ツイートの3行目

小学校の先生です。ツイートは2行まで。3行目からをここに書いていきます。

【木】仲良くはできなくても協力はできるようにならないとね

 

 おはようございます。昨日無事に終業式が終わったので、約束どおり今日からランニングを再開しようと思います。子どもが来ない分、朝早く出勤する必要がないので、朝のうちに走りたいものですね。よし、この記事を書き終えたら走りに行こうと思います。自分を鼓舞するためにももう一度言いますね。この記事を書き終えたら走りに行こうと思います。ランニング報告はツイッターで行いますので、フォローがまだの方はぜひともよろしくお願いします。どうも、インクです。

 

仲良くはできなくても協力はできるようにならないとね

 新しいクラスが始まるときの担任の先生の話といえば、どんな話を思い浮かべるでしょう。きっと、ほとんどの人が同じような話を思い浮かべるのではないでしょうか。

 はじめまして。担任の〇〇です。みなさんと会えるのをとても楽しみにしていました。一緒に楽しいクラスをつくっていけたらなと思います。そのためにも、みんなで仲良くすごせるようにしていきましょう。

 学校の先生って言いたがるんですよね。「みんな仲良くしましょうね」というセリフ。どうしてだと思いますか。理由はわりと単純です。みんなが仲良くしている方が、先生にとって都合がいいからです。くだらないことでケンカをされたら、そこに時間を割かなければならなくなりますからね。そこでモノが壊れたり怪我をしたりしようものならもう最悪です。ただでさえ多い先生の仕事がどんどんと増えていくことになります。

 だから、先生はみんなに仲良くしてほしいのです。もちろん表向きにはそんなことは言いません。「みんなの笑顔が見たいから」だとか「助け合って成長してほしいから」だとか、それらしいことばを並べて自慢げな顔をしています。そして、裏ではパワハラをしたりセクハラをしたりしているのです。そう考えると本当に気持ちの悪い生物だなと思います。

 何よりも気持ち悪いのが、本気で「みんなの笑顔が見たいから」や「助け合って成長してほしいから」が「みんな仲良くしましょうね」の理由として真っ当だと思い込んでいるところです。これらの理由はあくまでも建前でしかありません。決してそのように思っていないと言っているわけではありませんよ。みんなの笑顔はたしかに見たいですし、助け合って成長してほしいとも思っています。

 しかし、現実はそんなにうまくはいきません。生まれも育ちも、外見も性格も、何もかもが異なる30人の人間が集まっているのです。本気で「みんな仲良くできる」と思っている人は、きっと自分自身が楽しい学校生活を送ってきたのでしょう。

 

違う人間が同じ場所に集まって

みんな仲良くするなんて

できっこありません

 

 「いやいやできるよ」と思っている人は、それこそ本当に自分自身が楽しい学校生活を送ってきたのだと思います。その陰で我慢している人の存在にすら気づいていなかったのでしょう。あなたが「このクラスまぢで最強ぢゃん!」と思っていた集団のすみっこでは、苦しんでいる人がいたのです。

 そして、そんな人を苦しめる一番の原因が「みんな仲良くしましょうね」という先生のことばです。みんなと仲良くしなくちゃいけない。でも、上手に話せない。みんなと仲良くしなくちゃいけない。でも、すぐにけんかをしてしまう。みんなと仲良くしなくちゃいけない。でも、あんな人たちとは仲良くしたくない。

 

みんなと仲良くする必要なんて

これっぽっちもありません

 

 本当に子どもたちのためを思うのであれば、まずは先生がこの前提に立たなければなりません。ひとりひとりがクラスの全員と仲良くなる必要なんてこれっぽっちもないのです。合わないのなら合わないで、無理に付き合う必要なんてありません。その上で、みんなが楽しくすごすためにはどうすればよいのかを考えていけばいいのです。

 決して仲良くすることを否定しているわけではありません。仲良くできるのなら仲良くするに越したことはないでしょう。ただし、その前提には「仲良くしない」という選択肢も残しておくべきです。「仲良くしない」という線選択肢があるからこそ、安心して「仲良くする」ことができるのです。

 ここで言う「仲良くしない」は何もバチバチの状態を続けるというわけではありません。お互いに干渉しないという意味です。大人の世界だって同じはずです。どうしても仲良くできない人のひとりやふたり、出会ったことはあるでしょう。「そんな人とでも仲良くしましょうね」だなんて言われても無理なものは無理です。近づけば近づくほど嫌いになってしまいます。学校の先生は「一緒に遊べば仲良くなれるはずだ」なんて、人間関係を軽視しているきらいがあるので困ったものです。仲良くできない人とは距離をとる。大人なら触らずに。いたずらに傷つけずに。

 ただ、そんな人とでも協力はできるようにはならなければなりません。仲良くすることと協力することはまったくの別物です。集団行動に私情をはさむと他の人に迷惑がかかります。たとえ仲良くない相手とでも何食わぬ顔をして、協力しながら活動する。大人になる上で大切な力です。よく「学校は合わない相手との付き合い方を勉強する場所でもある」というようなことを言われますが、まさにこれです。合わない人とでも「仲良くする」方法を勉強するのではありません。合わない人とでも「協力する」方法を勉強するのです。だからこそ自分のクラスでは子どもたちにこう伝えています。

 

みんなと仲良くなる必要なんてない

ただし、みんなと協力できるようにはなりなさい

 

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 はい、書き終えました。寒いですね。きっと外はもっと寒いんでしょうね。本当に走りに行かないとだめですか...? 明日からでいいんじゃないですか...?

 ...はいはい、分かりましたよ。約束ですもんね。行きますよ行きますよ。そのかわりちゃんと走って無事に帰ってきたら褒めてくださいね。何事も協力が必要ですからね。それでは、いってきます...。