ツイートの3行目

小学校の先生です。ツイートは2行まで。3行目からをここに書いていきます。

【土】勉強とスポーツと明るさだけ

 

 おはようございます。「知らないと思うよ」と言っているのに「いいから教えて」と言われ、教えたら教えたで案の定「知らない」と言われるあの会話。好きなミュージシャンとか、好きな映画とか、好きな作家とか。どうせ知らないくせに、どうしてそんな賭けにでるのでしょうか。なんとかならないものなのですかね。あのやりとり。

 だれもが知っているような回答を用意していなかったこちらが悪いのでしょうか。それとも、知らなかった場合のつづきを考えていなかった相手が悪いのでしょうか。申し訳なさと気まずさしか残らないので、なんとか上手に返したいものです。よい対処法を知っている方がいらっしゃいましたら、ぜひ教えてください。どうも、インクです。

 

勉強とスポーツと明るさだけ

  学校では先生が子どもたちを評価します。評価の観点は「勉強」と「スポーツ」と「明るさ」の3つです。その中でも先生は特に「明るさ」を重視します。どれだけ「勉強」や「スポーツ」ができなくても、明るくて素直で無邪気であれば特に問題はありません。

 逆にどれだけ「勉強」や「スポーツ」ができたとしても、暗くて無口で可愛げがなければダメです。その上で「勉強」も「スポーツ」もできないとなれば、もうおしまいです。その子が学校という場所で評価されることはないでしょう。

 「学校の先生がそんなことを言ってもいいの?」と思っているかもしれませんが、残念ながらこれが現実です。先生の主観や個人的な好き嫌いがまったく反映されない評価なんてものは存在しえないのです。そのくせして、先生はこんなことを言います。

 

 みんなちがって、みんないい。

 

 これが学校の先生の気持ちの悪いところです。こんなことを言いながら「勉強」「スポーツ」「明るさ」以外の分野を評価することはありません。むしろ、その3つ以外は認めないような風潮さえあります。

 たとえば、今の時代「プロゲーマー」は立派な職業として成立しています。「e-sports」ということばも随分と世間に浸透したのではないでしょうか。しかし、どれだけゲームが得意でも学校で評価されることはありません。むしろ「ゲームなんてしてないで勉強しなさい」と言われることがほとんどでしょう。

 小学生がなりたい職業ランキングで上位にランクインして物議を醸していた「YouTuber」だって同じです。今や立派な職業です。多くの人を楽しませていることは事実ですし、新しい生き方を体現した人たちだと思います。また、個人でメディアをもっていることの強みも十分すぎるくらいに立証されています。しかし、どれだけ登録者の多いチャンネルをもっていようとも学校で評価されることはありません。むしろ「インターネットは危険だから、そんなものはやめて勉強しなさい」と言われることがほとんどでしょう。

 ほらね。なにが「みんなちがって、みんないい」ですか。結局は「ゲーム」や「YouTube」という分野は認めないんでしょ。「勉強」だけを評価するんでしょ。よくもそんなに堂々と言えたものですね。どの口が言ってんだという話です。

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 まだそれを認めているのならいいのです。学校は「勉強」と「スポーツ」と「明るさ」を評価する場所ですよと公言しているのならいいのです。でも絶対にそんなこと認めないでしょ。貼り付けたような笑顔で「ひとりひとりにいいところがあるんです」と言うんでしょ。「それぞれの違いを認め合うことが大切です」とか言うんでしょ。

 

 本当に気持ちが悪い。

 

 学校のそういうところが本当に気持ちが悪い。たしかに、立場上「評価に偏りがある」だなんて絶対に言えないでしょう。公正・公平を謳う公教育がそんなことを言えないことくらい十分にわかっています。でもそれはあくまでも建前ではありませんか。

 人が人を裁けるのかという法学のジレンマと同じです。ひとりの人間が主観を一切抜きにして、本当の意味で公正・公平に他者を評価することなんて、できっこないのです。努めることができたとしても実現させることは不可能なのです。

 それにも関わらず、真剣な顔で言うのでしょう。みんなちがって、みんないい。本当に勘弁してください。一度でも評価の在り方を疑ったことがありますか。疑って、考えて、その上で導き出した結論ですか。だとしても「ゲーム」や「YouTube」を認めない時点でその意見は矛盾していますからね。そのへん、ちゃんと考えましたか。

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 ここまでは、学校の先生のスタンスについて言及してきましたが、システム的な問題点もたくさんあるのが現状です。たとえ先生のスタンスが変化したとしても、物理的にこれ以上の評価基準を増やすことは難しいでしょう。「ゲーム」や「YouTube」のスキルまで学校で評価していくには、さすがに無理があります。

 断っておきますが、今言っている「評価」とは、先生が「すごいね」と褒めるとかそういう次元の話ではありませんよ。学校として成績をつけるという意味での「評価」です。ただでさえ「外国語」も「道徳」も「プログラミング」もと言われているようなこのご時世に、これ以上ジャンルを増やすことはできません。

 「勉強」「スポーツ」「明るさ」というたった3つの評価基準でさえ、改善するべきポイントは山のようにあるのです。そんなところに新しい評価基準を増やそうものなら、学校は本当にパンクしてしまいます。

 ここまできたらもはや「評価なんてやめてしまえばいいのに」 とすら思います。学校が変に「勉強」「スポーツ」「明るさ」を評価するせいで、相対的にほかのジャンルが過小評価されてしまっているような気がします。「社会では認められることが学校では認められない」ということが往々にして起こります。

 いろいろな生き方があるはずなのに、あっていいはずなのに、学校が評価するせいで「勉強」「スポーツ」「明るさ」のどれかで能力を発揮しなければならないと信じて疑わない子どもが育ってしまうのです。逆にその3つで輝けない子どもたちは「自分はダメなんだ」と思い込んでしまうのです。

 これ、学校が抱えるかなり大きな闇だと思います。先頭を切って「みんなちがって、みんないい」を潰しているのが、笑顔で「みんなちがって、みんないい」を謳っている学校なわけですからね。しかも、それに気がついていないともなると、おはや滑稽を通り越して笑えません。

taishiowawa.hatenablog.com

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 さあ、昨日の記事でもお知らせしましたが、本日20時ごろからZOOMにて「教育を存分に語れるバー」第2回を開催しようと思います。ちょこちょこ告知させていただいていますが、集客力がなさすぎてだんだん悲しくなってきました。まあ、まだ第2回ですし、フォロワー数や読者数を考えると当然っちゃ当然なんですけどね。

 すこしでもおもしろそうだなと思ったのなら、来てくれたらいいんですよ。おもしろくないなと思ったら途中で退出すればいいし、時間的に都合が悪いのなら途中参加でもかまわないし。声が出せなかったり出したくなかったりするのなら、ラジオ感覚で聴くだけでも構わないし。

 ひとことで言うなら「おいでよ!」という話です。このブログをおもしろいと思ってくださっているのなら、きっとおもしろいはずです。もちろん教育関係者以外も大歓迎です。コメント欄にでもツイッターにでもご一報ください。あなたのご参加を心よりお待ちしています。

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