ツイートの3行目

小学校の先生です。ツイートは2行まで。3行目からをここに書いていきます。

【月】学習に目的を求めてしまった時点でつまらなくなるのかもしれない

 

 おはようございます。この週末は、かなり久しぶりに外食をしてきました。やっぱりお店のごはんというのはおいしいものです。サーバーで入れたビールも格別です。そして何よりも人に会えるということがいかに楽しいことなのかを改めて実感しました。

 そんなこんなでついつい飲みすぎてしまい、帰りの電車では爆睡をかましました。目を覚ましたら終点です。もうその日の電車はありません。久しぶりにやらかしました。始発まで約3時間です。

 はじめは真っ直ぐネットカフェに向かおうかと思ったのですが、なんだかこの感覚が懐かしく、終着駅をぶらぶらしてみることに決めました。深夜2時のよく知らない町。おなじ境遇の人たちが数名。あとは誰もいやしません。べつに歩いたところで何が起きるわけでもありません。

 それでもぶらぶらと歩きつづけ、ひとつのよさげなベンチにたどり着きました。この時点でのこり2時間半。これからどこかに入るにしてはかなり微妙な時間です。ちょうどこの日は村上春樹の新刊『一人称単数』を買ったばかりだったので、このベンチでひたすらに読みふけることに決めました。 

 よく知らない駅の近くにあるはじめて座るベンチで、ゆっくりと読み進めて2時間半。あたりは少しずつ明るくなり、始発も動きはじめます。電車の中で寝過ごすなんて、べつに珍しいエピソードでもなんでもありません。しかし、自分にとってはなんだかとても不思議な時間でした。そう言えば『一人称単数』の装丁にはベンチが描かれているんですよね。これも何かの巡り合わせでしょうか。どうも、インクです。

 

学習に目的を求めてしまった時点でつまらなくなるのかもしれない

 目的を明確にする。とても大切なことだと思います。教育業界でも「子どもたちに目的意識をもたせよう」という言葉をよく耳にするようになりました。なんのために読むのか。なんのために聞くのか。なんのために話すのか。なんのために書くのか。「めあて」や「ふりかえり」を必ず設定しようという風潮も、この考えの延長にあるものだと言えるでしょう。

 そんな中、とある日の英語の授業で、直接子どもたちに聞いてみました。君たちはなんのために英語を勉強するの?と。すると、子どもたちはこう答えました。外国人に道を尋ねられたときに教えられるようにするため。外国に行ったときに困らないようにするため。英語が必要な職業に就いたときのため。

 外国人に道を尋ねられることなんて、人生で何回あるでしょう。一体このクラスの何人が外国に行き、何人が英語を必要とする職業に就くことになるのでしょう。そんな「もしものときのため」だけに何年もかけて英語を勉強するのでしょうか。子どもたちは、本当にその目的に納得して「よし、勉強するぞ」と思っているのでしょうか。

 どこかで書いた気もしますが、本当に英語を習得するためのいちばんの近道は、外国人に恋をすることだと思っています。仮にそんな状況になれば、はっきりとした目的意識をもった上で英語を学習するでしょう。しかし、当然ながら、クラスの全員が外国人に恋をするわけではありません。

 ちなみに筆者自身は「日本語を客観的捉えるため」に英語を勉強するものだと思っています。短い鉛筆を見て「短いな」と思うことができるのは、長い状態の鉛筆を知っているからです。それとおなじです。ものごとのを捉えるためには比較対象が必要なのです。

 ただ、こんなことを子どもたちに話しても仕方がありません。これらは後からわかることであり、これから学習をはじめるぞという子どもたちの動機にはなりません。そう考えると、外国語学習における子どもたちの目的意識って一体何になるのでしょう。 

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 今回は英語を例に話しましたが、学習全般に当てはまる話です。目的を追い求めようとすれば、どうしても「実用性」を探ろうとしてしまいます。具体へ具体へと考えてしまうわけです。もちろん、具体へ向かう思考も必要なのですが、学習の成果が必ずしも具体的な成果として表れるとは限りません。むしろ、具体を追及してしまうことで抽象が排除され、つまらなくなってしまうということも考えられます。

 本当は、目的だなんて堅苦しいことは言わずに「おもしろそうだから学ぶ」でよいのではないでしょうか。もっともシンプルで、かつ純粋な動機だと思います。学習とは本来、知的好奇心の延長線上にあるものなのです。

 そう考えると、学校って無茶なシステムですよね。学びたいと思っているわけでもない子どもたちを集めて、無理に動機づけを行い、無理に目的意識をもたせて、学習を進めます。それでやる気を出さなければ怒られるわけですからね。とんでもないところです。

 こんなことを言ったら元も子もありませんが、知的好奇心に従って学習を進めるという一点だけを見るならば、学校というシステムはあまりよろしくないのでしょう。学ぶ場所でありながら、学ぶことにはあまり向いていないのです。

 そんな場所で目的を追求しても、所詮はつくりものでしかありません。しかも、大抵の場合は大人の都合で決められます。

 はじめにも述べたように、目的を明確にして学習を進めることを大切だとは思います。ただ、それが学習においてもっとも好ましい形なのかと言うと、素直に頷くことはできないのかもしれません。

taishiowawa.hatenablog.com

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【お知らせ:7/24】

  第2回「らぱいんざWORLD」の開催が決定しました。らいざさん(@rize_up_high)と らぱんさん(@lapinHSP)といっしょに、ゲストを招いておしゃべりします。第2回ゲストは、第1回ゲストである イスップさん(@bstogs1)にテレホンショッキング形式で紹介していただいた にょんさん(@EyzNo)です。ちなみに筆者はまったくといってもいいほど絡みがありません。おもしろくなることは間違いありませんが、はたしてどうなることやら。

 現在、聞き手を募集していますので、興味のある方もない方も、イヌもサルもキジも、画面の前のあなたも、ぜひご参加ください。参加希望はツイッターのDMにてお受けしております。自分なんかが行ってもいいのかなという考えは捨てましょう。あなたのご参加をこころよりお待ちしております。

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