ツイートの3行目

小学校の先生です。ツイートは2行まで。3行目からをここに書いていきます。

【火】信号を急いで渡ることなく生きていきたい

 

 おはようございます。突然ですがカバンって難しくないですか。基本的に荷物は持ちたくないと思っているのですが、本とiPadを持ち歩こうと思ったらどうしてもカバンが必要になってきます。ハンドバッグを持つと手が塞がってしまいますし、クラッチバッグなんてもってのほかです。だからと言ってリュックを背負うには少し大きすぎます。この季節、アウターの上から背負うのもなかなか気が進みません。せっかくのシルエットやドレープが台無しになってしまいます。トートバッグやメッセンジャーバッグも同様です。肩掛けや斜め掛けで、コートをおさえつけるなんて考えられません。だからと言ってポケットをパンパンにもしたくはないのです。一体どうすればよいのでしょうか。

 「そんなのただの我が儘じゃないか」と思っている人はまだまだ三流です。このような不満から、画期的な新しいものは生まれてくるのです。今はまだ誰も知りません。この記事から四次元ポケットが誕生するということを。どうも、インクです

 

信号を急いで渡ることなく生きていきたい

  信号が点滅する横断歩道を走って渡る人生を送ってきました。人が慌てる原因は、すべて準備不足です。綿密な準備ができていれば、多少のハプニングが起こったとしても、その場で対応することができるでしょう。本当なら、そのようなハプニングでさえ「準備」に内包してしまいところですが、やはりどれだけ準備したとしても想定外のことは起こります。そんな想定外をも楽しめる心の余裕をもちたいものです。

 準備が不足する原因は、単純に想像力不足です。ひとつの筋道だけを想像し、他の道に逸れる可能性を考えようとません。また、ひとつの道しか想像していないものだから、他の道に外れた方がいい場面でも、強引に元の道を進み続けようとしてしまいます。「左に曲がった方がいいよ」と言われているにも関わらず、まっすぐ進むものだから、そこには軋轢が生じます。

taishiowawa.hatenablog.com

 それもこれも、この記事に書いたとおりです。あらゆる可能性を想像し、それを狭める方法を考える。これが「準備」です。大事なことなのでもう一度だけ言いますね。これが「準備」です。

 だからこそ、「準備」のほとんどは無駄になります。あらゆる可能性を想像するけれど、実際に進む道は一本しかないからです。他の分かれ道にかけた時間は、すべて無駄になってしまいます。「準備」というものはとてつもなくコストパフォーマンスが悪いのです。どれだけ膨大な準備をしたとしても、実際に結果として表れるのは氷山の一角に過ぎないのです。

 人は、それを知っているからこそ、なんとか最低限の準備で成果を出そうとし、様々な可能性を考えることをやめようとします。そして、準備が不足し、足元をすくわれることになるのです。たしかに、経験則の中から効率よく準備を行うことができるようにはなるのかもしれません。ただ、このような「最低限の準備で済ませる」ということが、本当に準備力の向上だと言えるのでしょうか。

 本当の意味での準備力の向上は「想像できる範囲の拡大」ではないでしょうか。前回取りこぼして失敗につながった「想定外」のできごとを、今回は「想定内」に取り込む。これが経験から学ぶことなのではないでしょうか。「想像する範囲を最低限に減らす」という行為はむしろ退化であり、サボりでしかないのです。「効率」ということを考えるのであれば、「より少ない手数でより広い範囲を想像する」ということになるでしょうか。何度も言いますが、そもそもの「想像をしない」という行為は「効率」でも「エッセンシャル思考」でもなんでもなく、ただのサボりなのです。

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 ここまでに述べたように、本来ならば経験値に従って、準備力というものは向上していきます。つまり、簡単に言えば、子どもよりも大人の方が「準備」が得意だということです。想像できる範囲が明らかに広いからです。だから、大人は準備どおりの結果を出すことができます。

 しかし、子どもたちと過ごしていると、よく驚かされることがあります。もちろん「準備」という面では、見通しに限りがあるので、大人のサポートが必要になるのですが、驚くのはそこから得られる「結果」です。子どもたちは、往々にして準備していた上限ラインからさらにもうひと伸びしたところに結果を残します。これはなかなか、大人にはマネのできることではありません。大人の想像のさらに先を行くのです。こればかりは本当に感心します。無駄になることを恐れずに、あらゆる可能性を「準備」するからこそ成し得る技なのかもしれません。

 大人は「準備」が得意、子どもはそんな「準備」からさらにもうひと伸びしたところに結果を残す。学校の先生をしていると、このひと伸びが、なんだかすごく嬉しくて、なんだか少し悲しくもあるのです。

 

 

 今日は「準備」について話してきましたが、実際の学校現場は「想像力云々以前に時間がねえ!」という状態です。いくら効率的に準備ができるようになろうとも、やはり最低限の時間は必要です。時間がないにも関わらず、あらゆる可能性を想定した準備をしろと言われても、いくらなんでも無理なのです。

 「そんなの仕方がないじゃないか。限られた時間の中で最大限の結果を残すのがプロだろう」と思っている人はまだまだ三流です。このような不満から、画期的な新しいものは生まれてくるのです。今はまだ誰も知りません。この記事から精神と時の部屋が誕生するということを。