ツイートの3行目

小学校の先生です。ツイートは2行まで。3行目からをここに書いていきます。

【土】「アンテナを高く張りましょう」って便利なことばだな

 

 おはようございます。子どものころから水泳が苦手でした。毎年のようにもがき苦しみながら、何とか25メートルを泳ぎ切ることができるようにはなるのですが、翌年になるとまた泳げなくなってしまいます。

 言われたとおりに手足を動かし、息継ぎのために顔も上げているはずなんですけどね。なぜだか15メートルを越えたあたりから苦しくなっていくのです。

 べつに水泳そのものが嫌いだというわけではなかったのですが、やはり気分は乗りません。生命は進化を遂げて陸に上がってきたはずなのに、どうしてわざわざ水中に戻るんだとずっと思ってきました。

 そんなときにふと、ひとつのことに気がつきました。それは「息を吸うことを意識するがあまりに息を吐いていない」ということでした。水中でぶくぶくと息を吐くことができていなかったのです。

 これに気がついてから、苦しさが激減しました。それと同時に、頭をつかって体を動かすことの大切さを知りました。体育は「運動神経の良し悪し」がすべてではないということです。どうも、インクです。

 

「アンテナを高く張りましょう」って便利なことばだな

 学級経営において、この時期は「魔の11月」だなんて呼ばれ方をすることがあります。今年は縮小傾向にありましたが、例年なら運動会や音楽会などの大きな行事が終わったあとの時期にあたります。

 ひとことで言うなら、中だるみというやつですね。「大きな行事は終わったけれど、終業式までにはまだ時間がある」という微妙な時期だというわけです。

 そしてそんな時期だからこそ、職員室でよく耳にするようになることばがあります。それが今日の記事のタイトル「アンテナを高く張りましょう」です。

 「子どもたちの言動をよくよく見ておいてね」という意味です。とても便利なことばですよね。隠喩をつかっているせいか、それっぽくも聞こえます。

 いざ何かが起こったときには「アンテナを高く張っておきましょうって言ったでしょ!」と言うことができます。具体的なことは何も言っていないのに「言った」という事実をつくることができるのです。

f:id:taishiowawa:20201128075018p:plain

 若手が本当に知りたいのは「アンテナを張らなければならない」という事実ではなくて「どうやってアンテナを張るのか」ということです。「どうすればアンテナを張っているということになるのか」です。

 学校の先生って、ほかのクラスについてとやかく言うわりに、最後は「クラスのことをいちばんよく知っているのは担任だから」と放り投げるんですよね。

 担任を尊重しているように見えて、結局は責任を負いたくないのです。言いたいことは言いたいけれど、責任は負いたくないのです。ただし、悪く見られたくもありません。だからこそ、去り際には必ず「最後に決めるのはあなただけどね」と言うのです。

 そして、いざ何かがあったときには「差し伸べた手を掴まなかったあなたが悪い」と言うわけです。差し伸べている素振りだけを見せて、保険をかけるということです。人間らしいと言えば人間らしいですね。

f:id:taishiowawa:20201128073737j:image

 ここからは、筆者自身が「アンテナを張る」ときに注意しているポイントについてお話ししようと思います。ベテランの先生方には笑われてしまうかもしれませんが、まあ温かい目でお読みください。

 まず、アンテナを張る上で大切なのは「よろしくない状況」に気がつけるかどうかです。正確に言うなら「よろしくない状況の予兆」に気がつけるかどうかです。ここに気がつくことができれば「よろしくない状況」を未然に防止することができます。

 たとえば、椅子がひっくり返ったり、ものが落ちて大きな音が鳴るような状況は、あまりよろしくありません。本当によろしくないときは、立て続けにこれが起こります。机の上から鉛筆が落ちてカランと鳴るだけでも、意識するようにしています。

f:id:taishiowawa:20201128075039p:plain

 ほかにも「休み時間ではないときにケンカが起こる」というのも、わりとよろしくありません。叩いたとか叩かれたとか、言ったとか言われたとか。

 休み時間にケンカする分にはよいのです。ドッジボールのルールを守らなくてどうのとか、遊びがヒートアップしすぎてどうのとか。そういうことは、むしろケンカをしながら学んでいけばよいでしょう。

 休み時間以外にケンカが起こるということは、いまやるべきことができていないということです。荷物を持って廊下に並ぶだけで、給食を配膳するだけで、教室を掃除するだけで、ケンカが起こるはずがありません。むしろケンカする方が難しいくらいです。

 そんなタイミングで違うことをしてしまうからこそケンカが起こってしまいます。前に並んでいる人の背中をツンツンと小突いてみたり、通らなくてもいい道をわざわざ通って給食を配膳してみたり、ほうきをクルクルと回して遊んでみたり。

f:id:taishiowawa:20201128073737j:image

 そんなときについつい先生がやってしまいがちなことが「違うことをしていた子どもだけを指導する」ということです。特定の子どもだけを叱るのです。

 これがつづくとどうなるのかというと「その子だけがわるいんだ」という空気感が生まれるようになります。その子が余計なことをしてしまったのはたまたまです。たまたまその子だっただけで、本当の原因は「余計なことをしてもよい」という空気感を発している集団そのものにあると思っています。

 極端な例ですが、もの音ひとつしない状況下で突然誰かの悪口を言いはじめる子どもなんていません。どこか別の場所でしゃべり声が聞こえるからこそ「自分も喋っていいんだ」と思ってしまうのです。

 だから本当にたまたまです。たまたま集団の端っこにいたから、トラブルを起こしてしまったただけです。本当はそのうしろに続いているマジョリティにこそ、原因があるのです。

f:id:taishiowawa:20201128075058p:plain

 学級経営の肝は中間層です。「アンテナを張る」というのは「トラブルを起こしそうな子どもを注意して見る」ことではなく「中間層に働きかける」ということです。トラブルの間接的な原因を生み出すマジョリティの動きをよくよく見ておくのです。

 ここを整備する上で、もっとも手っ取り早いのは環境改善です。簡単に言えば、そうじと整理整頓です。クラスによろしくない空気感があるときには、徹底的に環境を整えます。筆者自身も子どもたちが来る前に、毎朝そうじをしていたことがありました。

 一見、なんの関係もないように思えるのですが、環境が整っているだけで、集団の空気感は大きく変化します。このような「間接的に繋がっているもの」がどこまで見えているのかということが非常に重要になってきます。その上で、その「間接的に繋がっているもの」にどこまでアプローチできるかです。

 机の配置だったり、掲示物の画鋲だったり。授業の開始時間だったり、やることが終わったときの待ち方だったり。間接的なところから手を加えていくことができたら、クラスはもっとおもしろくなるのだろうなと思います。

 

【今後の予定】

①12月2日(水)こきけんよう Vol.21

②12月4日(金)らぱいんざWORLD Vol.9

 

【ホームに戻る】