おはようございます。最近あまり走っていません。常にやりたいことがたくさんあるので、どうしても後回しになってしまっています。ずっと続けていたことからふと離れてみると、その輪郭がはっきりと見えてくるものです。
人間にとってぼーっとする時間って大切だと思うのですが、筆者にとっては「走ること」がそれに当たるのだろうなと思いました。何もせずにぼーっとしてしまうと、なんだかもったいない時間を過ごしたようで後悔してしまうんですよね。その分、走っていれば有意義にぼーっとすることができます。
有意義にぼーっとする。意識的にぼーっとする。健康的にぼーっとする。ずいぶん暖かくなってきましたし、人と接触することもないので、そろそろまた走り始めようと思います。どうも、インクです。
ゲームはチュートリアルで嫌になる
ゲームはチュートリアルのせいで嫌になる
— インク@小学校の先生 (@firesign_ink) 2020年4月12日
子どものころからゲームにドハマりしたことがありません。友だちの家に集まってスマブラをしたりマリオカートをしたりということはありました。ポケモンをレベル100まで育てたこともありますし、ラスボスを倒すまでRPGを進めたこともあります。
ただ、ハマりはしませんでした。時間を忘れて没頭することもありませんでしたし、夜遅くまでゲームをして怒られるということもありませんでした。それほどゲームに魅力を感じていなかったのだと思います。
だから今でもゲームはほとんどしません。ツムツムをやってみたりパズドラをやってみたり荒野行動やってみたりと、流行りものに手を出すことはありましたが、長続きはしませんでした。
電源を切ったときに現実が何も変わっておらず、ただ時間が過ぎているという状態が嫌だったのかもしれません。歳をとるごとにゲームの優先順位は下がり、今ではやりたいことリストにすら載っていません。
べつにゲームそのものを批判するつもりはありません。これだけ多くの人を魅了し、惹き込んでいるわけですから、そこにはとても魅力的な世界が広がっているのだと思います。
自分に合わなかった。ただそれだけのことです。合わなかったいちばんの原因は「チュートリアル」の存在です。チリンチリンは盗まれていないので安心してください。
チュートリアル。ご存知でしょうか。ゲームのいちばんはじめの説明のようなものです。「Aボタンを押すとパンチをするぞ!さあ、Aボタンを押してみよう!」みたいなやつです。
大抵の場合、ガイド役のキャラクターが馴れ馴れしい口調で基本動作を説明してきます。ガイド役がしつこい場合は、特定のアイテムを拾うまで付きまとってきたり、バッグの整理の仕方や薬草の調合の仕方にまで口を出してきます。
説明が丁寧すぎる。
いちいち細かいところまで説明しすぎです。ギルドがどうのとか、フレンドがどうのとか。やっていくうちに覚えるわ!今言われてもわかるかい!そう思ってしまいます。
その点、Apple製品はよくわかっていますよね。説明書を読む前にまずは触ってみろ。触るうちに覚えるから。製品に対する説明の少なさは、他の企業と比べても断トツなのではないでしょうか。
これ、教育にも同じことが言えます。親や先生は、手取り足取り、1から10まで、子どもたちに説明しようとします。勉強のチュートリアル。人生のチュートリアル。
むしろ、教育にこのような風潮があるからこそ、ゲームのチュートリアルも無駄に丁寧なのかもしれません。パッケージに説明書きが多いのも、日本製品の特徴ですよね。
とりあえずやってみよう。
うまくいかなきゃ考えよう。
説明をするということは要するに「説明しなきゃどうせわからないでしょ」と思っているということです。相手のことを見くびれば見くびるほど、説明の量が増えていくといきます。
この記事にも書いたとおりです。わかりやすい説明は、学習者の思考の機会を奪います。もしかすると説明なんて、少なければ少ないほどよいのかもしれません。「いかに説明を少なくするか」という視点で授業づくりをするのもわるくないのではないでしょうか。
だからと言って、ただ説明をやめればいいかというと、そういうわけでもありません。ただ説明をやめてしまうとこういうことになりかねません。
さすがにこれは過剰だと思いますが、要は「追加説明をしなければ多くのエラーが発生するようなデザインだった」ということです。ただ説明を減らせばいいというわけではありません。説明がなくても問題がないシステムをつくらなければならないのです。
「先生の説明を減らしていこう」という話はよく耳にすると思います。そして、それをそのまま鵜呑みにして、失敗している先生がたくさんいるような気がします。ただ説明しなければいいというわけではありません。ただ口数を減らせばいいというわけではありません。先生がなにも話さなくとも、自分で考えたくなってしまうような、そんなシステムをつくらなければならないのです。
▷ 説明を必要としないシステムをつくる
▷ 説明したい気持ちをぐっとおさえる
簡単なように思えて、実はめちゃくちゃ難しいと思います。困っている人を見かけるとおもわず助けたくなってしまうんですよね。迷っている人を見かけると思わず教えたくなってしまうんですよね。リアルの世界でチュートリアルの案内人をやりたくなってしまうのです。
しかし、先ほども述べたように、中途半端なチュートリアルは思考の機会を奪うだけです。先生は、困っている子どもを見てニヤニヤしなければなりません。迷っている子どもを見てニヤニヤしなければなりません。そのためにもまずは、子どもが困るシステムをつくらなければなりません。子どもが迷うシステムをつくらなければなりません。
勇気をもってチュートリアルを廃止しよう。
プレイヤーを信じて。
ここまでよく来たね!ようこそ「ツイートの3行目」へ!ぼくはインク!長老様から旅人の案内役を頼まれたんだ。今日はキミの旅立ちをすこしだけお手伝いさせてもらうよ!まずは、旅人の証として下のふたつのボタンをクリックするんだ!いいかい?ふたつともクリックするんだよ!一応言っておくけれど「クリックすると解除することになっちゃう!」というネタはもういいよ!慎んでね!
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