おはようございます。祝日だということを知らずに、昨日の午前中はうっかり仕事をしてしまいました。悪気はありませんでした。本当です。信じてください。誰だってうっかり忘れてしまうことくらいあるではありませんか。
もちろん反省はしています。べつに言い訳をしているわけではありません。うっかり仕事をしてしまったことは悪かったと思っています。でも、だからといってそんな言い方をしなくてもいいではありませんか。
過去のことはもうどうしようもありません。今さら昨日の午前中をなかったことになんてできっこないのです。だから、今回の反省を生かせるようにこれからはがんばっていきたいと思います。もう二度と祝日の午前中に仕事をしないとここに誓います。この度は誠に申し訳ございませんでした。どうも、インクです。
全般的に大人は子どもをナメている
全般的に大人は子どもをナメている
— インク@小学校の先生 (@firesign_ink) 2020年4月25日
子どものためにこれをしてあげよう。子どものためにあれをしてあげよう。子どものために。子どものために。子どものために。大人はいつも子どものために何かをしてあげようとがんばります。このような大人の思いを、そのまま裏返すとこうなります。
子どもにはどうせできない。
子どもは大人よりも思考力が劣っているから、どうせできない。子どもは大人よりも判断力が劣っているから、どうせできない。子どもは大人よりも経験が浅いから、どうせできない。子どもは大人よりも体力がないから、どうせできない。
どうせできっこないんだから。大人がやってあげましょう。「子どものために何かをしてあげる」とは、要するにこういうことです。タイトルにもあるとおり、全般的に大人は子どもをナメているのです。
どうして大人が子どもをナメるのかというと、経験として「できない子ども」を見ているからです。「ほらね、だからできないって言ったでしょ」という経験を積み重ねているのです。大人は経験が豊富な分、未来を予測することができます。予測することができるからこそ、子どもがぶつかるであろう障壁をあらかじめ排除してしまいます。
これを大人は「子どものため」だと言うわけですが、実際は自分のためであることがほとんどです。壁にぶつかっている子どもって、見ていてやきもきするんですよね。「ああ、もっと簡単な方法があるのに!」とか「それじゃあうまくいかないってなんでわからないの!」とか。大人は教えたがりですから、どうしても口をはさみたくなってしまうのです。
「子どものため」は大人のエゴ。
結局は大人が教えたいだけです。子どもにとって「価値のある存在」になりたいのです。これって、ただの大人のエゴでしかありません。しかもそれを「子どものため」だと言って正当化しているわけですから、なかなかにタチがわるいです。
障壁が排除されたキレイな道を子どもに歩かせることと、障壁のある道を試行錯誤しながら子どもに歩かせることと、どちらが本当の意味で「子どものため」になるのでしょうか。
結果的に障壁を乗り越えられなくたってかまいません。そこには「乗り越えられなかった」という経験がのこります。しかし、はじめから障壁が取り除かれていたら、そもそもそこに障壁があったことにすら気づかずに子どもたちは進んでいくでしょう。
試行錯誤に価値がある。
障壁を乗り越えることにももちろん価値はありますが、何よりもその過程で試行錯誤することにこそ価値があります。繰り返しになりますが、いろいろと試した結果として乗り越えられなくたってかまいません。そんなときこそ大人のパワーを思い切りつかって、子どもを助けてあげればいいのです。
大人のエゴから生まれる「子どものため」のせいで、子どもが考える機会を失ってしまうことだけは、避けなければなりません。「子どものため」と大人ががんばることで、子どもの機会が失われるだなんて、あまりにも皮肉が効きすぎていて悲しいですからね。
そのためには、やはり大人がぐっと我慢する必要があります。先ほど述べたように、大人は教えたがりですからね。 子どもが障壁にぶつかっているところを、ニヤニヤしながら見守ることが大切です。CT先生(@HereticsStar)の言う「何もしないということを、する」です。
何かをすることで「自分は子どもにとって必要な存在なんだ」と信じてきた大人にとっては、かなり勇気のいることでしょう。そわそわしながらも、口を閉じてじっと座って子どもたちを見守るのです。
よーいどんで口を閉じれば、あらゆる職業の中でもきっと学校の先生が真っ先に我慢できなくなるでしょう。できていない子どもをみつけると、すぐに教えたくなってしまいます。本当なら学校の先生こそいちばん黙っていなければならないんですけどね。
試行錯誤している子どもたちを眺めながらニヤニヤする。
むしろ学校の先生は、子どもたちに合った障壁を意図的に用意する仕事だと言えるのではないでしょうか。壁を用意して、まんまと試行錯誤している子どもたちを眺めながらニヤニヤする。これが学校の先生の仕事です。
罠をはると言ってもいいかもしれません。「先生が仕掛けてきたぞ!よし、絶対に攻略してやる」と、子どもたちに思わせることができたらいいですね。
【お知らせ】
土曜日に第4回「教育を存分に語れるバー」を開催します。今回のテーマは「宿題の在り方」です。学校の先生でなくとも、自身が宿題をやった経験はあるかと思いますので、いろいろな立場の方が集まればおもしろいなと思っています。もちろん学校の先生もウェルカムです。
「このブログを書いている人と話してみたい」という軽いノリでもかまいません。声が出せないのなら聞くだけでもかまいません。どしどしご参加ください。参加希望の方はツイッターにひとこといただけたら、当日DMでリンクを送信します。迷うくらいなら参加しちゃいな。
第4回 教育を存分に語れるバー
テーマ:宿題の在り方
日時:2020年5月2日(土)20時ごろから
場所: ZOOM