ツイートの3行目

小学校の先生です。ツイートは2行まで。3行目からをここに書いていきます。

【日】勉強って本当に将来のためにするものなのかな

 

 おはようございます。飲み会のあとって変な気持ちになりますよね。変な気持ちってそういうのじゃないですよ。やっと喧騒から抜け出せる開放感なのか、急にひとりになることへの寂しさなのか。なんだか不思議な気持ちになります。しかもその気持ちは、飲み会によって違います。開放感比率が高いもの、寂しさ比率が高いもの。はたまたなんなのかよくわからないもの。いろいろな飲み会があります。そして、不思議なことに翌朝になるとそのような気持ちは一切なくなっています。きっと、あの変な気持ちはアルコールが連れてくるのでしょう。そして、アルコールとともに消えていくのでしょう。どうも、インクです。

 

勉強って本当に将来のためにするものなのかな

  「なんのために勉強するの?」という子どもたちの疑問に対する大人の回答ランキング。堂々の第一位は「将来のためだよ」です。「将来のために勉強を頑張りなさい」と、こう言うわけです。一見、未来の価値を見据えた前向きなことばのようにも聞こえますが、このことばの真意はこれです。

 

今は嫌でも我慢しなさい

 

 「将来のため」ということばの本質は「我慢」です。将来困らないためにも今は嫌でも我慢しなさいというわけです。答えるのが難しい厄介な質問をしてくる子どもを黙らせるための大人の口上でしかありません。将来のことなんて誰にも分かりませんからね。こう言っておけば、責任をとらずに済みます。

  子どもたちも、大人からこう言われるものだから「将来のためにしなくちゃいけないのか」と思うしかありません。本当に「将来のため」を動機にして勉強を頑張っている子どもなんて、たったのひとりもいないでしょう。勉強していると大人も褒めてくれるし、口うるさく言われることもありません。よくわからないけれど、反発してまでやらない理由もないし、とりあえずやっとくか。という思いで勉強をしている子どもたちがほとんどなのではないでしょうか。

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 「将来のため」ということばは、勉強以外でもよくつかわれます。将来のために貯金をしておこう。将来のために運動しておこう。結婚したときのために。子どもが生まれたときのために。親の介護が必要になったときのために。万が一病気になったときのために。「今は我慢」を積み重ねていきます。極端ですが、こう思ってしまいます。

老後のために生きているのか?

 

将来のため、将来のため、将来のため。

今はどうするんだ?

将来のために今は捨てるのか?

将来の次にはまた新しい将来がやってくるぞ?

最終的には老後のために生きていることになるぞ?

そして老後にはきっとこんなことを言い始めるのでしょう。

 

死んだときのために

 

  これは人の想像力が生み出す産物です。少しの未来予知ができるからこそ、今を差し置いて未来に備えようとします。筆者が大好きな寺田寅彦も「科学者とあたま」の中でこのように述べています。

  いわゆる頭のいい人は、言わば足の速い旅人のようなものである。人より先に人のまだ行かない所へ行き着くこともできる代わりに、途中の道ばたあるいはちょっとしたわき道にある肝心なものを見落とす恐れがある。頭の悪い人足ののろい人がずっとあとからおくれて来てわけもなくそのだいじな宝物を拾っていく場合がある。

寺田寅彦(1948)『寺田寅彦随筆集 第四巻』岩波書店、P.203

  「将来のため」という考え方は、それこそ「だいじな宝物」を見落とす原因のような気がします。たしかに「備えあれば憂いなし」ということばもありますし、想像力を働かせて行動することは大切です。しかし、その一方で失っているものが案外たくさんあるのかもしれません。

 「今」はいつかの「将来」です。「今」のために我慢してきた過去があるはずです。それなのに、その「今」でさえ、さらに先の「将来」のために我慢すると言うのですか。あまりにも馬鹿らしいとは思いませんか。「今を生きろ」だなんて簡単なことばをつかいたくはありませんが、将来のことなんて誰にも分かりゃしません。それならば、今できることを思い切ってやってしまった方がおもしろいのではないでしょうか。

taishiowawa.hatenablog.com

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 このような話をしていると「なにも考えずにやりたいことをやればいいのか」と言う人がいますが、そんなわけがありません。むしろ、今を無駄にしないように動くことの方が頭をつかいます。時間はひとりでに過ぎていきますからね。1分1秒を無駄にしないように動こうと思ったら相当考えなければならないでしょう。

 逆に言えば「将来のため」という考え方は、今を無駄にしてしまうことへの言い訳でもあるわけです。「将来のため」というそれらしいことばの影に隠れて、今をサボっているのです。明日やるから今日くらいは寝させてよ。将来やるから今くらいはサボらせてよ。