おはようございます。車の運転手が「お先にどうぞ」とライトをピカッとさせてくれるあのかんじ、めちゃくちゃよくないですか。押し付けがましくもなく、わざとらしくもない。絶妙な気遣いです。
これがもし、手で「どうぞ」と合図をしているのなら話は変わってきます。目と目を合わせて、直接的なコミュニケーションをとってしまうと、どうしても嫌らしさが生じてしまいます。「親切にしていますよ感」が出てしまうということです。
他者への気遣いは、見返りを求めず、さりげなく。これができたらかっこいいんだろうなと思いますが、どうしても小っ恥ずかしくなって、なかなかうまくはいきません。逆に、これが当たり前のようにできる人はモテるんだろうなと思います。どうも、インクです。
根元にあるのは問う力なのではないか
根元にあるのは問う力なのではないか
— INK@小学校の先生 (@firesign_ink) 2019年12月9日
ものを考えるときの出発点は「問い」です。「なぜ?」「どうして?」を追い求めるからこそ、思考は深くなっていきます。しかし、学校現場において「問い」を立てるのは先生です。子どもたちは、先生が立てた問いの「答え」を探ることになります。子どもたちの思考力が育たない。自分の考えをもっていない子どもが多い。
そりゃそうです。
思考の機会を、大人がとことん奪っているからです。どれだけ「答え」を求めることが上手だったとしても、「問い」が立てられなければ仕方がありません。「問い」があるからこそ「答え」があります。「問い」のない世界では「答え」も存在できなくなってしまうのです。
たとえば、上の図は4年生理科の「ものの温度と体積」における実験です。ガラス管付きゴム栓をつけた丸底フラスコに水を入れ、温めたときの水位の変化を観察します。結果はお分かりの通り、水位が高くなります。要するに「水は温めると体積が大きくなる」ということを調べるための実験です。
子どもたちは何も考えずに、水位を観察し、教科書通りの事実を確認していきます。しかし、この実験で「問い」を立てるべきポイントがあります。お気付きですか。読者の皆様がこの実験に「問い」を立てるとしたらどこに立てますか。...そうですね。そのとおりです。
どうしてガラス管付きゴム栓をつけるの?
この実験からはこの「問い」が立つべきです。水位の変化を観察したいのなら、何もガラス管付きゴム栓をつけなくたっていいではないですか。丸底フラスコの口に直接印をつけて実験すればいいのです。どうしてわざわざガラス管付きゴム栓をつけるのでしょうか。
正解は、細い管で観察した方が、水の変化がわかりやすいからです。水は空気ほど変化が大きくないため、太い管で観察してもわかりづらいのです。要するに、ガラス管付きゴム栓をつけるという判断は、結果から逆算して決められたものだということです。結果を知らない学習者は、ここに疑問を抱くべきです。これこそが「問う力」です。
ありきたりな言い回しになってしまいますが、当たり前を疑う力と言ってもいいのかもしれません。子どもたちが本当に身につけなければならないのはこの力です。はじめに述べたように、「問い」がなければ「答え」も失くなってしまいます。自ら「問い」を立て、友だちと協力しながら仮説を導き出す。この訓練を積んでいかなければならないと思っています。
これが、未だに現場で実現していないのは、カリキュラムや時数という制限です。予定通り進めようと思ったら、子どもたちに「問い」を立てさせるという選択はあまりにも不確定です。どんな問いが出てくるかも、その問いの解決にどのぐらいの時間がかかるかも分かりません。だからこそ、先生が「発問」として「問い」を立ててしまいます。こんな大人の都合が、子どもの思考の機会をとことん奪っているのです。
この「問う力」をさらに言い換えると「発信者の意図を読み取る力」とも言えるでしょう。発信者はなぜこのような場面設定をしたのか。なぜこのような表現をしたのか。何を求めているのか。何を求めていないのか。これぞまさにコミュニケーションの根幹です。
それを身につけるために行った授業が、まさに上の記事に書いたような授業です。作者はなぜこのような人物設定にしたのか。まだ読んでいない方がいらっしゃいましたらぜひ読んでみてください。かなりおもしろいと思います。
そもそも、このように考えるためには「あらゆるものごとには誰かの意図が込められている」という前提に立つ必要があります。文章ひとつ、映像ひとつ、プロダクトひとつとっても同じです。すべてには発信者こと作り手の意図が含まれています。そんな意図を問い、自分の判断や表現につなげていくことが重要なのではないでしょうか。
「問う力」が高い人には、聞き上手が多いような気がします。主旨を捉える能力に長けています。「問い」であればなんでもいいわけではもちろんなくて、やはりいい「問い」は題材をより深めます。的を射ていない「問い」は、ただの確認であったり、時間の無駄になってしまったりしています。
逆に言えば、その人のおおよその力量は「問う」ことで判断できてしまいます。今日のこの記事に「問い」を立てるとしたら、一体どのような「問い」が立つのでしょうか。ぜひたくさんの「問い」をお待ちしています。それでは週の最後の金曜日。ここまでよくがんばりました。今日1日なんとか乗り越えてともにおいしいビールを飲みましょう。