ツイートの3行目

小学校の先生です。ツイートは2行まで。3行目からをここに書いていきます。

【月】理屈が通っていれば納得してもらえるとは限らないよ

 

 おはようございます。昨日、2本の水を見ました。そうです。あの水です。生命にとって必要不可欠なあの水です。2本の水を見たのです。

 1本目を見たのは電車の中でした。まるで人間であるかのような顔をして、座席にすわっていたのです。きっとだれかが置き忘れていったのでしょう。中身が入っていることもあり、だれも触ろうとはしません。べつにさほど珍しいことではないのかもしれませんが、そこだけぽっかりと空間ができていたのでとても印象にのこりました。

 そんな電車から降りて自宅へと向かう道で、またまた水に出会いました。2本目の水は、横断歩道を渡った先で平然とした顔で立っていました。まるで誰かが意図して置いたかのように、道のど真ん中に立っていたのです。ふだんなら何も気にせずに通り過ぎていたかもしれませんが、何せ水にはついさっき会ったばかりです。思わず二度見してしまいました。

 「二度あることは三度ある」ということばもあります。もしかすると、今日の出勤で3本目の水に出会うことになるかもしれません。職員室のデスクに水が置かれていたらどうしよう。教室の真ん中に水が置かれていたらどうしよう。もしかすると、何かしらの予兆なのかもしれません。3本の水の予兆。いい予兆でありますように。どうも、インクです。

 

 理屈が通っていれば納得してもらえるとは限らないよ

 何かしらの意見を述べる上で、理屈が通っているということはとても大切です。どれだけ素晴らしい意見だったとしても、理屈が通っていなければ聞き入れてもらうことはできないでしょう。

 このような理屈は「ことばの定義づけ」からはじまります。そもそもの「ことばの定義」が曖昧だったとしたら、あとになればなるほど噛み合わなくなってしまいます。どうしても「相手もおなじ意味合いでつかっているはずだ」と思ってしまいますからね。

 さらに言えば、単純にめんどくさいのです。「ことばの定義」のすり合わせって。そもそも「ことば」というもの自体が、事物の定義やその関係性を他者と共有するために存在しています。意味を共通理解していることが前提にあるツールなのです。

 だからこそ、いちいち「ことばの定義」から話しはじめようとすると嫌がられてしまいます。そこがそろっていなければ、その先につづく議論に多くの無駄が発生してしまうんですけどね。この手間を省いてしまっている議論はとても多いのではないでしょうか。

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 ただ反対に、定義がそろって理屈が通っていればそれでいいのかというと、そういうわけでもありません。たとえば、先ほど「いちいち『ことばの定義』から話しはじめようとすると嫌がられてしまいます」と書きましたが、このような理屈とはべつのところにある「感情」が、人の意思決定に大きな影響を与えることも往々にしてあるのです。

 ときにはそれが「めんどくささ」だったり「プライド」だったり。ときには「そのときにたまたま大切にしているもの」だったり「直感」だったり。必ずしも「理屈が通っていること」だけで押し通せるわけではないのです。

 この事実をよく忘れてしまうのが「理屈」のこわいところです。パズルのピースはキレイにはまっているのに、納得できないだなんて相手がおかしいんだ。理屈を理解できない相手がバカなんだ。と、そんなふうに考えてしまうようになるのです。

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 ツイッター上でもよく見かけます。論理矛盾を的確に指摘しているにも関わらず「めんどくさい人」として軽くあしらわれているアカウントたちを。

 彼らの指摘はたしかに筋が通っています。多少挑発的な言い回しをしていることもありますが、的を射た反論をしていることも多いでしょう。

 しかし結局は、お互いがお互いに煽り合ってケンカのようなことになっておしまいです。指摘する側は先ほど述べたように「バカすぎて議論にならない」と煽り、指摘された側は「ご指摘ありがとうございます。140字では伝わらなかったようですね」とか大人ぶって煽り返すのです。

 そもそもツイッターというツール自体が議論には向いていないのだろうなと思います。それこそ「ことばの定義」も「熱量」も、前提がバラバラですからね。そんな相手と一生懸命議論しようとしたって、お互いに磨耗して終わるのがオチなのです。

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 すみません。話があちらこちらへいってしまいましたね。今日の記事で書きたかったのは「考え方」と「伝え方」は分けなければならないという話です。はじめにも述べたように、たしかに「理屈」は大切です。ロジカルに物事を捉えることができなければ、見えるものも見えなくなってしまうでしょう。

 ただし、だからといって、その思考の過程をそのまま表現すれば相手にも伝わるかというと、そういうわけではないのです。自分の中で腑に落ちていることが、相手の中でも落ちるとは限りません。本当に相手にも納得してほしいのであれば、その人に合った「伝え方」を選択しなければならないのです。

 もちろん相手によっては「理屈っぽく説明すること」が最善策になる人もいるでしょう。「感情に訴えかける」が最善な人もいるでしょうし「挑発する」が最善な人もいるでしょう。「まずは仲良くなる」が最善な人もいるでしょうし「端的に結論だけを述べる」が最善な人もいるでしょう。

 本当に自分の意見を伝えたいと願うのなら、その道筋までをも選択してデザインしなければならないのです。なんども同じことを言ってすみません。「理屈が通っていれば相手も納得してくれる」という考え方は大きな間違いだと思うのです。

taishiowawa.hatenablog.com

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【お知らせ】

 毎週水曜日の定例会「こきけんよう」のお知らせです。20:15〜20:55の40分1本勝負です。第一回を終えて、やっぱり週の真ん中に予定があると目印になっていいなと思いました。「水曜どうでしょう」とか「水曜日のダウンタウン」とかも、きっとそういうことなのでしょう。興味をもっていただいた方は、ぜひ耳だけお貸しください。参加希望はツイッターのDMまで。こきけんよう。

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