ツイートの3行目

小学校の先生です。ツイートは2行まで。3行目からをここに書いていきます。

【金】「好きになる」と「期待する」は分けた方がいい

 

 おはようございます。昨晩はずいぶんと嫌な夢を見ました。すこしずつ心臓の鼓動がはやくなり、それがピークに達したときにバッと目が覚めました。

 時計の針は午前3時を指しています。現実を認識してからも、心臓はしばらく鳴りつづけていました。久しぶりでしたね。こんなに嫌な夢を見たのは。

 いやあ、本当に嫌な夢でしたよ。うん。もうそれはそれは嫌な夢でした。え、もちろん覚えていますよ。あえて言わないだけです。いや、だから覚えていますって。嫌な嫌な夢でした。どうも、インクです。

 

「好きになる」と「期待する」は分けた方がいい

 何かに期待してしまうと、想像どおりの結果をむかえなかったときに、がっかりしなければならなくなります。勝手に期待して、勝手に裏切られて、勝手にがっかりすることになるわけです。

 ひとりでがっかりする分には一向にかまいませんが、相手がいる場合は非常に厄介です。こちらが勝手に期待したのに、思いどおりにいかなかったら、相手に対して失望しなければならなくなるのです。

 相手からすれば、知ったこっちゃありません。勝手に期待されて、勝手に失望されて。べつにお前のためにがんばったわけじゃねえよ!という話です。

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 しかも、これらの期待は無意識のうちにしてしまうことがほとんどです。自分でも知らないうちに、いろいろなものに期待してしまっているのです。

 この無意識の期待が高まると、ものごとを減点方式でしか捉えられなくなってしまいます。「期待していたよりもつまらなかった」とか「期待していたよりもおいしくなかった」とか。

 もちろんその逆もあるわけですが、期待のハードルが高くなればなるほど、がっかりする頻度も増えていきます。そして何よりもよろしくないのが、先ほども述べたとおり、他者のせいにしてしまうことです。

 他者に失望して、よいことなんてありませんからね。お互いが傷つくだけ傷ついておしまいです。

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 だからと言って「期待をするな」というわけではありません。そもそも「期待をしない」ということは、人間として不可能です。未来を想像する力がある限り、完全に期待を捨て去ることはできません。

 また、必ずしも捨てた方がよいものだというわけでもありません。期待は時に現実を拡張し、可能性を拡大させます。人々の期待が集まり、ものごとは前へと進んでいくのです。

 だからこそ「期待するもの」と「期待しないもの」とを意図的に分けて考えられるようになりたいと思っています。期待しなくてもいいものに期待をしてしまうと、自分がしんどくなってしまいます。一方で、期待するべきものに期待しないと、波を失い、つまらなくなってしまいます。

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 とくに「好きなもの」には気をつけなければなりません。好きなものに対しては、自動的に期待が付属しがちですからね。どれだけ好きだったとしても、期待とは分けて考えた方がよいこともたくさんあります。

  知らぬ間に期待させられてしまうのではなく、期待するものとしないものを、自分の意志で選べるようになれるとよいですね。これは人にもよるのでしょうが、筆者としては、近くにあるものから「期待しないもの」を外していくよりも、離れたところから「期待するもの」を選んでいった方が、分けて考えやすいのかなとは思っています。

taishiowawa.hatenablog.com

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【今後の予定】

①10月7日(水)こきけんよう Vol.13

②10月17日(土)Coming soon ... 

③10月26日(土)Coming soon ...