも多いです。そりゃそうです。生きてきた時間が短いわけですからね。ただ、だからこそ、自分でできるようになるためのサポートをしてやらなければなりません。
「怒る」という行為で、善悪の判断基準をトラウマとして埋め込むことはできるのかもしれませんが、それを繰り返していても仕方がありません。
言ってしまえば、子どもたちは「ダメだったら大人が判断して怒ってくれるから、自分で考えなくてもいいや」という思考になってしまうのです。
しかも、大人は大人で「怒る」ということを通して、子どもの中に「自分の存在」を植え付けようとします。「ぼくのために怒ってくれてありがとう」だなんてセリフを言わせることで、自分の存在価値を子どもの中に見出そうとするわけです。
子どもを利用しているということですね。「何回言っても聞かないんですよ」だなんてことをブーブーと言いながら、本当は大人が救われているのです。
大人が離れてやらないと、子どもはいつまでも甘えてきます。子どもがいつまでも甘えると、大人はますます子どもから離れられなくなってしまいます。
苛立つのを
子どものせいにするな
なにもかも下手だったのはわたくし
自分の感受性くらい
自分で守れ
ばかものよ
【今後の予定】
①12月9日(水)こきけんよう Vol.22
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