ツイートの3行目

小学校の先生です。ツイートは2行まで。3行目からをここに書いていきます。

【金】「自分がやられて嫌なことは人にもしない」は言うほど万能じゃあないぞ

 

 おはようございます。今住んでいる部屋には、広めのロフトがあります。そこに布団を敷いて寝ています。部屋を決めるときには「ロフトはやめておいた方がいい」だとか「結局は物置になるだけ」だとかいろいろなことを言われましたが、数年経った今でもまったく後悔はしていません。むしろ正解だったと思っています。他人のアドバイスなんてそんなものです。「相手のため」というテイをとりながら、その人が言いたいから言っているだけなのです。そんな意見をいちいち真に受けてはいけません。柳に風。風に柳。どうも、インクです。

 

「自分がやられて嫌なことは人にもしない」は言うほど万能じゃあないぞ

  自分がやられて嫌なことは人にもしない。誰もが大人からこう教わったのではないでしょうか。学校現場でもよく耳にすることばです。お子さんがいらっしゃる方なら、親として、このことばをつかったことがあるかもしれません。

 今日はそんなことばを鵜呑みにせず、一度立ち止まって考えてみたいと思います。たったひとりの「自分」という人間の判断基準が誰にでも当てはまると思いますか。自分が嫌なことは、隣の人にとっても嫌なことですか。隣の人が嫌なことは、自分にとっても嫌なことですか。

 世の中には、罵られることに喜びを感じる人もいます。はたまた、自分の身体に傷をつくって安心する人もいます。異性を愛する人もいれば、同性を愛する人もいます。肌が黒い人もいれば、白い人もいます。野菜が大嫌いな人もいれば、野菜しか食べない人もいます。改めて尋ねますが、そんな世界で、たったひとりの「自分」という人間の判断基準が誰にでも当てはまると思いますか。

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  「自分がやられて嫌なことは人にもしない」ということばが使われる場面の多くは、子どもが何か悪いことをしでかしたときだと思います。大人が子どもを叱るときに「自分がやられたらどう思うの?嫌でしょ?自分がやられて嫌なことは人にもしてはいけません」と言うのです。なぜこのことばを大人がつかうかと言うと、それっぽいからです。なんて叱ればいいのかが分からないから、とりあえずお決まりのこのことばをつかうのです。便利なことばですからね。

 しかし、このことばに本当に責任をもつのであれば「自分がやられて嫌でなければ、人にしてもまわない」を認めなければならなくなります。自分が殴られてもいいのなら、人を殴ってもいいことになります。自分が殺されてもいいのなら、人を殺してもいいことになります。

 もちろん、これは屁理屈です。「自分がやられて嫌なことは人にもしない」ということばの真意はそこではありません。このことばに込められたもっとも大きなメッセージは「人として間違ったことをしてはいけないよ」です。そのメッセージ自体を否定するつもりはありません。悪行を肯定するつもりもありません。問題は、そのメッセージを伝えるためのことば選びにあるのです。

 何度も言いますが、自分が嫌だからといって他の人も嫌だとは限りません。善悪の判断において「自分の気持ち」は、あくまでもひとつの材料です。それがすべてではないのです。たしかに「気持ち」というものは、自分のものしか分かりません。本当の意味で他人の「気持ち」を理解することなんてできません。だから、「自分の気持ち」だけで「相手の気持ち」を推し量ろうとしてしまうのです。「自分がやられて嫌なことは人にもしてはいけない」ということばは、まるでそれが絶対的な基準であるかのようにつかわれることが多いので、少し危険だなと思うわけです。

 先日授業をした道徳の教材にこのようなお話がありました。

 重い荷物を抱えたおばあさんに「持ちましょうか」と声をかけたが、断られてしまい、がっかりする主人公。あとあと話を聞いて、おばあさんはリハビリで歩く練習をしていたということを知る。

 翌日もおばあさんを見かけたが、「持ちましょうか」と声はかけずに少し離れたところから、転ばないように見守った。

  このように、相手に歩み寄るために必要なのは「自分の気持ち」ではありません。「相手の情報」です。相手のことを知れば、思いやりの形も大きくがらりと変わるのです。相手のこともよく知らず、「自分の気持ち」だけを押し付ける。そして、喜んでもらえなかったらショックを受ける。相手からしたら、そんなに無茶苦茶なことはありません。自分の基準が相手にも当てはまると思っている人ほど厄介なものはありませんからね。

 これからは「自分がやられたらどう思うの?嫌でしょ?自分がやられて嫌なことは人にもしてはいけません!」ではなく、「相手はあなたのせいで嫌な思いをしたんだって。もっと相手のことを知ってから動けたらよかったね」と話せたらよいのかもしれません。

 

 

 今回の「自分がやられて嫌なことは人にもしない」のように、当たり前だと思われているけれどよくよく考えたらおかしなことばって、生活の中にたくさん紛れ込んでいるような気がします。特に子どもたちに向かってつかうときには、よく考えてつかいたいものですね。それでは、ラスト1日なんとか乗り切りましょう。