ツイートの3行目

小学校の先生です。ツイートは2行まで。3行目からをここに書いていきます。

【水】先生のコメントは労力の割につまらない

 

 おはようございます。昨日は家に荷物が届きました。ずっと待っていた荷物です。荷物が届くのはとても嬉しいものです。ただでさえ嬉しいのに、火曜日にその嬉しさがやってきてくれたので、のこりの曜日もがんばろうという気持ちになりました。

 このように、週の途中に意図して楽しみをつくることができたら、1週間がよりスムーズに流れるようになるのかもしれません。火曜日よりも週の真ん中の水曜日がいいでしょうか。水曜どうでしょう。水曜日のダウンタウン。水曜日には何かしらのパワーがあるはずです。水曜日にできること、何があるだろう。どうも、インクです。

 

先生のコメントは労力の割につまらない

  学校の先生の仕事のひとつに「コメントを書く」というものがあります。子どもたちが書いた作文や日記に、先生のコメントを書いていきます。別に「コメントを書かなければならない」というルールがあるわけではないのですが、子どもたちがせっかく一生懸命書いたのだから、評価の意味も込めてコメントを書こうという具合です。大抵の場合、何にコメントを書いて何にコメントを書かないのかは、学年で相談して決めていきます。あのクラスはコメントが書かれているのにうちのクラスは...となってしまうことを防ぐためです。

 ただ、お分かりとおり、コメントを書く仕事ってまあ大変です。ひとりの先生がクラスの全員に対して書くわけですからね。数分で終わるような仕事ではありません。しかも文章の内容はひとりひとり違います。読んでは書いて、読んでは書いてを30回。多いクラスでは40回くり返すことになります。

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 上の記事にも書きましたが、コメントを残す作文や日記そのものがまったくおもしろくなかったらどうでしょう。ただの苦行です。おもしろくもない文章をひたすら読んで、ひたすらコメントを書く。15人分くらい書いたところで「一体自分は何をしているのだろう」と思い始めることになります。たとえば、日記に書かれるよくあるコメントに、次のようなものがあります。

子「夏休みにディズニーランドに行きました。楽しかったです」

先「ディズニーランドいいですね。どんなアトラクションに乗ったの?」

 このコメントをもらった子どもは、一体どのように思うのでしょうか。このコメントから生まれる感情は、もはや「無」だと思いませんか。本当に「無」です。内容どうのこうの以前に、コメントを書いてもらえて嬉しいとさえ思わないかもしれません。赤いインクがついている。ただそれだけです。

 つらいことを言って申し訳ないのですが、先生が書くつまらないコメントにはほとんど価値がありません。そんな価値のないものを、一生懸命時間をかけて書いているわけですからもう最悪です。子どもたちは喜んでくれているはずだと信じ込みたい気持ちも分かります。ただ、そんな気持ちをグっと抑えて、今一度「本当に?」と問い直してみることも大切だと思います。本当にあなたのコメントに価値が発生していると思いますか。仮にこれにYESと答えられたとしても、果たしてそれは労力に見合った価値ですか。あなたのそのコメントで子どもたちは成長していますか。

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 うちのクラスでは、1学期から日記帳を書いています。日記帳とは言うものの、中身は完全に自由です。お絵かきをしてもかまいませんし、オリジナルの物語をつくってもかまいません。先生にクイズを出題してもかまわないし、悩み相談をしてもかまいません。ルールはふたつだけ。必ず何かを書いて提出すること。そして他の人のノートは絶対に見ないこと。身バレを防ぐためにも言えませんが、このノート自体の名前も、春にみんなで話し合って決めました。この記事では、仮に「日記帳」と呼ぶことにしますね。

 1学期はこの日記帳を週3ペースで行い、すべてにありえないくらいのコメントを書きました。基本的には子どもが書いてきた文字数以上でコメントを返します。もはや内容ではありません。とにかく量を書きました。ここでのねらいは「この先生、めちゃくちゃ返事を書いてくれるぞ」と子どもたちに思わせることです。目安としてはこんなかんじです。

子「夏休みにディズニーランドに行きました。楽しかったです」

先「ディズニーランドいいですね。先生は人生で2回だけ行ったことがあります。1回目に行ったときは、小さすぎてまったく記憶が残っていません。ただ、写真は残っています。子どものころのかわいい先生が、ミッキーの耳をつけてさらにかわいく写っています。見たかったら言ってね。2回目に行ったときは、ちょうどみんなと同じくらいの年齢でした。スペースマウンテンに乗った記憶が今でもはっきりと残っています。スペースマウンテンには乗りましたか?〇〇さんの日記を読んでいると、久しぶりにディズニーランドに行きくなったなあ」

 子どもたちの筆が進まない一番の原因は「書いても仕方がない」という思いにあります。言い換えると「なんのために書くのかが分からない」ということです。日記帳なんてまさにそれです。子どもたちは、なんのために書くのかも分からないまま、嫌々書いています。なんとか書き終えた文章を提出すると、今度はつまらないコメントが書かれて返ってきます。一体なんのために一生懸命書いたんだろう。これが何度も何度もくり返されて、ついには書くことが嫌いになってしまうのです。

 ところが、提出した文章にありえないくらいのコメントが書かれて返ってきたらどうでしょう。「書いたら書いた分だけちゃんと読んでもらえるぞ」と思う気がしませんか。要するに、「返事をもらう」という目的が生まれるわけです。たしかに、先生側は大変ですが、やはり学級のはじめは大切です。多少無理をしてでも、こちらのスタンスを提示していくことは重要だと言えるでしょう。

 この日記帳は今でも、週1で書かせています。1学期とは違って、コメントの量にこだわることはもうしていません。ちゃんと読んでいるということは、十分子どもたちに伝わっているからです。そして、一度「ちゃんと返事を書いてくれる」という信頼を得ているので、子どもたちも本音でいろいろなことを書いてくれています。個人情報の都合で内容を紹介できないのが悔しいのですが、これがまたおもしろいんですよ。

 春から仕込みに仕込んだので、つまらない文章を書いて提出してくる子どもはほとんどいなくなりましたが、もしこの時期にこの文章にコメントを書くとしたら、こんな風に書くと思います。

子「夏休みにディズニーランドに行きました。楽しかったです」

先「先生はUSJに行きました。絶対にディズニーランドより楽しかったです」

  コメントのポイントは「次のことばを提供する」ことです。この場合は、「いやいや、ディズニーランドの方が楽しいよ!だってこんな乗り物があって〜」ということばが続いていくことになります。自分が言いたいことをただ言うのではなく、相手に言わせることを意識します。「もっと詳しく書きなさい」ではなく「詳しく書きたくなる必然性」をつくるのです。簡単に言えばネタフリですね。このネタフリが上手に決まれば、子どもたちは何を書けばいいのかを悩まずに、どんどん筆を進めることができるようになるでしょう。書くことを嫌いになってしまう前に、書くことのおもしろさに気づく子どもたちが増えてくれることを願っています。

 

 

 寝る間も惜しんで、一生懸命コメントを書かれている先生方、そのコメントに価値がないだなんて言って本当にすみません。しかし、がんばり自体が評価されるほど甘い世界ではないことも重々分かっていらっしゃるかと思います。もし、この記事を読んで、無駄なことをしていたかもしれないと思った方がいらっしゃったら、ぜひとも今日から試してみてください。うるせえよ!と思った方は、どうぞそのまま続けてください。たとえどんなやり方であろうとも、子どもたちが書くことを楽しんでくれるのならなんだってかまわないと思います。