ツイートの3行目

小学校の先生です。ツイートは2行まで。3行目からをここに書いていきます。

【月】人の良さを引き出せるようになりたいし人に良さを引き出してもらいたい

 

 おはようございます。お笑いコンビを見ていると「相方」の存在がうらやましいなと思うことがあります。時には相方を活かすために自分が引き、時には自分が活きるために相方が引き。そんなバランスをことばの裏でとっています。

 これはお互いのよさを理解しているからこそできることです。言い換えるなら「相手の活かし方」を知っているというわけです。だから、まったく知らない場所に飛び込んでも、お互いに助け合いながら自分たちを表現することができるというわけです。

 逆に言えば「相手の殺し方」を知っているということでもあります。「あいつが体を張っても笑いは生まれない」だとか「あいつを驚かしてもリアクションがわざとらしくなる」だとか。活かし方を知っているということは、殺し方を知っているということでもあるのです。

 近年は芸人さんたちの出場所にバリエーションが生まれたおかげで、それぞれが活きる場所を選びやすくなったのではないかと思っています。その人のよさが前面に出たときの芸人さんは本当におもしろいですからね。べつに芸人になりたいわけではありませんが、筆者自身も自分が最大限に活きる場所で、自分にできることをやっていきたいなと思います。どうも、インクです。

 

人の良さを引き出せるようになりたいし人に良さを引き出してもらいたい

 先日開催した「らの時代」という企画で、子どもたちとの向き合い方についての話がありました。子どもの人生に大人がどこまで干渉するべきなのかという話です。学校の先生は「子どもたちの人生が豊かになるはずだ」と信じて勉強を教えています。しかし、本当にその子にとって「勉強に時間を割くこと」が「よいこと」なのかはわかりません。

 もしかすると、勉強する時間をすべて絵を描く時間にあてていたとしたら、その子はとんでもない絵の才能を発揮していたかもしれません。勉強する時間をすべてサッカーを練習する時間にあてていたとしたら、その子は世界的なサッカープレイヤーになっていたかもしれません。もちろん、絵の才能を発揮したり世界的なサッカープレイヤーになったりすることが、その子にとって「よいこと」だと断言することもできないんですけどね。

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 簡単に言えば「とりあえず勉強しておけ」という風潮が蔓延しているというわけです。人の背中を押すのはこわいですからね。仮に絵を描くことを全力で応援したとして、結果が出ずにその子が路頭に迷うようなことがあれば、とてもじゃないけど責任はとれません。その責任が「勉強」という道にも発生するはずなのですが、多くの人が「とりあえず勉強」という道を通っているせいで、「勉強」という道を勧めることには責任が発生しないシステムになっています。「勉強する」という道を選ばせておいて「そこで花を咲かせられないのは自分の問題だ」と突き放すのです。

 これはべつに、勉強することに価値がないと言っているわけではありません。身のまわりにあるおもしろさを見逃さないようにするためにも、勉強には価値があると言えるでしょう。しかしそれと同時に、ほかの道にも価値のある視点が存在しているはずだと思うわけです。勉強以外の視点からでも、人生のおもしろさを見つけ出すことはできるはずなのです。

 それにも関わらず、大人たちは「とりあえず勉強」という道を選ばせます。なぜなら自分自身がその道を通ってきたからです。まわりのみんながその道を通っているからです。このふたつの理由がそろったら、もはや「勉強してきてよかった」と思うしかありません。本当に思っていなくても、そう思い込むしかないのです。そうしなければ、長い時間をかけて努力してきた自分の過去を否定することになりますからね。今さら「勉強以外の道もある」だなんて言われたって、その道を受け入れることができないのです。

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 おわかりのとおり「とりあえず勉強」という道に、当の本人である子どもの意思は一切ふくまれていません。大人が「勉強しろ」と言うから、子どもはとりあえず勉強するのです。

 とりあえずやっているから、べつに目指すものもありません。目指すものがないから、今の歩き方が正しいのか間違っているかもわかりません。大人が勝手に「はじめろ」と言い、大人が勝手に点数をつけてくる。それが今の「勉強」なのです。

 はたしてそれが本当に「子どものため」なのでしょうか。大人の役割は「子どもにとりあえず勉強させること」なのでしょうか。子どもの意思は無視して、自分が進んできた道とおなじ道を進ませることが、子どもにとって「よいこと」なのでしょうか。

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 そんなことを考えているうちに「もしかすると大人の役割は、子どもが進む道を問うてやることなのかもしれない」と思うようになりました。あなたはどこに進みたいの? そこに進むためにどんな手段をとるの? 結果はどうだった? うまくいった? うまくいかなかった? その原因は? 今回の結果を活かして次はどうするの? と、その都度問うてやるのです。

 もちろん決めるのは子ども自身です。しかし、ひとりで考えるのには限界があります。だから大人が問うのです。他者に問われることで、自分の考えがはっきりします。問いに答えようと思ったら、考えを明瞭にせざるを得ませんからね。自分の輪郭を捉えるための鏡としての他者。そんな他者に大人がなれたらいいのかもしれません。

taishiowawa.hatenablog.com

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