おはようございます。昔から人に相談することが苦手です。相談してしまうと、自分がやりたいと思っていたことができなくなってしまったり、制限されてしまったりすることがあるからです。大抵の人は「最後は自分で決めればいいよ」と言ってはくれますが、結局違う道を選んだらその人のアドバイスを無視したかのような形になってしまいます。
そもそも「相談」という形をとる時点で、関係性がフェアではないのです。「相談されたから答えている」だとか「あなたのために言っている」だとか。どうしても上下関係が生まれてしまいます。相談ではなく意見交換ができたらいいのになと思うのですが、人にはプライドという厄介なものがくっついているので、なかなかフェアに交流するのは難しいものです。どうも、インクです。
若さって実はとんでもない強みなんじゃないかと思い始めた
若さって実はとんでもない強みなんじゃないかと思い始めた
— INK@小学校の先生 (@firesign_ink) 2019年12月25日
20代で「もう俺もおじさんだから」とか「わたしももうおばさんだから」とか言っている人を見かけると、おじさんやおばさんに憧れているのだろうなと思います。 嫌がっているようなそぶりを見せながらも、実際は早くおじさんやおばさんになりたいと思っているのです。
ひとりの20代として、その気持ちはよく分かります。やっぱり若さってもどかしいんですよね。どれだけ自信があっても、経験という説得力がありません。何かを一生懸命やっても「若いねえ」と軽くあしらわれて終わりです。実際に、大人たちから見たら考えもまだまだ甘いのだろうし、できることも少ないのかもしれません。ああ、早く歳をとりたい。1人前の大人になりたい。そう思うこともありました。
おもしろい人はみんなおじさん
— INK@小学校の先生 (@firesign_ink) 2019年12月15日
ところが最近、フォロワーの方とのやりとりを通して、若さって実はとんでもない強みなんじゃないかと思うようになってきました。たとえば、某中小企業で総務経理の仕事をしている昭和40年男こと「わたなべなおと」さんからは、こんなコメントをいただきました。
人間の価値は年齢ではなく経験です。無駄に年齢を重ねている人も多いですよ(ドキッ💦) https://t.co/xXWjru8xyR
— わたなべなおと (@naotomoca) 2019年12月22日
簡単に言えば「経験」の重要性についてです。生きている時間が長い分、当然のことながら大人の方が経験は豊富です。ただ、見方を変えるならば、見落としてきた経験や無駄にしてきた経験も多いということでもあります。
一方で若者は、今の認識次第で、これからどんどんと経験を蓄えていくことができます。正確に言えば、蓄えていく時間が大人に比べると長く残っているということです。過去に無駄にした時間を取り戻すことはできませんが、未来に無駄になる可能性がある時間を有効につかうことはできるというわけです。
他にも、とにかくチョコレートが好きでチョコレートエキスパートにも合格されている「mu」さんからは、今日のタイトルにもなっているツイートに対してこのようなコメントをいただきました。
とんでもない強みです。
— mu (@mu_lovechocolat) 2019年12月25日
若いという事の価値を、どれだけ早くに気付けるかが、その後の人生を大きく変えると切実に思います。
このコメントをいただいてハッとしました。すでに無駄にしてしまっている時間がたくさんあるということに気がついてしまったのです。早く大人になりたいと叶いもしないことを言っている裏で「若さ」という貴重な時間をないがしろにしてしまっていたのです。ただでさえ、残された時間は驚くほど短いとは思っていましたが、このタイミングで焦りのようなものをより感じるようになりました。
どれだけ歳をとってもチャンスなんていくらでもあるとは思っていますが、単純に「残された時間」という観点で考えれば、圧倒的に若者が有利です。よく言われることですが「命 ≒ 時間」です。誰にとっても唯一平等なのが時間です(もちろん寿命に個人差はありますが)。そんな時間を大切につかっていかないと、気がつけば終わりを迎えてしまいます。死ぬまでにやりたいことの多さを考えると、いくら若者といえども、やはり残された時間は驚くほど短いのです。こいつはまずい。今すぐ動き始めないと。そう思わされました。結局はどれだけ早く動き出せるのかにかかっているような気がしたのです。
今回、突然「2020年の豊富は人に会う」だのと言い出して、東京弾丸旅行を決めたのは、この焦りからくるものです。今の自分には圧倒的に、人に会うという経験が不足しています。だからこそ、まずはとにかく人に会おうと思います。なぜ人に会おうと思ったのかというと、ひとりだと自分の人生というひとり分の時間しか経験することができないからです。簡単に言えば「あんたの時間もおいらに分けてくれよ」というわけです。
時間に限りがある生物として先人の知恵を借りないのはバカなのかもしれない
— INK@小学校の先生 (@firesign_ink) 2019年12月8日
ひとり分の人生ではどうしてもできることが限られてしまいます。しかし、ほんの少しずつでも他の人の時間をもらうことができるのであれば、できることは拡大します。こうして書いていてふと思ったのですが、だから人は結婚して家族をつくるのでしょうか。まあ、ここを広げすぎると違う話になってしまうのでまたの機会にしましょうか。とにかく、あんたの時間をおいらに分けてほしいわけです。
ただ、それが強盗であってはなりません。相手にとっても貴重な貴重な時間です。こちらの都合だけで簡単に奪ってもいいものではありません。時間を分けてもらうためにはどうすればよいのか。それはわりと単純です。「この人になら分けてもいいかな」と思ってもらえる人間になることです。
筆者の場合、その手段が、まさにこのブログでした。今回東京に行くにあたって、このブログを読んでくださっている方々からお声かけいただき、ただただ単純に嬉しかったです。読んでくださっていること自体もそうですが、わざわざ会ってまで時間を分けてくださると言うのです。こんなにありがたいことはありません。
学校が嫌いだった過去や学校の先生をしている現在、なんの気なしに始めたツイッターや自己紹介をし続けているブログ。これらがパズルのピースとして少しずつハマり始めたのかもしれません。何度も言うように残された時間は驚くほど短いのかもしれませんが、なんだかおもしろくなっていきそうな気がしています。
まずは直近でお会いする予定の方々、来週はよろしくお願いいたします。30日のランチをご一緒してくださる方、募集中です。今回お会いできない方も、また時間を頂戴しに行きますので「いいよ!ちょっとくらいならやるよ!」という方がいらっしゃいましたらぜひともお声かけください。よろしくお願いします。