おはようございます。電車に乗っていると、爆睡している人をよく見かけます。「電車で寝るのは日本人くらいだ」なんて話をよく耳にしますが、果たして本当にそうなのでしょうか。
電車で寝ている人は、2種類に分けられます。「うとうとしていて思わず寝てしまった人」と「はじめから寝ると決めていた人」です。
特に後者は、本当に器用に寝ています。揺れないように隅っこの席を死守していたり、リュックを抱いて前傾姿勢を保っていたり。タオルを巻いてアイマスク代わりにしているような人も見たことがあります。
そして何よりもすごいのが、目的地に着くと、当たり前のように目を覚まして降りていきます。「身体が覚えている」というのはまさにこのことなのでしょう。どうも、インクです。
改めて確認があったので「今年度いっぱいです」とお伝えしました
改めて確認があったので「今年度いっぱいです」とお伝えしました
— インク@青年求職家 (@firesign_ink) 2020年9月29日
先日、改めて校長から来年度以降のことについての確認があったので「今年度いっぱいです」とお伝えしてきました。背水の陣です。助けてください。
校長や学年の先生にはかなりはやい段階で話をしていたので、割とわかってもらってはいるのですが「転職」と言うと、どうしてこうも「今の職が嫌だから」というイメージがつきまとうのでしょうか。
もちろん不満がないわけではありません。どうかと思うところもたくさんあります。でもですね。学校の先生は本当におもしろい仕事ですよ。
たしかにバカみたいに大変ですが、自分次第ではいくらでも工夫を凝らすことができます。これほどまでに頭をつかって、工夫を凝らすことのできる職業も、まあ珍しいのではないでしょうか。
ただし、それが続ける理由にはなりません。いや、なる人もいるのかもしれませんが、筆者の場合はなりませんでした。なぜなら、夢があるからです。
I have a dream.
それは「おもしろい大人と子どもを繋げたい」というものです。おもしろそうに生きている大人の姿は、子どもたちにとってそのまま「未来への希望」になり得ますからね。「自分もあんなおもしろい大人になりたい」と、そう思わせてやりたいのです。
しかし、身のまわりの大人たちを見渡せば、なんだか大変そうで、どこかしんどそうです。「あんな大人になりたい」どころか「大人になんてなりたくない」と思わせてしまっているような気さえします。
学校の先生という職業を選んだ理由は「自分自身がおもしろい大人として子どもたちの前に立つことができるから」というものでした。今も子どもたちと毎日すごしているわけですが、それはもう刺激的です。
ただその一方で、自分自身の未熟さや、学校の先生という肩書きの窮屈さを感じるようになりました。「おもしろい大人と子どもを繋げたい」という目的を果たすためには、おもしろい大人たちと出会わなければなりません。そして、おもしろい大人たちと出会うためには、自分自身がおもしろい大人にならなければなりません。
決して、学校の先生がおもしろくないと言っているわけではありません。単純に、もっと広い世界を見てみたいと思うようになったのです。
何かを変えたければ、まずは形からです。身を置く場所を変えることがいちばんの勉強です。何も決まっちゃいませんが、ただただ楽しみでしかありません。
すこし贅沢を言うならば、もっと簡単にジョブチェンジができる世の中になればいいのになと思います。転職なんて大したことではありませんからね。
残された時間は驚くほど短いわけです。続けるもよし。変えるもよし。もしかすると理由すらいらないのかもしれません。
【今後の予定】
①10月7日(水)こきけんよう Vol.13
②10月17日(土)Coming soon ...
③10月26日(土)Coming soon ...