おはようございます。小学3年生から中学3年生までサッカーをしていました。当時仲がよかった友だちに誘われてはじめました。とても奥が深いスポーツだとは思いますが、いま振り返ってみると、心の底から好きではなかったのだろうなと思います。
試合がはじまると、くだらないことで笑い合っていたチームメイトが、いきなり怒りはじめるんですよね。ミスをした人を責めだしたり、体をぶつけてきた相手の選手に苛立ったり。 真剣さゆえの昂りなのでしょうが、それがチームのベストを発揮する上で本当に最適なのだろうかといつも疑問に思っていました。
人は怒り出すと、コミュニケーションがとれなくなってしまうんですよね。スルーパスを出そうにも、オフサイドトラップをかけようにも、タイミングが一切合わなくなってしまいます。ましてや変に関わると、自分まで巻き込まれてしまいかねません。
当時はそこまで考えていませんでしたが、高校に入って陸上競技をはじめたのは、そんなしがらみから抜け出したかったからなのでしょう。リレーや駅伝でない限り、基本はすべて自己責任ですからね。そう思えば、陸上競技で怒っている人を見かけたことはいちどもないかもしれません。どうも、インクです。
大変なときに最後まで機嫌よくいてくれる人が実はいちばんありがたい
大変なときに最後まで機嫌よくいてくれる人が実はいちばんありがたい
— インク@青年求職家 (@firesign_ink) 2020年9月22日
もうすこしサッカーの話をつづけます。中学生のころは部活動としてサッカーをしていたのですが、そのときの顧問の先生が、それはもう鬼でした。
何年も前の話といえども、高圧的な指導に対しては何かと言われはじめていた時代です。わかりやすく殴られたり蹴られたりということはさすがにありませんでしたが、よくあの時代にあそこまでできたなという印象です。今なら完全にアウトでしょう。
チームメイト全員が、放課後の練習をただただ憂鬱に思っていました。その顧問の先生は、練習がはじまる前にグランドの横にある階段に座ってタバコを吸うのが毎日のルーティンでした。みんなで準備体操をしながら「きたきた!」と小声で囁き合っていたことを今でもはっきりと覚えています。
練習場所に来てからは常に機嫌を伺っていました。今日は機嫌がよい日だの、今日はよくない日だの。よい日には楽しく練習をして、わるい日にはひたすらダッシュをするというそんな毎日でした。
随分とひどい書き方をしてしまいましたが、べつにその先生が嫌いだったわけではありません。いま思えば、意図して「共通の敵」になろうとしていたのだと思います。まさに「女王の教室」の世界ですね。
ただ、それでもやっぱり機嫌の波があるというのはなかなかにしんどいものです。機嫌なんてその人の都合ですからね。どうしてまわりの人が、その人のために、気を遣わなければならないというのでしょうか。
大人になった今でも、機嫌の波が大きな人と出会うことがあります。そんな人の近くにいると、ただただ疲れてしまいます。バタバタしているときともなればなおさらです。忙しいときに機嫌が悪くなるような人とは、とてもじゃないけどやってられません。
段取りのよさや手際のよさも、もちろん大切なのですが、ともに長い時間を過ごすとなれば、やはり機嫌のよさがいちばん大切な要素であるような気がします。大変なときに最後まで機嫌よくいてくれる人は本当にありがたいですからね。
「そんなお前はどうなんだ」 という声が聞こえてきましたが、筆者は限りなく波が小さいタイプだと思っています。しかし、実際に機嫌が悪くなっている人を見かけると、もしかすると無意識なだけで自分にも波があるのではないかと少し心配になってきます。
本当は波があるのに、ないと思い込んでいる人ほど厄介なものはありませんからね。改めて気をつけたいと思います。自分のテンションでまわりの人に迷惑をかけてしまうのは、さすがに失礼ですからね。機嫌がよいとまではいかずとも、わるい状態だけはつくらないようにしたいものです。
【今後の予定】
①9月30日(水)こきけんよう Vol.12
②10月17日(土)Coming soon ...
③10月26日(土)Coming soon ...