おはようございます。昨日は久しぶりに帰省しました。電車に揺られて20分。帰省と呼んでいいのかどうかもわからない。そんな近距離帰省です。
昔から実家があまり好きではありません。べつに家族と仲がわるいわけでも何でもないのですが、すこしでもはやくここから出たいと思っていました。
家族に関する話題って、絶対に「大切にしましょう」に向かっていくからおもしろくないんですよね。すこしでも悪く言おうものなら「反抗期」だなんてことばで片づけられてしまいます。
家族の数だけ家族の形があるはずなんですけどね。ひとつの「いわゆる家族」の形にとらわれてしまっているような気がします。どうも、インクです。
大人が集団で何かをするときには気遣いが義務にならない配慮を
大人が集団で何かをするときには気遣いが義務にならない配慮を
— インク@小学校の先生 (@firesign_ink) 2020年8月12日
「電車で席を譲ること」や「居酒屋さんで料理をとり分けること」は、当人の気遣いであり、義務ではありません。若者がお年寄りに席を譲るのは、義務ではありません。優しさです。後輩が先輩の料理をとり分けるのも、義務ではありません。優しさです。
譲ってくれたら「ありがとう」です。とり分けてくれたら「ありがとう」です。ただそれだけの話です。それにも関わらず、これらの行為を義務だと勘違いしてしまう人がいます。若者はお年寄りに、席を譲らなければならない。後輩は先輩の分の料理を、とり分けなければならない。ひどいときには「これは女のやることだ」とか「これは男のやることだ」なんて捉え方をしている人もいます。
これらが義務になってしまうと、やることが「当たり前」になり、やらないことが「悪いこと」になってしまいます。本来は気遣いと感謝で成り立つはずの行為が、摩擦を生む原因になってしまうのです。
これらを防ぐためにも、本当に配慮が必要なのは、行為を受ける側の人間です。電車の例で言うならば、平和の鍵を握っているのは、若者ではなくお年寄りです。居酒屋の例で言うならば、後輩ではなく先輩です。いわゆる「立場が上の人間」が、どれだけ配慮をすることができるのかによって、その場の平和が形づくられていくのです。
お年寄りが「ちょっとあんた!若いんだから立ちなさいよ!」と、若者を押しのけたらどうでしょう。先輩が「こういうときは進んでとり分けるんだよ!本当につかえないな!」と、後輩を罵ったらどうでしょう。若者や後輩のせいにしてはいますが、この場の平和を潰したのは、間違いなくお年寄りと先輩です。プラスをゼロにしたのではありません。ゼロをマイナスにしたのです。
最近はオンライン上で、いろいろな「場」がつくられるようになりました。筆者自身も、見よう見まねでいろいろな企画を立ち上げて「場」をつくってみています。そんなところでもやっぱり、気遣いが義務になってしまうような場面が出てくるわけです。
たとえば、会がはじまる前の「お願いします!」というあいさつ。これからはじまる会への期待の表れでもありますし、礼儀正しくて何よりなのですが、このようなあいさつには充分な注意が必要です。なぜなら「ほかの人もあとに続かなければならない空気感」がその場に生まれてしまうからです。
誰かが「お願いします!」と言ってしまうと、ほかの人たちは「自分も言わなきゃ失礼かな」と思わなくてはならなくなります。そして結果的には、無味無臭の「お願いします!」がずらりと羅列されていきます。出遅れてしまった人は、さらに困ってしまいます。「ああ、自分だけがまだ言ってない。でも、2時間経ってから通知を鳴らしてしまうのもなあ。どうしよう」となるわけです。
まわりの人はこんなこと一切気にしちゃいやしません。その人が「お願いします!」と言おうが言うまいが、だれも気にしちゃいないのです。それでも本人はやっぱり気にしてしまうのです。
だから、筆者が主催者として場をつくるときには、この「お願いします!」をぶった斬るようにしています。「これ以上は言うんじゃない!」と禁止令を出すわけです。すると、ありもしない架空の矛先は主催者の方を向くことになります。参加者は、自分の方に矛先が向くことがないという安心感を得られるというわけです。
これとおなじ現象に「了解です!」があります。グループラインなどで、上司が業務連絡を送信したときに「了解です!」がずらりと並ぶアレです。しかも「前の人とまったくおなじことは言わない方がいいかな」という思いから「了解です!」ではなく「わかりました!」とちょっと言い方を変えてみたり。「上司に対して『了解』ということばはつかうべきじゃない」とかいうめんどくさいルールが絡まってきたり。
業務連絡の最後に「返信不要」のひとことがあるだけで、これらの探り合いをする必要はなくなります。発信者が社会的立場の高い人である場合はなおさらです。そのあとに起こりえることを、よく考えなければなりません。
かの有名なスナフキンさんも「義務ってなんのこと?」と聞かれたときに「したくないことをすることさ」と答えています。やっぱり、せっかくの優しさや気遣いが、義務と化してしまうのはあまりにももったいないと思います。
主催者やリーダーや、年配者や上司や先輩が、ほんのすこしの配慮をするだけで、そんな義務化を食い止めることができます。逆に言うなら、ここまで配慮の行き届いた人についていきたいなと思います。そのためにもまずは、自分自身がいろいろな集団に属して、不満をあつめていくしかありません。大人が集団で何かをするときには、どうか気遣いが義務にならない配慮をよろしくお願いします。
【お知らせ:21日】
知らぬ間にこちらは第4回になりました。らぱいんざWORLD のお知らせです。今回のゲストは まーくん こと fanta さん(@fanta_omeru)です。
例のごとく、これまでにいちども絡んだことがありません。これぞこの企画の醍醐味ですね。ちなみに、グレープよりもオレンジの方が好みです。
こちらも同じくツイッターのDMにて、聞き手を募集していますので、ぜひ遊びに来てください。