ツイートの3行目

小学校の先生です。ツイートは2行まで。3行目からをここに書いていきます。

【月】成績処理は自戒

 

 おはようございます。まずいなあとは思いながらも、ボーナスが入ることを前提に買い物を始めてしまっています。今季を乗り越えるためのニットは購入したので、あとはマフラーとロング丈のコートがほしいです。3学期用のメガネとスニーカーも買わなければなりません。そろそろモノにお金をつかうのはやめたいのですが、買い物を終えたあとに、まったく後悔していないのがおもしろいところです。やっぱりモノはいいですよね。モチベーションが上がります。モチベーション維持活動としてのお買い物。当分はやめられそうにありません。どうも、インクです。

 

成績処理は自戒

 先生の仕事のひとつに、テストの丸つけがあります。先生をされていない方でも十分に想像することができるでしょう。この仕事が案外つらいのです。なぜなら、そのテストを実施するまでの授業を行ってきたのは自分自身だからです。要するに、テストで子どもたちが間違えるということは、自分の授業が子どもたちの力になっていないということです。今でこそ随分と慣れてしまいましたが、初任のころは申し訳なさでいっぱいでした。もっと上手に授業をすることができていたら、もっといい点数をとらせてあげられたのにな。と、そんなことばかり思っていました。

 回数を重ねるこどに「前の授業で言ったばかりじゃないか」と、子どもたちのせいにしてしまうこともあるのですが、結局その子が話をしっかり聞いていないのも、授業者である先生の責任だと思っています。だから、テストの丸つけはつらいのです。自分への戒めでしかありません。

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 それの大きいバージョンが学期末の成績表です。通知表や通信簿とも呼ばれるアレです。きっと多くの人が、先生から受け取って一喜一憂したことでしょう。ここまで読んでくださった方ならもうお分かりかと思いますが、成績をつける側はまあ大変です。自分の授業を受けて、思うような結果が出せなかった子どもに、自分でC評価をつけなければならないのです。もう何様だよという話ですよね。てめえの授業のせいで、できなかったんじゃねえかよと言いたくなってしまいます。

 それでも成績をつけなければならない。なんて無慈悲なシステムなのでしょう。子どもたちはみんながんばっています。何も悪くありません。どうしてそんな子どもたちを数字で評価しなければならないのですか。みんなちがって、みんないいんじゃないんですか。大人のみなさん、どうなんですか。

 なんてことを先生が言ったら、本当はダメなのでしょう。公正・公平な目線から、指導と評価が一体化した授業を行っていかなければならないのでしょう。毎授業、学習指導要領に沿った評価基準に従って子どもたちを観察し、絶対評価をとっていかなければならないのでしょう。

 

 うるせえよ、ばーか!先生だって人間なんだよ!

 

  すみません。思わず口が悪くなってしまいました。字のサイズを小さくしたので許してください。こんなこと、職員室では口が滑っても言えません。このような「ある意味機械的な評価を人間が下すことができる」という前提は、もはや先生たちの暗黙の了解です。むしろ、これを前提にしなければ「評価をとる」という行為自体が揺らいでしまいます。

  法学における永遠のテーマ「人が人を裁くことができるのか」と似ているのかもしれません。人が人を評価することなんて本当にできるのでしょうか。もちろん主観が入り混じることを前提とするのであれば可能だと思います。その人の思う価値判断で良し悪しを唱えればいいわけです。しかし、何度も言うように教育における評価に主観を混ぜ込むことはタブーとされています。評価基準に従って、公正な評価を行わなければなりません。だからといって、テストの点数だけで評価を決めるわけにもいきません。もはや、要求そのものが矛盾しているのです。

 どれだけ学習指導要領が新しくなろうとも、どれだけ評価方法に関する研修会が開かれようとも、「評価」の本質は常にグレーです。限りなく黒に近いグレーです。それはどうすることもできません。評価を行う限り仕方のないことです。それを分かっていながら白だと言い張らなければならないのが、とても苦しいところです。本当の意味で白くしたいのであれば、テストの点数のみで評価をとるか、評価そのものをやめてしまうかしかありません。

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 ここまでの話はすべて大人の事情です。実際にその評価を受ける子どもたちからしたら、知ったこっちゃありません。子どもたちは、できあがった成績表を受け取り、そこに書かれた数字を見て一喜一憂するだけです。ここ数ヶ月の自分の生活が、数字として表れるわけですからね。信頼する先生が自分のことをどのように見ていたのかが数字で表れるわけですからね。そりゃあ気になりますよね。そりゃあ一喜一憂しますよね。

 そんな子どもたちの純粋な姿も、評価をつけた先生からすれば、かなりつらいものなのです。ちがうんだ、子どもたちよ。あなたの人としての価値はそんなところに書かれた数字で測り知れるものではないんだ。所詮はひとりの大人が、矛盾の中でうんうん悩んでいるフリをしながら 、キーボードをポチっと押しただけなんだ。だからどうか、そんな数字に惑わされずに自由に生きてくれ。そう思ってしまいます。

 そして、世のお母さんお父さん、きっと先生がこんなことを言ったら怒られてしまうのだろうけど、子どもがどんな評価を持って帰ってきたとしても全力で褒めてあげてください。子どもたちは本当によくがんばったんです。Cがついていたからって、子どもたちのこれまでを否定しないであげてください。Cをつけた先生自身がこんなことを言うなんておかしな話だということくらい、重々分かっています。しかし、Cをつけた張本人だからこそ言えることでもあるのです。子どもはがんばった。そして今日もここにいてくれる。それだけでいいではありませんか。子どもたちの未来を狭めてしまわないためにも、成績表なんて破り捨てていただければと思います。

 

 

 これは匿名だからこそ言えることです。実名でこんなことを言ったら下手すりゃクビになるかもしれません。実名で顔出しをするからこそ得られる価値も分かりますが、同じように匿名だからこそできることもあるはずです。そしてそれが可能になるのが、このインターネットという場所です。

  実名じゃないと信用できないだとか、匿名は逃げているだけだとか、もうそんな議論はいいでしょう。それぞれが、やりたいことに合わせて手段を選べばいいだけです。これぞまさに、みんなちがって、みんないい。この伏線回収はB評価といったところでしょうか。それでは、新しい1週間のはじまりです。今週も張り切っていきましょう。