ツイートの3行目

小学校の先生です。ツイートは2行まで。3行目からをここに書いていきます。

【月】<中編>英語とプログラミングよりもお金とインターネット

 

 おはようございます。昨日は無事に神戸マラソンを完走することができました。おかげで体はバキバキです。休み時間に子どもたちと鬼ごっこすることはまず無理でしょう。そもそも果たして学校までたどり着けるのでしょうか。こんな日に限って、登校指導や朝会指導が重なっているんですよね。ひとつの試練だと思って、乗り越えたいと思います。どうも、インクです。

 

英語とプログラミングよりもお金とインターネット

  「道徳」「外国語」「プログラミング」、そして「お金とインターネット」という順で書きたかったのですが、昨日の記事では「道徳」のことだけを書いて終わってしまいました。今日の記事から読み始めていただいても特に問題はありませんが、一応昨日の記事のつづきという形になっています。まだの方がいらっしゃいましたら、ぜひ昨日の記事から読んでみてください。

taishiowawa.hatenablog.com

 

2.外国語(英語)

 外国語の学習につきものなのは「何年もかけて勉強するのにまったく話せるようにならないじゃないか」問題です。その通りだと思います。どれだけグローバル化うんぬんと叫ばれようとも、やはり必然性がありません。「話せるようになりたい!」と思うきっかけがないのです。そもそも、外国語を習得してまで、外国人に伝えたいことがありません。そりゃあ、話せるようにもなりません。

 外国語を学習する上でもっとも効果的な動機は「恋」だと思っています。外国人に恋をする。そうすれば、なんとかコミュニケーションをとりたいと必死に勉強することでしょう。「恋」とまではいかずとも、洋楽や洋画にハマるのもいい動機になるかもしれません。そのような動機付けが、学校では確保できません。

 だから、みんな空元気で乗り切ろうとします。必然性どうのこうのよりも、とりあえずテンションを上げて、楽しい雰囲気にしよう。これが、外国語になると妙なテンションになる所以です。この妙なテンションは、むしろ外国語嫌いを助長しているような気がします。外国語の授業のときは、変にテンションを上げろと言われて、英語の歌をうたわされたり、ペアで英会話をさせられたりする。それが嫌になる子どももいます。実際に筆者がそうでした。「国語や算数では普通なのに、どうして英語のときだけ変なテンションになるんだ?」といつも思っていました。

 では、そんな必然性をつくり出せない「外国語」の価値は一体なんなのでしょう。日本語もままならない子どもたちに「英語」を教えてどうするのでしょう。現時点で、これは唯一の価値かもしれないと思っていることがあります。それは「外国語は日本語の勉強でもある」という価値です。

 以前にも話した気がしますが、私たちは「長い」鉛筆を知っているから、使い込まれた鉛筆を見て「短い」と判断します。「まずい」料理を知っているから、「おいしい」と感じることができます。なんだって同じです。表には裏があり、裏には表があります。このように、比較対象があるからこそ、ものごとを認知することができるのです。

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 当然、日本語と英語の関係にもあてはまります。私たちは基本的に、日本語というひとつの言語で生活しています。言語内における語句の比較等はできますが、「日本語」そのものがどのような言語なのかに気づくためには、やはり外国語との比較が必要不可欠です。英語が「S+V+O」の語順で並ぶことを知って、はじめて日本語は「S+O+V」の語順になっていることに気がつくのです。また、「語順を入れ替えても成立すること」が大きな特徴であると気がつくのもこのタイミングかもしれません。他にも、「いただきます」や「おつかれ様です」、「オノマトペ」など、英訳できないことばがあることを知り、日本独自の考え方に気がつくこともあるでしょう。

  今の「外国語」の授業に価値を見出すとしたら、上記のような「日本語の比較対象になる」くらいではないでしょうか。正直、今の活動を続けていても話せるようにはならないでしょう。繰り返しになりますが、そこに必然性が存在しないからです。なんとかクラス単位・学年単位でこの必然性を作り出せないものでしょうか。英語圏から絶世の美男・美女に転校してきてもらうしかないのかな。

 

 

3.プログラミング

 この教科がもっとも現場を賑わせていると言ってもいいでしょう。「わたしパソコンなんてぜんぜんわかんな〜い」という先生がたくさんいるからです。ようやく教科の意図が「プログラミング的思考」を育てることであって、「パソコンを使いこなす」ことではないと浸透してきましたが、未だに「パソコンなんて〜」と言っている先生もたくさんいます。

 「プログラミング的思考」とは、一体なんなのかと言うと、「逆算して考える力」のことです。目標を見据えて計画を立てる力と言ってもよいでしょう。もうお分かりかとは思いますが、この力は日常生活と密接に結びついています。「来週の水曜日に発表会があるから、今日の時点ではここまで終わらせないといけない」「次の時間は算数だから、休み時間のうちに用意をしておこう」「30分には朝の読書が始まるから、はやく連絡帳を書かないと」などなど。大きなくくりで言えば、これらができるかどうかも「プログラミング的思考力」の有無だと言えるのではないでしょうか。

 ちなみに、子どもたちには「未来予知」と伝えています。「人にはある程度の未来を予知する力がある。あなたにも。あなたにも。だからその力を存分に活かせるようにしよう」という具合です。かっこいいですよね。未来予知って。

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 実際、現場で子どもたちを見ていると、なかなか見通しを立てられない子どもが確かにたくさんいます。だからこそ「プログラミング的思考」の必要性もおおよそ理解することができます。この「逆算」ができるかどうかで、生活は大きく変わるでしょう。ただ、このような「逆算」ができない一番の原因は、「過程を組み立てる力の欠如」ではないような気がします。子どもたちに不足しているのは「目的を定める力」です。自分は今ここに向かってると、遠くに旗をたてることがとても苦手です。

 要は、学校が大好きな「めあて」や「目標」が機能していないということです。4月に画用紙に書いた「こんな◯年生になりたい」という目標なんてだれも覚えちゃいないのです。また、それ以外の行き先も基本はすべて先生が決めてくれます。自分で旗を立てて、そこまでの道のりを想像する機会が、そもそもそんなにないのです。当然「目的」が定まらなければその「過程」を組み立てることもできません。

 「プログラミング」の学習では、この「過程」の組み立てが中心になると思うので、それが始まる前に「目的」の定め方を身につけさせておかなければならないのかもしれません。

 

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 やはり、長くなってしまいましたね。初の3部作になりそうです。明日は引き続いて、「お金とインターネット」について書こうと思います。 英語やプログラミングよりも「お金やインターネット」の授業をした方がいいんじゃねえか?という話です。ぜひ最後までお付き合いください。