おはようございます。最近はじめて「野菜スティック」なるものを食べました。そうです。あの、野菜を摂取した気分になるためだけの食べものです。
ファミリーマートでなんとなく買って、なんとなく食べたのですが、これが案外おいしいわけです。ファミマで選出されていた野菜は次のとおりです。
にんじん、大根、きゅうり、キャベツの4種類。これらを「味噌マヨ」にディップしていただきます。こんなことを言うと商品名に反してしまいますが、結局はこの味噌マヨがおいしいんでしょうね。
どうやらほかのコンビニの野菜スティックも、基本は味噌マヨだそうです。野菜スティック研究家として、どの程度のちがいがあるものなのかをまた調べてみようと思います。どうも、インクです。
説得力はことばよりも生き様から
説得力はことばよりも生き様から
— インク@青年求職家 (@firesign_ink) 2020年10月26日
子どものころに憧れていたものがあります。それは「説得力」です。いや、今でも憧れているのかもしれません。子どものころは特に、何を言ったところで「所詮は子どもの意見」として扱われてしまいますからね。それがもどかしかったのだと思います。
こんなことを考えていると、ずいぶん昔に作家の朝井リョウさんがこんな話をしていたことを思い出しました。「作家としては、歳を重ねることによって生まれる幻の説得力がほしい」というお話です。
小学校の先生として職員室で過ごしていても、同じことを思います。何を言ったところで「所詮は経験の浅い若手の意見」として扱われてしまうのです。
しかもそれが紛れもない事実だからこそ、もどかしくて仕方がないわけです。努力で歳を重ねることはできませんからね。1年に1歩ずつしか進めません。
それを逆手にとれば「その若さでそんなことができるのか」になるわけですが、結局はこれも、下に見られていたからこそ成り立つ評価です。はじめのハードルが低かったから、ただ驚かれているだけなのです。
べつに「歳上なんて大したことがない」と言うつもりはありません。生きている時間が大きく違いますからね。「年の功」は間違いなく存在します。
その上で、いやだからこそ、対等に話がしたいと思うのです。知識や経験値が対等だとか、そういう話ではありません。「どうすることもできない変なフィルターをかけないでほしい」と願っているだけです。
いかがですか。とても若者らしい意見でしょう。「俺も昔はそんなふうに考えていたなあ」だなんて思っているのでしょう。そんなあなたは気づかぬうちに、すっかり大人になってしまっているわけです。
先日、自分よりいくつか年下の方とごはんに行く機会があったのですが、迂闊にも「若いなあ」と思ってしまいました。本当に自然と思ってしまったのです。
それに気がついたとき、ものすごく嫌な気もちになりました。自分がされて嫌だったことを、ほかの誰かにもしようとしてしまったわけです。
もちろん相手は何も悪くありません。こちらが勝手に、発言内容を若さに結びつけてしまっただけです。
そんな相手が絶対に勝てないフィールドでマウントをとって、優越感に浸るような大人にはなりたくありません。できるだけもっとフェアなフィールドで、相手と対峙できるようにしたいと思います。
そして、年齢やつかっていることばから得られる幻の説得力に頼りきるのではなく、生き様からうまれる真の説得力を身につけていきたいと思います。
もちろん、年齢やことばは、生き様に紐づいています。だからついつい、年齢やことばだけに目がいってしまうのですが、前提にあるものは生き様です。
日々なにを考えて生きるかです。年齢だけを重ねても、ことばだけを武装しても、時間が経てば必ずメッキは剥がれます。逆に、基盤となる生き様に誇りをもつことができるのならら、ある程度どこに行っても通用するようになるのではないでしょうか。
【今後の予定】
①11月18日(水)こきけんよう Vol.19
②12月4日(金)らぱいんざWORLD Vol.9
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①11月18日(水)こきけんよう Vol.19
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