お早う御座います。昨日は無事、研究授業を終えました。矢張り、研究授業は攻めるからこそ面白いですね。放課後の研修会では、様々な御助言を頂きましたが、先生に依って見ている観点が違うのでとても面白かったです。子供達の姿や授業の組み立てだけでなく、教師としての自分を見て戴けるので本当に有り難かったなと思います。今日から早速、役立てて行きたいと思います。どうも、インクです。
習った漢字をすべて使えばその分読みやすくなるわけではない
習った漢字をすべて使えばその分読みやすくなるわけではない
— INK@小学校の先生 (@firesign_ink) November 11, 2019
子どものころ、先生に「習った漢字は必ず使いなさい」と言われて育ちました。習った漢字をひらがなで書いていると、赤で訂正されることもありました。同じような経験のある方も多いのではないでしょうか。そんなときに、ずっと疑問に思っていたことがありました。
本の中では簡単な字もひらがなで書いている
本を読んでいると度々出会うわけです。「この字は漢字で書けるのにな」ということばに。先生が言っていたこととは違います。どうしてこんなに簡単な字をひらがなで書いているのだろう。作者が漢字を忘れてしまったのでしょうか。
この謎が解明したのは、大人になってからでした。たとえば、筆者の大好きな村上春樹の『ダンス・ダンス・ダンス』という作品を見てみましょう。
「踊るんだよ」羊男は言った。「音楽の鳴っている間はとにかく踊り続けるんだ。何故踊るかなんて考えちゃいけない。意味なんてことは考えちゃいけない。意味なんてもともとないんだ。そんなこと考えだしたら足が停まる。一度足が停まったら、もうおいらには何もしてあげられなくなってしまう。永遠になくなってしまうんだよ。そうすると、あんたはこっちの世界の中でしか生きていけなくなってしまう。どんどんこっちの世界に引き込まれてしまうんだ。だから足を停めちゃいけない。どれだけ馬鹿馬鹿しく思えても、そんなこと気にしちゃいけない。きちんとステップを踏んで踊り続けるんだよ。そして固まってしまったものを少しずつでもいいからほぐしていくんだよ。まだ手遅れになっていないものもあるはずだ。使えるものは全部使うんだよ。ベストを尽くすんだよ。怖がることは何もない。あんたはたしかに疲れている。疲れて、脅えている。誰にでもそういう時がある。何もかもが間違っているように感じられるんだ。だから足が停まってしまう」
僕は目を上げて、また壁の上の影をしばらく見つめた。
「でも踊るしかないんだよ」と羊男は続けた。「それでもとびっきり上手く踊るんだ。みんなが感心するくらいに。そうすればおいらもあんたのことを、手伝ってあげられるかもしれない。だから踊るんだよ。音楽の続く限り」
村上春樹(2004)『ダンス・ダンス・ダンス 上』講談社、 P.182-183
好きすぎて、引用が長くなってしまいましたね。ざっと、漢字で表現しようと思えばできるであろう字を大きくしてみました。意外とたくさんあるものです。「考えだしたら」の「出す」なんてとても簡単な字ですね。小学1年生で習います。それでもひらがなで表現されています。どうしてなのでしょうか。
もうお気づきかと思いますが、その理由は、今日の記事のいちばんはじめに書いています。今日の記事の「はじめに」は、漢字で表せるところはすべて漢字で書いてみました。どうでしょうか。とても読みづらくはありませんでしたか。いちいちスクロールするのもめんどくさいと思いますので、もう一度書きますね。
お早う御座います。昨日は無事、研究授業を終えました。矢張り、研究授業は攻めるからこそ面白いですね。放課後の研修会では、様々な御助言を頂きましたが、先生に依って見ている観点が違うのでとても面白かったです。子供達の姿や授業の組み立てだけでなく、教師としての自分を見て戴けるので本当に有り難かったなと思います。今日から早速、役立てて行きたいと思います。どうも、インクです。
「お早う御座います」や「矢張り」などといったことばは、やはりひらがなで書かれていた方がしっくりきますよね。たとえ漢字で書けたとしても、わざわざ漢字を使わない言い回しもたくさんあるというわけです。ちなみに、いつも通り書くとしたら、こんな感じになると思います。
おはようございます。昨日は無事、研究授業を終えました。やはり、研究授業は攻めるからこそおもしろいですね。放課後の研修会では、様々なご助言をいただきましたが、先生によって見ている観点が違うのでとてもおもしろかったです。子どもたちの姿や授業の組み立てだけでなく、教師としての自分を見ていただけるので本当にありがたかったなと思います。今日からさっそく、役立てていきたいと思います。どうも、インクです。
どうでしょう。まったく同じことが書かれているはずなのに、読みやすさは大きく異なるのではないでしょうか。つまり、漢字をつかえば、それだけ読みやすくなるとは限らないということです。だからといって、すべてひらがなにしてしまうと、それはそれでとてもよみづらいぶんしょうになってしまいます。結局は漢字とひらがなのバランスが大切だということです。
もしかすると、人によっては「おもしろい」や「さっそく」はひらがなで書くよりも漢字の方がいいという方もいらっしゃるかもしれません。はたまた、「本当に」はひらがなの方がいいという方もいらっしゃるかもしれません。結局そこを選ぶのは書き手です。出版する際には、きっと編集者もここに絡んでくるのでしょう。読者のことを思い、読みやすさを追求する中で、漢字なのかひらがななのかが選択されていくのです。
もちろん筆者も、記事を書くときにはこれを意識しながら書いています。読み返したときに、漢字をひらがなに書き換えるのはよくあることです。そんな中、以前フォロワーさんとのやりとりでこんなものがありました。
参入は難しいですがマーキングくらいならできるかもしれません https://t.co/hZTKrqHEbG
— INK@小学校の先生 (@firesign_ink) 2019年11月26日
筆者にとっての、ひらがな表記は、このツイートで言うところの「マーキング」でもあるような気がしてます。完全に個人的な好みなのですが、このことばは必ずひらがなで表記しようと決めているものがいくつかあります。たとえば、まさに今つかった「ことば」ということばは、個人的にはひらがなで書きたい派です。他にも「つかう」ということばも、できるだけひらがなで書きたいと思っています。
「漢字」という表現は、意味を限定する書き方だと思っています。漢字には一文字一文字に意味がありますからね。「言葉」という漢字も決して嫌いなわけではないのですが、意味を限定してしまうにはあまりにも大きなことばのような気がするので、「ことば」はひらがなの方がしっくりきます。
「つかう」ということばも、漢字で「使う」と表現すると、どこか物質性が表れてくるような気がしています。「モノを使う」「道具を使う」というイメージです。つかうものが物質とは限らない場合も多いので、基本はひらがなで表記したいと思っています。
そんなよく分からない個人的なこだわりが、筆者にとってのマーキングの一種になります。要するに、世の中に存在する数多くの文章の中でも、「ことば」や「つかう」がひらがなで書かれていたら、それは「インク」が書いた文章である可能性が高いということです。もちろん、それだけで特定することは不可能でしょう。判断する要素は、漢字かひらがなかだけではありません。
ただ、筆者が書いている文章は、普段から読んでくださっている方なら、きっと無記名でも分かっていただけるのではないかと思っています。
読点は書き手の息遣い
— INK@小学校の先生 (@firesign_ink) 2019年11月25日
段落は書き手の思いやり
— INK@小学校の先生 (@firesign_ink) 2019年11月25日
漢字だけでなく、「句読点」や「段落」も含めた表記上の特徴も合わせて、「その人だからこそ書ける文章」ができあがっていくのだと思います。だからこそ、「句読点」や「段落」の指導って難しいんですよね。正解がない。言ってしまえば、結局はその人の好みでしかないのです。数多くの文章に触れる中で、「読みやすさ」「読みづらさ」を感じ、自分の文章に取り込んでいくしかありません。
度々述べていますが、そのときは、読みやすかったものをマネることよりも、読みづらかったものをマネない方が簡単だと思っています。他の人の文章を読んで「読みづらいなあ」と思うことって、案外とても大事です。読みづらい文章から学ぶことはとても多いです。こう書いたら読みづらいのか。じゃあ、自分はこう書かないようにしよう。このような消去法で、自分の文章は形作られていくのです。
少し話が広がりすぎた気もしますが、そもそもは「漢字」と「ひらがな」の使い分けというお話でした。みなさんも「このことばは漢字で書きたい」「このことばはひらがなで書きたい」という自分のこだわりをもっていますか。
先ほど述べたように、この選択は「読みやすさ」を追求するためのものなので、必ずしも「習った漢字はすべてつかう」が正解ではありません。学校の先生の中で「習った漢字はすべてつかう」をさせたいのであれば、せめて子どもたちに今日の記事に書いたようなことを説明してあげてほしいと思います。
習った漢字をすべてつかうのは、漢字を覚えるためであって、文章を読みやすくするためではありません。文章の読みやすさを追求するのなら、あえてひらがなで書くという選択肢もあります。くれぐれも、漢字で書けるものを漢字で書いていないからといって「その文章は間違いだ」と判断してしまわないように注意したいものです。